2011年2月2日水曜日

平田家文書 その2

長塚節(たかし)の小説「土」では
貧しい農家にとっての農具の重要さが
淡々と述べられていますが
前回も述べたように
国の根幹を支える農業のための道具は
当時は手道具が主であり、それらは
農具鍛冶によって製造販売されていました

平田家文書の農具鍛冶関連のものは
当家が同業組合とでも云える「鍛冶仲間」の
重要な立場にあったため
そのほとんどが奉行所や触頭(組合頭)への
嘆願書や、他の仲間からの依頼書であります
嘆願書が残っているということは
奉行所や触頭へ出したものの控えが
保存されていたものと思われます
それら107点の文書から
いくつか紹介したいと思います


まずこれですが
これは宝暦六年(1756年)五月に
触頭である清水平兵衛(へいべい)を通して
奉行所に出された嘆願書です
この文書の最後の署名のなかの
丸一屋伊右衛門が平田家の屋号です

江戸時代の文体は
このように和漢混淆文が一般的でしたので
このままでは読みにくいので
私に読めるかぎり読み下してみます
間違いなどありましたら
ご教示頂くと助かります


「恐れながら願いたてまつる口上書」

田舎鍛冶(が)これまで近在へ参り
農具細工(を)(つかまつ)(行っている)(故・ゆえ)
ご当地の農具鍛冶53人の者
困窮仕り(困窮している)(そうろう)につき
段々(いろいろと)願い奉り(たてまつり)候ところ
御吟味のうえ、銘々(それぞれ)御差し止め
なり下され、ありがたく存じ奉り候

然る(しかる)ところ、この度、泉州堺(大阪府堺市の)鍛冶
源兵衛(げんべい)と申す者、西七条村中町(の)百姓
八兵衛と申す者と馴(な)れ合い
旅宿に仕(つかまつ)(留まり)、農具一式
夥しき(おびただしき・多くの)商い仕り候上
農具直し細工などまで請け取り(請け負い)
ご当地の農具鍛冶(の)得意先(を)(強調の意)妨げ
(わずか)の居職(いじょく)(自宅での仕事はわずかしか行っていない)
農具仲間(は)一向手透きにまかりなり
必至と手詰まり(このままでは仕事が少なくなり
手詰まり状態になる)渡世難儀、迷惑仕り候間(故・ゆえ)

右の源兵衛という者は、先年朱雀村(の)
茂兵衛方の旅宿に仕り(行き)
右体(先に述べたような)商売を仕り候につき
去々(一昨年の)戌年(いぬどし)三月五日に
御差し止め願い奉り候ところ
御吟味の上、御差し止めなり下され候ところが

また西七条村へ参り相妨げ、甚だ(はなはだ)
難儀仕り候ゆえ、御慈悲の上
西七条村の百姓、八兵衛幷(ならびに)
堺の鍛冶源兵衛を召し出され
以来(今後)、ご当地の農具鍛冶の妨げ(さまたげ)
仕らず候よう仰せ付けられ下され候はば
一統に有難く存じ奉るべく候。  以上。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

日本昔話 村正のなた がちょっと前までyou tube に掲載されてたのですが、削除されています。
この話では 村正は当初 ご存知の日本刀を作っていたのですが、山に引きこもり 農機具を作っていました。
一人のきこりが鉈を熱心に頼み込み、ようやく出来上がった鉈を持って山に入ったが眠たくなって川のほとりで、仮眠してたところ、川の主の大蛇がきこりを食べようと近寄って来ましたが、鉈の霊力に負けてすごすごと引き返す というような内容だったと思います。
あの村正が農機具を作るとは・・・と思いお気に入りに入れてたのですが、残念です。
        源 信正

kiyond さんのコメント...

格上の刀鍛冶の方が農具を打つということもあったのでしょうね。
日本刀研究の第一人者である福永酔剣氏によると、
江戸時代の刀工も一部を除いて、決して裕福ではなかったようですから
刀工によっては他の刃物を打って糊口をしのぐ
ということもあったのかもしれません。

匿名 さんのコメント...

祖父の言葉を思い出します。
野鍛冶の刃物と刀鍛冶の刃物の違いについて子供の頃話してくれました。
野鍛冶が刀を作ったから見てくれと来たそうです。
刀を見るなり これは違う といって縁側に出て、靴石にその刃物をあてて、鎚で一振り。
一発で真っ二つに折れたそうです。
最近お刀を拝見するたびに この話を思い出します。
まともな日本刀は曲がるけど、折れません。
また、錆びても、研ぐときれいになります。
鉄の鍛え方が違うと簡単に言いますが、奥の深いものがあります。

 また、昔話の村正の鉈で木を切ると大根を切るような と言う表現がされていました。
DLしていたのがうまくキヨンドさんに届きますように。
      源 信正