2011年2月5日土曜日

平田家文書 その4

HPの「京都伏見の鋸鍛冶について
で紹介しているように
江戸時代になって刀剣の重要が減少したため
他の鍛冶職に転向をした刀工も多かったようです
おそらく平田家もそうだったと思われるのは
文書の端々に、平田家が
二条城の御用鍛冶を務めていることを
したためていることからも想像できます

平田家文書は万治三年(1660年)から
確認できるので、おそらく江戸時代になって
二条城が築城された時から
御用鍛冶を務めていたものと思われます
そういった事が書かれた文を
紹介しようと思いますが
この「一札」は前回紹介した文書と同様の
農具鍛冶組合の商売の妨げを
再び行わないという念書です
文政元年(1818年)九月二十四日のもので
新田村の大工 籐兵衛と保証人の
新田村の庄屋七兵衛から出されたもの


「一札」

鍛冶御仲間については、往古より
二条御城中の御用御勤めなられ候
御仲間の御定法(取り決め)相成り候
素人ども売買致しまじく旨(してはならないこと)
御公儀様(幕府)より御触れ流しこれあり
以後、我等心得違い仕り候て
田舎より釘・金物を買い取り
その上得意先へ売りさばき
はなはだ不埒(ふらち・良くないこと)仕り候につき
御出訴におよび、ご理解なり下さり
御差し止めさせられ、恐れ入りなり奉り候

以後は、釘・鉄物・針金等に至るまで
きっと売買致し申しまじく候(いたしません)
もし受け負い共にて請け仕りそうらはば
諸事鉄物類を田舎より買い取り相用い申さず
御仲間内にて買い取り申すべく候
(と言い伝えます)
万一前文に相違御座そうらはば
何時にても思召(おぼしめし)なり下さり候ても
その時一言の子細毛頭申しまじく候
(一言も言い訳をいたしません)
後日のために一札依件(くだん)のごとし






もう一点紹介しておきます
これは天明三年(1783年)五月に
出されたものです

「一札の事」

私、無印札(無許可)にて農具鍛冶職として
渡世仕り候ところ、去る卯年の十月
南山城一統(京都南部一帯の意か)に御印札
御渡しなされ候ところ、私勝手に付き
鍛冶職相止め申したく候につき
一札に則り(のっとり)仕り、お断り申し上げ奉り候

然るところ、今年の春より少しづつ
農具細工仕り、不届けの段誤り奉り候
これによりて、以後鍛冶職、直し物等にても
堅く仕り申しまじく候(いたしません)
もし右の趣、相違仕りそうらはば
いかようにも仰せ付けられ下さるべく候
その時一言のお詫び仕りまじく候
(どのような言い訳もいたしません)
後日のために仍て件のごとし。

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