2011年2月12日土曜日

平田家文書 その7

前回述べたように、「永代日本鍛冶惣匠」という称号をもらった伊賀守金道は刀工の受領銘の斡旋も一手に引き受けることになったわけですが、福永酔剣氏の著書「刀鍛冶の生活」によると、金道に受領を頼んだ刀工は有無を言わせず門人にさせられ、さらに、その門人の弟子までも「遠弟子」として毎年名義料を納めさせていたということです。一見、理不尽に思えますが、金道の書状などを見ると、鍛冶頭や日本鍛冶惣匠の体面を維持するための出費もかなりあったようで、決して金銭的に楽ではなく、むしろ借金の方が多かったことが伺えるのです。
伊賀守金道から受領をもらった刀工は、輝かしい勲章をもらったようなものですから、そのことは早速出来上がった刀の中心(茎・なかご)に銘として切られ、また広告の文句に由緒書として載せ、恩恵は少なくなかったようです。
このように伊賀守金道は鍛冶職人の頂点に立ち、絶大な権力を持っていたわけですが、この権力に逆らう者が登場するのも歴史の必然なのでしょうか。
興味深いことに、この反逆者が平田家文書に登場する、清水平兵衛なのです。天明五年(1785年)に伊賀守金道から門人たちに出された通達には
「近来、京都に於いて清水平兵衛と申され候者、御公儀御用の儀申し立て、運上銀の儀願い上げ、鍛冶一統出銀致し候へども、御即位御用並(ならび)に日本鍛冶宗匠御免許の旨申し立て、此の方弟子の分は残らず、出銀御免除これ有り候。尤も此の方諸役御免徐の御牌、頂戴仕り候。」
とあり、清水平兵衛が幕府御用を承ったと云って、京都の鍛冶職人から運上金を徴収し始めたことが伺えるのです。これに対し、金道は、日本鍛冶宗匠(二代目金道は惣匠という字を当てていますが、三代目以降は宗匠の字を当てています)の免許を持っていると言って、清水平兵衛に運上金を払うことを断ってもよいと京都の門人に通達しているのです。
平田家文書によると、農具鍛冶触頭として文書に登場する清水平兵衛は、業者から借財をし家を新築したりしているのです。また、金物類(とくに銅)を商った余剰の利潤を業者と分け合う契約を結んだ廉で、職を免ぜられたりしています。つまり汚職に手を染めていた。
伊賀守金道はそういった事情を知っていたのでしょうか・・

前回に引き続き、貞享二年(1685年)に出版された
菱川師宣による「和国諸職絵つくし」(参照)から
「とぎ・研ぎ」の図を紹介しておきます
見えている説明には
「さきがおもき今 ちかおさばや
ぬしにとひ申さん はばやさは
いかに手をきるぞ」
でしょうか・・?自信がありません
「先が重き今 近押さばや
主に問ひ申さん 刃早には
いかに手を切るぞ」
とでもなるのでしょうか、これも自信がありません。
意味不明ですね・・

いま(2月13日)気が付いたのですが
リンクさせてもらった
古典籍総合データベースの資料では
一行目下から二字目「ち」の次の字が「か」とは読めませんね
これでは「ちち」くらいにしか読めないのですが・・
版木に欠けでもあったのでしょうか・・
それから、四行目は「はばやさ」で
先に挙げた私が持っている復刻版のものとは
「さ」の字が違っています
私の手許のものもよく見ると「さ」のようですが
一見「に」に見えたので最初は「に」かなと
思ったのですが、これはやはり「さ」でしょうね
そうすると「はばやには」でななく
「はばやさは」 「刃早さは」となります

こちらは「白かねさいく」 「白金細工」
説明は
「なんりやうのやうなる かねかな」
「何両のやうなる金かな」
でしょうか、これも自信がありません・・

14 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ousar.lib.okayama-u.ac.jp/file/14492/20090206072807/23_145_176.pdf
168ページの板割りの図に関して面白い考察がなされています。
      源 信正

匿名 さんのコメント...

さきがおもき今 ちかおさばや
ぬしにとひ申さん はばやには
いかに手をきるぞ

江戸時代では長い刀を短くしなければならなくなりました。
それで、バランスが崩れ切っ先のほうが重くなってきたのでしょう。
また、中心部分にくるの刃を落とさなければならなくなります。
戦国時代と違い体力も落ちてきたので、軽い刀にしてくれと、依頼があったのだと思います。
現代語訳として・・・・
切っ先のほうが重いので、地を砥石で薄く落とさなければならなくなるぞ。
お前に言っておくが中子の刃が近いので手を切らないように注意しなさい。

なんりやうのやうなる かねかな
上記の理由で刀のハバキがスカスカになってきたのではなかろうか?
現代語訳として・・・・
再利用できるハバキであろうか?
        源 信正

kiyond さんのコメント...

紹介して頂いた板割りの図は、菱川師宣にの「和国諸職人絵つくし」
に載せられているものです。
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/chi05/chi05_03778/chi05_03778.html
この割られている板を見ると、かなり大きなものなので
「曲げわっぱ」も昔は大きなものが作られていたのですね・・

「研ぎ」図の文の解釈ありがとうございました。
刀の磨り上げのことであるという見解は説得力があります。
なるほどと感心しました。これは有り得る解釈ですね。
南北朝期の大振りの太刀は江戸時代の武士が差すのに
都合がよいように磨り上げられているのがほとんどですから。
「白金細工」図の文は、磨り上げた刀の鎺(ハバキ)のことである
というのも考えられることですね。
問題は「なんりやう」をどう解釈するかですが
「なん」は「何」「南」
「りやう」は重さの単位の「両」、装束・鎧などを数えるときの「領」、
あるいは「霊」、これは考えられませんね。
それから「利養」、これは私利私欲のことですから
これもありえないと思います。
「利用」は明治時代以降の新しい言葉と思われますから
江戸時代にはなかったと思いますので、これもなしですね。
そうすると「りやう」は「両」か「領」ということになりそうです。
次の「やう」は「様」くらいしか考えられないのですが、
もし「用いる」という「用」の字を「やう」と読ませているとしたら
「なんりやう」を「何両」とし、次の「やう」を「用」として、
「いくつ用いることができるか」という意味を成します。

匿名 さんのコメント...

なんりやうのやうなる・・・
なん【係助詞】りやう【名詞:よう】の【格助詞:の】やうなる【比況の助動詞「やうなり」連体形:ようである】 かね【ナ行下二段活用動詞「かぬ」連用形:かね】かな【終助詞:だなあ】
このように分解できます。
       源 信正

kiyond さんのコメント...

「なん」を係助詞とするのは無理があるのでは・・。
係助詞として使うならば、文中で他の語の後に付き
「~なむ(ん)」とするのが妥当ですから、
文頭で「なん」とある場合は係助詞とはなりえません。
それから、「かね」を動詞とするのも無理があるのでは
ないでしょうか・・。

匿名 さんのコメント...

なんりやうのやうなる かねかな
このハバキは南鐐二朱銀の様な良い銀を使っているなあ。

これで、決まりでしょう。

      源 信正

kiyond さんのコメント...

ありがとうございます。
南鐐二朱銀、知りませんでした。
これで間違いないでしょう。
決定です。たいへん助かりました。

kiyond さんのコメント...

南鐐、広辞苑にありました・・・
美しい銀、良質の銀の意。
はよ調べればよかった・・・

kiyond さんのコメント...

いま気が付いたのですが、リンクさせてもらった
古典籍総合データベースの資料では
一行目「今ち」の次の字が「か」とは読めませんね。
これでは「今ちち」くらいにしか読めないのですが・・
版木に欠けでもあったのでしょうか・・

それから、四行目は「はばやさ」で
先に挙げた私が持っている復刻版のものとは
「さ」の字が違っています。
私の手許のものもよく見ると「さ」のようですが
一見「に」に見えたので私は「に」としたのですが
これはやはり「さ」でしょうね。
そうすると「はばやには」でななく
「はばやさは」「刃早さは」となります。

匿名 さんのコメント...

原本は早稲田にあるのは分かってるんですが・・・
崩し字が読めません。
こんなことではいけないと思いますが・・・・
研師の上段にも何やら書いていますがさっぱりわかりません。
その昔は誰でもがわかるように、あえて、平仮名で解説してあるんでしょうに。
  悔しいな。
        源 信正

kiyond さんのコメント...

ありがとうございます。
崩された変体仮名は慣れるしか手がありませんが、
なかなか苦労します・・・
研ぎ図の上に書かれてあるのは歌合せで
三番

いかにせむ とかすもいらぬ つるきたち
みねなる月の さひのこるかな

いかにせん 研がすもいらぬ 剣・太刀
峰なる月の 錆残るかな でしょうか・・


ながむとて ぬる夜もなきに あらうるし
はけめもあはぬ むら雲の月

眺むとて 塗る夜もなきに 荒漆
刷毛目も合わぬ 叢雲の月

こちらの歌は見開き左ページの塗師に因んだ歌ですね


左歌五文字かな はず〇ゆみねの あひしらひ
あらまほしくや 
右はあらうるしの はけめあはぬを むら雲にたとへたる〇
左右共にさしてもきこへす 持にて侍るへし(引き分け)


〇は私には今判読できません。
夜にでもじっくりくずし字辞典で調べてみます。

匿名 さんのコメント...

長門陸奥 扶桑山城 伊勢日向 榛名金剛 比叡霧島
WWⅡ開戦直前の戦艦郡ですが、戦いのなかに五七五七七を見事に歌い込んでいます。
そういえば、大学新入生のときに、万年筆で書かれたトイレの落書きにも、ある意味笑いと風流を感じたものでした。

・よく来たな まあ 座れ
・気張れども いくらきばれど 空吹きの 
       実のひとつだに 出ぬの 哀しき

            源 信正

匿名 さんのコメント...

気張れども いくらきばれど 空吹きの 
       実のひとつだに 出ぬぞ 哀しき

一字訂正です、

kiyond さんのコメント...

七五調は日本人の琴線に響くものがあるのでしょうね・・
HPの「日本の歴史について その5」で少し述べましたが
五七五七七という歌の形式が古代南インドのサンガムという
歌にもあるというのにも驚きますが・・