2011年4月30日土曜日

能面と刀

世界文化社刊 梅若六郎著
「まことの花」から部分転載 

今日は久しぶりに篠山の能楽資料館に
足を運びました
2年ぶりになりますか・・
ここを訪れる度に、能が完成された
室町時代の能面のすばらしさに
感嘆させられるのです
それに鼓の蒔絵と衣装の絵柄の大胆さ・・

能楽資料館を後にして、次は篠山の刀工
藤井啓介氏の鍛刀場を訪れました
作品展示コーナーで目にした氏の作品は
室町時代の能面の緊張感に負けていない
存在感があり、氏の力量に
改めて感服してしまったのであります
最近の氏の地鉄(じがね)
よく詰んだ古刀期や新刀期の地鉄に
劣らぬものがありますが
刃文の匂い口(刃文の幅)の見所の多さも
見事だと思います

氏の作品は玄人好みといいますか
刀を見る目がある程度身に付いている人にしか
分かってもらえない部分が多いので
ある面、損をしているのかもしれませんが
氏はそれにもかかわらず
自分の目指す方向性にブレがないのが
すばらしいと思うのです
その頑な姿勢は室町時代の能面に
通ずるものでもあるとも感じさせられたのです


2011年4月27日水曜日

瀕死の桜・・


丹波篠山の中心部に
王子山という小山があります
24日に来客があったので
そこにも案内したのですが
咲き終わったソメイヨシノの1本が
瀕死の状態にありました

幹の太さはそれほど太くはないので
樹齢は10数年といった感じです
虫にやられたか、病気にでも罹っているのでしょうか
上方の太い枝は枯れ果てています
それでも下の方の枝には葉が出ているので
まだ生き長らえているようです



その桜の主幹から一輪花が出ていました
最後の力を振り絞って咲いているようで
心を打たれました・・

老桜の ひとひらの花 幹に揺れ   棚柿音(たなかきおと)


2011年4月24日日曜日

幕末の出石と江戸


22日に紹介した短刀の中心(なかご)
切られていた添え銘は
「出石疾命」ではないかという
源信正さんの指摘がありましたが
これは充分考えられそうです
出石疾命は奉納された神社の
神様の名前でしょうから、現在の出石神社か
どこかの神社にそのような神が
祀られていたものと思われます

ですから、出石(いずし)という文字が
切られている以上、当時(嘉永七年)の
但馬国(兵庫県北部)の出石藩
と関わりがある可能性は捨てきれません

源信正さんは
当時の出石で流行病(はやり やまい)でも
あったのではないか、と云われていますが
その可能性もありそうです(参照
ここで説明されているように
幕末に出石で病が流行していたとすれば
上の短刀の銘が切られた嘉永七年(1854年)
にもまだ続いていたことも考えられます
もしそうだとしたら
参勤交代で江戸(武蔵国)に上った際に
当時の幕府お抱え工である
石堂運寿斎是一に奉納刀を打ってもらい
それを出石に持ち帰り
流行病の鎮静を祈願して神社に奉納した
ということは充分考えられるのではないでしょうか







因みに、これは出石の旧家から出た当時の読本です
題は「野居鷹(のずえのタカ)



 発刊されたのは文化五年(1808年)
画工は、かの有名な葛飾北斎であります
江戸深川で発刊されたことが記されていますから
この本も江戸から出石に運ばれてきたことになります
見開いた右上に判が押されていますが
但州出石 サシガネに▲の下に米太とあります






この読本は、四巻が綴じられていて
貸し本とされていたようです
上の「米太」という判は
ここに書かれてある田米屋という貸本屋
のものなのかもしれません
各巻の最後に上のように
「帙本何方(いずかた)へ御かし(貸し)
申候共(申しそうらへども)相済み候はば(そうらはば)
早々御返し下され
(たく)候也(なり)
と注意書きがなされています

2011年4月22日金曜日

千代鶴是秀と運寿是一

HPの「日本刀について」で述べている
石堂運寿斎是一の短刀が今回の篠山刀剣会で
鑑定刀として出されました





写真では分かりにくいですが
地鉄じがねは大変美しく
新々刀期のものとは思えず
大阪新刀や肥前刀と見紛うほどでした
刃文はもんの匂いは深く(刃文が太い)よく揃い
刀工の腕の良さが表れています
新刀期の大阪新刀や肥前刀の刃文にくらべると
やや刃文の明瞭さに曇りを感じますが
匂いの深い丁子刃文に沸にえ
付けることができるのは
江戸石堂派ではこの運寿是一だけだそうで
幕府の抱え工になったのも頷けます


 運寿是一は奉納刀も多く打っているということで
これもその一つのようです
この添え銘は何と読むのでしょうか
「出石石医命」でしょうか・・判然としません

後記:コメント欄でご教示頂いたように
これは「奉 出石侯命」が正解だと思われます
くずし字辞典で「侯」のくずしにこの字が紹介されていました


中心なかごの棟側には
嘉永七年ハ月日と年紀が切られています
(嘉永七年は西暦1854年)

「日本刀について」でも述べていますが
刃物鍛冶で有名な千代鶴是秀(明治七年生まれ)
父親(二代目綱俊 運寿是俊)の弟
つまり是秀の叔父(八代目 石堂寿永)は
石堂運寿斎是一の弟子です
是秀はこの叔父に入門しています
是秀が入門した頃は石堂是一も健在だったので
是秀はおそらく両人から指導を
受けていたものと思われます
ですから、是秀の打った刀が古刀として見られた
という逸話も本当かもしれません

参照:千代鶴是秀作鉋身


2011年4月18日月曜日

篠山刀剣会 例会


平成二十三年四月十六日
篠山刀剣会の例会が行われました




 
今回の鑑賞刀五振り





 このように刀の地鉄じがねを観察したり
前方に提げられている白熱電球の光を
当てて刃文を見、刀が打たれた時代と作者を
推測するゲームです(参照





その内の一振り
姿・形から鎌倉時代中期頃のものかと思いましたが
手持ちが重めでガッシリとしていたので
私はもう少し時代を下げ
南北朝期のものを磨り上げたものかなと判断しました
これが間違いの元でありました






 刃文は匂い出来で
地鉄に乱れ映りうつりが顕著なので
備前(岡山県)ものというのは間違いないでしょう
地鉄がやや肌立っていて
刃文に片落ち互の目風のものが
観察できたので南北朝期の兼光に入札しました
鑑定用語参照
返答は「能候よくそうろう」でありました
能候は、時代と国は合っているが
作者あるいは流派が違っているという意味です

ということは、備前ものの古刀は間違いなく
兼光とは違った流派の刀工か
兼光と同じ長船おさふね派でも時代が違う
刀工ということになります

南北朝よりも時代が下がることは
考えられないので、時代を上げ
鎌倉時代ということになると
最初の印象どうり鎌倉時代中期頃となりそうです
この時代の長船派では光忠か長光などが
該当しますが、刃文と帽子の様子から
光忠に入札しました
判者の返答はまたも「能候」でした

ということは流派が違うということになります
そうすると一文字派しか考えられません
最後の入札でなんとか当てることができました

この刀は無銘で吉岡一文字に
極められているものでした
吉岡は地名だということです
手持ちが重めでガッチリとしているのは
吉岡一文字の特徴だということでした
勉強不足でした・・




今回の講師は姫路から来て下さいました
こうして解説をしてもらうと
なるほどと判ったつもりになるのですが
次回白紙の状態で見ると
何がなんだか?に逆もどり
これはいつものことで・・・ 




刃文を観察していられるのは
毎回指導に来て下さる
日本美術刀剣保存協会
兵庫県支部の支部長

日本刀は武器としての機能だけではなく
信仰の対象であり、鑑賞の対象でもありました(参照
刀の鑑賞は平安時代から行われており
その間千年以上、多くの目利きに見られ
見て見て見尽され、格付けされてきました

これは日本人の美意識の
不動の物差しとも云えるものです
こういったものを身に付けることで
少しでも自分の作る楽器のレベルが
上がらないものかと
藁にすがっているのであります・・

今回出された運寿是一について



2011年4月17日日曜日

桜、サクラ、さくら!

3日前になりますが
4月14日は淡路島を縦断してきました
と言っても、四国の徳島県に用があったので
車で高速道を走り抜けただけですが・・
 丹波篠山から約1時間
淡路島北端に位置する
淡路パーキングエリアで休憩・・
見えている橋は、世界最長の吊り橋とされる
明石海峡大橋


 淡路島の山々は山桜で賑わっていました

パーキングエリアにも
山桜が植えられていました
桜の専門家によると
桜の種類は300種以上あるということです
これはおそらくオオシマザクラかな・・

オオシマザクラにしては
香りがしなかったので
違う種類かもしれません

こちらは徳島県北部の公園で見かけたもの
これはすばらしい香りが一帯に漂っていたので
間違いなくオオシマザクラでしょう 


帰りには、行きと同じ淡路パーキングエリア内にある
オアシスという休憩所に寄ってきました



 無事篠山に戻りました
篠山はまだ気温が低いので
山はまだ緑が少ないですね
咲いているのは、ほとんどが辛夷(こぶし)です

篠山では 山桜はこれからで
ソメイヨシノが満開でした
この小川は、夏になるとゲンジボタルが乱舞する
ホタルの名所でもあります

2011年4月14日木曜日

月と花、そして蜘蛛 

近所に辛夷(こぶし)の木があります
まだ花が満開です

夕方5時半
辛夷の木の上方を見上げると
月が出ています

この月を
辛夷Kobushiの木の下方から覗いたら
宗達風の構図になるのではと思い
カメラを向けてみましたが・・
やはりダメですね・・

辛夷を撮り終えて
工房に戻る途中
満開の桜の木がありました
これはどうやろ・・
とカメラに収めたところ
(カメラといっても安物のデジカメですが)
偶然、桜の枝に蜘蛛が巣を架けていて
その蜘蛛も写っていたのです

これはおもしろいのではないでしょうか・・
宗達も驚くか・・

ここで一句・・

桜花 蜘蛛の糸掛け 月跨ぐ
                           棚柿音(たなかきおと) 


2011年4月13日水曜日

江戸中期の絵師 長沢芦雪

別冊「太陽」で特集された長沢芦雪(ろせつ)
芦雪はここ丹波篠山(笹山)に縁があるのですが
(父親が青山下野守の家臣とされている)
恥ずかしながら私は芦雪のことは全く知りませんでした

宝暦四年(1754年)に生まれた芦雪は
亡くなったとされる記録が二件あり
34歳か46歳ということになっています
死の原因も自殺説もあるようですね・・

芦雪はかの有名な円山応挙の弟子で
ですから、応挙風の緻密でかっちりとした
絵も描いていますが
宗達のような琳派風のものも見られます





この月下桜図屏風(部分)には
琳派風の雰囲気がありますね・・
参照
平安時代から続く大和絵や
その流れを汲む琳派の絵も
ちゃんと勉強していたことが伺えます






芦雪は29歳で絵師として独立した後の
天明六年(1786年)から五ヶ月間
南紀(和歌山県南部)に滞在しています
この絵は南紀に出向いて間もなく描かれたものです
この絵をみて何だろう?と思ったのですが
実はこれは捕鯨の様子を描いたものなのです
手前の黒い山のようなものがクジラなのですね
この大胆な構図には驚きました
これは芦雪の真骨頂といったところですか・・

2011年4月11日月曜日

丹波篠山の桜


春はあけぼの やうやう白くなりゆく・・

近所の一本桜
ようやく八分咲きといったところでしょうか 





このソメイヨシノは
香りもいいのです





遠くに先日紹介した高城山が望めます
辛夷(こぶし)の花がさらに増えているようです
犬のテンも見えますね・・・



2011年4月9日土曜日

工房の様子 手ごわい材・・モアビ

三台製作中の小型箱型ハープの側板は
二台はウォルナット、そしてもう一台は
モアビを使うことにしたのですが
このモアビが手ごわいのです
美しい玉杢が入っているのですが
強烈な逆目で、おまけガンコなのです
それほど堅いものではなく
小刀やノミで削る分には問題ないのですが・・

 なんとか逆目も止まり
仕上げることができました
立鉋は表面が荒れるので私は使いません
仕上鉋は粉末ハイス鋼の寸八
鉋身の仕込み勾配は九分(参照


 これは荒削りに使った燕鋼の鉋ですが
上の板(20cmx25cm)を1mmほど
削っただけで、ご覧のように刃先が白く摩耗し
切れが止まってしまいました
強靭な燕鋼がこれほどやられるとは・・

ですが、このモアビは見た目は美しいし
反応はほっこりとしていて
高音用の楽器には向いているような気がするのです

2011年4月6日水曜日

工房の様子 玉鋼の鉋

これは半年ほど前に手に入れた
玉鋼(和鋼)が使われた古い鉋です
寸六(身巾65mm)の一枚刃ですが

これがたいへん切れ味が良くまた削り肌が美しいのです
他に持っている玉鋼鉋のどれよりも優れています
玉鋼の鉋は研ぐのが難しいとか

研ぎ過ぎてはいけないとか
訳の分からないことを言う人がいますが
これは普通に研いでも何ら問題ありません




今日も硬いハードメープルを削りましたが


使い込んで刃先が白くなっているにもかかわらず
切れは軽く、削り肌は美しく仕上りました







銘は堺仁でしょうか
この銘についてご存じの方は
ぜひご教示お願い致します