2010年11月5日金曜日

猿田彦と滋賀県

先日、滋賀県の大津市伝統芸能会館に行った際に、
近くにある大津市歴史博物館に寄ってきました。

滋賀県は関西に越して来た時から頻繁に足を運んでいますが、
歴史博物館はこれで三度目でしょうか・・。
今回は当地の古代史資料を目当てに行ってきました。
ショップでは何種類か販売されていましたが、志賀町史の
古代について書かれてある巻が興味深かったので手に入れてきました。

古代の滋賀県といえば、私はまず琵琶湖の南に位置する
野洲市から大量に発見されている銅鐸を思い浮かべるのですが、
それと関連して、琵琶湖西岸の高島市を連想します。
この地は猿田彦とたいへん縁が深いのです。
このことは以前HPで少し述べていますので参照ください
(日本の歴史について「その八」12段目)。
これについて補足的なことも後日述べようと思っていますが、
当地の氏族である和邇氏(わにうじ)と小野氏(おのうじ)も
見過ごすことができないので、今回少し触れようと思います。

まず和邇氏ですが、志賀町史では、本来は和邇部氏で
4世紀後半に和邇部氏と和邇氏が結び付いたとなっています。
本拠地は今でも琵琶湖中央部西岸に地名として残っています(地図参照)。
この地図のJR和邇駅近くに小野神社があるので、この地は小野氏も
関わっているようですが、小野氏は大和(奈良県)の春日の和邇一族から
分岐したとされていますので、和邇氏とは同族として
共存していたものと思われます。
余談になりますが、滋賀県高島市の田中神社から発見された
ホツマツタエでは和邇氏は琵琶湖北部の伊香の地から
高島の地に移ってきたとされています(地図参照)。
以前述べたように、この地には羽衣伝説があります(参照)。
ということはルーツは東南アジアということになります。

話を戻しますが、小野氏からは聖徳太子の時代(6世紀頃)に
遣隋使として派遣された小野妹子が出ていて、和邇氏からは
大津宮廷の支配者である天智(てんじ)天皇崩御後の
壬申の乱(672年)で勝利した天武(てんむ)天皇が輩出されています。
志賀町史の和邇氏の記述で興味深いのは、
和邇部氏(和邇部臣・おみ)は7世紀の終わり頃まで宮中の鎮魂祭で
神楽を奉仕する女性(猿女・さるめ)を出していたということです。
このことは、ここ丹波篠山の佐々婆神社と同じなのです。
佐々婆神社は私の工房のすぐ近くなのですが、以前紹介したように(参照
この神社の祭神は天宇受売神(あめのうずめのかみ)、つまり猿女なのです。
そしてこの地も古来から神社に奉納舞をする巫女を輩出していたとされているのです。
このように、滋賀県の琵琶湖西部とここ丹波篠山の地は
深い繋がりがあったようなのです。
また、先に紹介した天武天皇が、壬申の乱の際に協力しなかった隼人を
丹波の地に追いやったというのも、丹波の地は隼人とも
繋がりが深かったからではないでしょうか(参照)。



14 件のコメント:

高口定雄 さんのコメント...

篠山市付近の「猿田」「猿目」地名

篠山市の佐々婆神社と猿女が関係あるとの情報を拝見したので、地名「猿田」「猿女」が、篠山市付近に無いか調べてみました。ご参考まで。

1.篠山市郡家小字猿目(さるめ)
2.篠山市乾新町小字猿目(さるめ)

3.丹波市山南町小畑家小字猿部谷(さるべたに)
4.丹波市山南町上滝小字サルべ

高口定雄(茨城県日立市)

楽器製作家 田中清人 さんのコメント...

ありがとうございます。
たいへんありがたいです。

田中久夫著「金銀銅鉄伝承と歴史の道」では
河内国丹南郡狭山郷日置庄の鋳物師について説明されているのですが、
その由来が記されている「河内国鋳物師元祖の事」では
「石凝姥命(いしこりどめのみこと)が鉄の鍋を作って天児屋命に
献上したところから、石凝姥命を鋳物師の祖神として祀り、
藤原朝臣を名乗ることになった。もともとこの地には
一千余軒の鋳物師があった。」とあるそうです。
この河内国鋳物師が元祖で九州以外の各地に広まったとされていて、
ここ丹波国も盛んで、寛政六年(1794年)の記録では
篠山にも五名の鋳物師の名が挙げられているそうです。
時代は古代とは言えませんが、そのような伝統が篠山にもあったようです。
ですから、篠山にある日置という地名も河内国丹南郡狭山郷日置庄の鋳物師
と何らかの関係があるのかもしれません。
それから篠山の余部郷もそうかも知れません。

高口定雄 さんのコメント...

地名「猿田」について、福岡県、兵庫県、愛知県、奈良県についてとりあえず調べてみました。

1.福岡県 6件 (1)糟屋郡須恵町須恵 猿田
         (2)糟屋郡須恵町上須恵 猿田
         (3)田川郡福智町赤池 猿田
         (4)宗像市吉留 猿田
         (5)福津市畦町 猿田
         (6)北九州市八幡西区藤田 猿田

2.兵庫県 6件 (1)加東市河高 サル田
         (2)加西市北条町西南 猿田
         (3)西脇市落方町 サル田
         (4)多可郡多可町八千代区俵田 猿田
         (5)豊岡市日高町知見 猿ヶ田
         (6)神崎郡福崎町高岡申田

3.愛知県20件

4.奈良県 4件

周囲の地名に注意しながら調査していますが、特徴が二つあるように感じます。

(1)付近に、「佐」「笹」などの地名が多い傾向にある。
(2)黒部、船木、穴虫などの地名が付近に多い。

ちなみに、遠く離れた関東の茨城県も調査中ですが、あります。
特徴的に思うのが、舟木地名と同じ場所に「猿田」地名があることです。

茨城県久慈郡大子町上金沢の地内に「猿田」「舟木ヶ沢」がある。
茨城県久慈郡大子町浅川の地内に「猿田」「舟木ヶ沢」がある。
大子町は、金や銅、粘板岩からとれる硯石の産地として地元では有名です。

以上のことから、「猿田」地名は、「黒部」「船木」「穴虫」との相関性が強いと考えられます。
全国的に調査してからの結論となりますが。

また、現状では「猿田」地名について、次のように考えています。現時点でのあくまでも仮説です。

猿田は、古語の「佐田」「砂田」が語源かもしれない。砂が得られる場所のようである。

たとえば、口語では、「さなた、さぬた、さのた」などのように、助詞の「な」「ぬ」「の」を入れるのが普通であった。ところが、この「ナ行」を「ラ行」への口語変更が発生した。
「さぬた」「さるた」を発音してみるとわかるが、「さるた」のほうが、鼻音「な行」を使用するよりも発音が楽である。

「ナ行」→「ラ行」への変音実例

1.古事記の越前国ツヌガ(都奴賀)は、倭名称では、ツルガ(敦賀)と書く
2.延喜式式内社の伊予国越智郡イガナシ(伊賀那志)神社の所在地をイガラシ(五十嵐)といっている
3.美濃国山県郡ウヌマ(鵜沼)を、八雲御抄ではウルマ(宇留間)と書いている

高口定雄(茨城県日立市)

楽器製作家 田中清人 さんのコメント...

ありがとうございます!
「猿田」地名と「黒部」「船木」「穴虫」との相関性、
たいへん興味深いです。

日本の弥生時代はインドからの影響が大きいことは
こちらのブログやHPでも述べてきましたが、
「出雲と大和のあけぼの」を著した斎木雲州氏(明らかにペンネームと思われますが)は
「サルタ」とはインドのトラヴィダ語で長鼻を意味すると説明しています。
出雲を含む山陰地方の習俗に幸神(サイノカミ)というのがあり、
それは家族神として構成され、父神を久那斗(クナト)、母神を幸姫命(サイヒメノミコト)と言い
その夫婦神を石像にしたものが道祖神としています。
そしてその息子神がサルタヒコとされ、この三柱の家族神を
サイノカミ三神と呼んでいるそうです。
この息子のサルタヒコは盗賊や亡霊の侵入を防ぐ役を担っていたので
その後、道の守り神となり、藁(わら)人形にして
峠の道に飾る風習が起こったということです。
またサルタヒコは川岸で亡霊の侵入を防ぐサイノカミでもあったので
その河原を「サイの河原」と呼ぶこともあったそうで、
それがサイの河原の語源でもあるとしているのです。

ということは、サルタヒコとアメノウズメを夫婦とする信仰は
その後の時代ということになるのでしょうか・・
それとも地域の違いなのでしょうか・・
興味が広がるところです・・

高口定雄 さんのコメント...

神の歴史もなかなか面白いですね。謎があるから面白いのでしょうか!!
一方で、人間の栄枯盛衰と同じように、神にも栄枯盛衰かあるように感じています。

愛宕神社は、火を防ぐ神様として有名ですが、本来は、鍛冶の神様ではなかったかと思います。
人が来なくなり、人集めのために、火防の神様として変化したかと想像します。

神社地名を扱うのは、地名研究ではリスクを伴います。諏訪地名のように、諏訪神社があるから地名が諏訪となることも多いので、いつの時代の地名か判定に困難が伴うため。

千葉県の「猿田」地名40件 ありました。ご参考まで。
やはり、「黒部」「船木」地名が近くに共出する傾向にありました。
関東には穴虫地名はみあたらないようです。
また、古墳時代前期の遺跡も近くにあります。

例1 千葉県成田市船形小字「下猿田」「上猿田」
   ここより約2km離れた成田市八代には、古墳時代前期の八代玉作遺跡」
   ここより約2kmは、成田市玉造で地名「玉造」がある。
   ここより約8kmは、成田市久米  久米は「くろべ→くろめ→くめ」と変化した地名

例2 千葉県長生郡長南町豊原小字「猿田」
   豊原地内に油殿古墳1号墳 前方後円墳で4世紀末~5世紀初
   豊原の隣の大字芝原(約2km)に能満寺古墳 前方後円墳 4世紀後半
   豊原から約3kmは、千葉県茂原市上永吉小字「船木」

高口定雄(茨城県日立市)

楽器製作家 田中清人 さんのコメント...

千葉県に多いというのは以外でした。
白髭神社の方は、これも詳しく調べていらっしゃる方がおられて、
まったく感心してしまいます。
その方(中村倉司氏)によると本社は滋賀県高島の白髭神社で
滋賀県には他に11社あります。
他県で多いところは静岡県の71社、岐阜県69社、埼玉県60社、
山形県30社、東京16社といったところで、他の県は一桁です。
千葉県には2社しかありませんが、猿田彦神社は5社
猿田彦が祀られている神社は27社ですが
興味深いのは猿田彦神社5社は千葉県北部、東の端の海上郡から西の端まで
一直線に並んでいるのです。

高口定雄 さんのコメント...

白髭神社については全く念頭に無かったのですが、猿田彦神だったのですね。
興味深い情報のご教授ありがとうございます!!

地名「猿田」の調査中ですが、群馬県についてご参考まで。

<群馬県> 地名「猿田」3件

1.藤岡市上落合「猿田(さるだ)」 鏑川と鮎川の合流点

  1)地内に七興山古墳 前方後円墳 6世紀前半
    6世紀代では東日本最大級の古墳
  2)約2kmは、高崎市木部町
    木部は木之部と同じ: 兵庫県篠山市ほか
  3)約4kmの高崎市下佐野町には、古墳時代前期の
    玉作遺跡「下佐野遺跡」
    三波川変成帯の蛇紋岩による玉作

2.藤岡市白石「猿田(さるた)」

  1)前項の藤岡市上落合に隣接

3.吾妻郡吾妻町原町「猿田(さるだ)」
 

なお、「笹場(ささば)」地名を発見しました。

前橋市小屋原町「笹場」
 地内を広瀬川が流れるが、古くは広瀬川が、利根川の流路であった。

  1)約3kmに前橋天神山古墳(前橋市広瀬町)
    4世紀前半の前方後円墳
    三角縁神獣鏡が出土し、同じ鋳型で鋳造された鏡として、
    奈良県櫻井市桜井茶臼山古墳、 奈良県天理市黒塚古墳の鏡がある

    参考: 奈良県桜井茶臼山古墳の近傍地名:黒目、穴蒸(あなむし)、木部(きべ)

  2)約5kmの弥生時代後期の西太田遺跡(伊勢崎市安堀町)
    から、甕に入った砂鉄が出土
    甕の種類形式は、茨城県北部の十王台式土器(日立市含む)

  3)約5kmは、前橋市上佐鳥町、下佐鳥町
    佐鳥(さどり)は、砂取(さとり)のことと思われる。

高口定雄(茨城県日立市)    

楽器製作家 田中清人 さんのコメント...

ありがとうございます!
地名と古代遺跡との関連性はたいへん興味深く、
想像も膨らみます。

高口定雄 さんのコメント...

「猿田」の調査続報です。

1.各県の「猿田」地名件数

  (1)石川県  3件
  (2)埼玉県  1件 
  (3)茨城県 22件 
  (4)三重県  7件

2.トピックス

 (1)石川県金沢市北塚町「猿田」
    ・約1kmに古墳時代初等の遺跡「古府クルビ遺跡」
     「クルビ」地名は消失しているが、「くろべ(黒部)」の変形地名
    ・約2kmに弥生時代後期の下安原海岸遺跡(下安原町)。玉作遺跡出土。
    ・約3kmに弥生時代中期の寺中遺跡。玉作遺跡。
     新潟県佐渡市の新穂型といってよい石鋸が出土。
     なお、佐渡市に「黒目作」という地名がある。茨城県日立市にも「黒目作」地名があり、
      砥石「助川青砥」産出地直近。黒目は「くろべ、くるべ(黒部)」から変化したもの。

 (2)石川県松任市島田町「猿田」
    約2kmは松任市長島町「クロビ田」。 「クロビ」は「くろべ(黒部)」に同じ。

 (3)茨城県筑西市井上「申田(サルタ)」
    ・約5kmは4世紀前半の蘆間山古墳(徳持古墳とも、筑西市徳持)
    ・約8kmは、筑西市岡芹小字「黒部」

 (4)三重県鈴鹿市山辺町「猿田」
    ・隣の上野町(約1km)より弥生時代の銅鐸片出土
    ・約3kmに弥生時代の玉作遺跡の茶山遺跡(鈴鹿市高岡町)
    ・約8kmに4世紀末の前方後円墳「野褒野(のぼの)王塚古墳」
    ・約10kmは、鈴鹿市辺法寺町小字「穴虫(あなむし)」

 (5)三重県熊野市大泊には、小字「サルタ」「サダ」が共出。
 (6)三重県には、地名「佐田」15件と多い。
    ・津市白山町佐田には、小字「舟木」
     隣接する津市白山町上ノ村には小字「黒ン坊(くろんぼう)」があり、
     黒部の変化地名
 (7)「佐田」を古代には、連体助詞「な、ぬ、の」を追加し、「さぬた、さぬだ」
     といっており、これが「さるた」に変化した可能性を想定しているが、「さぬだ」地名が、三重県に1件存在していた。
     三重県伊賀市下友田「佐奴田(さぬだ)」
        付近の地名、遺跡は、
        ・伊賀市下友田「大黒(おおぐろ)」
         伊賀市田中「黒口(くろぐち)」
        ・約4kmは、古墳時代前期の東山古墳(伊賀市円徳院)。伊賀地方最古。
        ・約7kmは、古墳時代前期の山神寄建神社古墳(伊賀市山神)
         唐草文帯三神三獣の三角縁神獣鏡が出土。同笵鏡はないが、同じ文様では、
         奈良県の鏡作神社からも発見されており、かつ鏡作神社直近に「黒部」「穴虫」地名

3.「佐田」「大貞」なども調査の必要を感じていますが、まずは「猿田」優先で調査の予定です。

  なお、地名と遺跡の距離は、15km以内で調査しています。奈良時代の駅家間平均距離が14.7km
との報告があり、これを根拠に同一居住圏の範囲は、15km以内と仮定したものです。

  「完全踏査古代の道」 木下良監修、武部健一著  2004年10月1日発行 吉川弘文館

高口定雄(茨城県日立市)

高口定雄 さんのコメント...

三重県津市に「しぶみ」地名があったので紹介させていただきます。

<三重県津市渋見町(しぶみちょう)>

1.地内に「志夫美神社」 延喜式式内社の志夫彌神社  祭神志夫美神
2.渋見町地内に小字「赤目」「塩田」
3.約3kmは、津市安濃町清水小字「黒部」
4.約2kmの津市野田より銅鐸出土

高口定雄(茨城県日立市)

高口定雄 さんのコメント...

三重県で、砥石と銅鐸が関係する事例を発見しました。
京都府京都市右京区梅ケ畑は仕上砥石産地でかつ銅鐸出土していますが、
これを含めて2例目です。あと1件 計3件あると最高なのですが。

三重県津市白山町川口小字「砥石谷」

ただし本当に砥石が産出されたとの記録は未確認です。
川口から約4kmは、津市白山町藤小字「舟木」。
川口から約3kmは、津市白山町「北家城、南家城(いえき)」。
地名研究で有名な谷川健一は、その著「青銅の神の足跡」で、
家城=伊福(いふく、いふき、いおき)で、伊福は銅鐸鋳造に関わる集団だと述べています。

高口定雄(茨城県日立市)

高口定雄 さんのコメント...

高知県安芸市伊尾木に小字地名「砥石谷」がありました。
伊尾木からは銅鐸が出土しています。
砥石を産出したとの記録は未確認ですが。

銅鐸の時代に砥石が重要な資源のひとつとして認識され使用されていたことが、3件のデーターで
いえるかと思います。

高口定雄(茨城県日立市)

楽器製作家 田中清人 さんのコメント...

いろいろとありがとうございます。
内容が徐々に充実していき、ワクワクします。

姫路に砥堀という地名がありますが、そこから6kmほどのところに
銅鐸の鋳型破片が出土している今宿丁田遺跡があります。
https://drive.google.com/open?id=1ETVg4qpgX5D1px85XRCWR2YY_i0&usp=sharing

それから、和歌山県の白浜近辺では近年まで荒砥が掘られていましたが、
その近くにも銅鐸が出土しているところがあります。
https://drive.google.com/open?id=1h90nvg4bfMkpDRk5Adz-6N3UOBM&usp=sharing
他にも和歌山県はかなりの数の銅鐸が出土しているようですね。

弥生時代の石製鋳型については、「銅鐸の謎」の著者 阪上秀太郎氏は、
1990年代までの考古学的調査によって、姫路市の名古山、今宿、
赤穂市の上高野、神戸市兵庫区荒田長、大阪茨木市東奈良、奈良県唐古の
各処から発見されている石製鋳型の原石はすべて
神戸層群凝灰岩が用いられていることが判明している、としています。
この凝灰岩が分布している地帯は六甲山系の北側とされているようです。

以上、何かのご参考にでもなれば・・

高口定雄 さんのコメント...

コメントたいへんありがとうございます!!神戸層群凝灰岩についての情報大変有り難く。
六甲山付近は私も非常に注目している地域です。
神戸市地域、三田市地域の小字地名がわかる資料が公開されていないようで、あるいは私が気がつかないだけかもしれませんが、私の地名研究が停滞している地域です。この小字地名の情報収集にパワーをかけてみようかと思います。

コメント大変ありがとうございます!!

高口定雄(茨城県日立市)