2011年4月18日月曜日

篠山刀剣会 例会


平成二十三年四月十六日
篠山刀剣会の例会が行われました




 
今回の鑑賞刀五振り





 このように刀の地鉄じがねを観察したり
前方に提げられている白熱電球の光を
当てて刃文を見、刀が打たれた時代と作者を
推測するゲームです(参照





その内の一振り
姿・形から鎌倉時代中期頃のものかと思いましたが
手持ちが重めでガッシリとしていたので
私はもう少し時代を下げ
南北朝期のものを磨り上げたものかなと判断しました
これが間違いの元でありました






 刃文は匂い出来で
地鉄に乱れ映りうつりが顕著なので
備前(岡山県)ものというのは間違いないでしょう
地鉄がやや肌立っていて
刃文に片落ち互の目風のものが
観察できたので南北朝期の兼光に入札しました
鑑定用語参照
返答は「能候よくそうろう」でありました
能候は、時代と国は合っているが
作者あるいは流派が違っているという意味です

ということは、備前ものの古刀は間違いなく
兼光とは違った流派の刀工か
兼光と同じ長船おさふね派でも時代が違う
刀工ということになります

南北朝よりも時代が下がることは
考えられないので、時代を上げ
鎌倉時代ということになると
最初の印象どうり鎌倉時代中期頃となりそうです
この時代の長船派では光忠か長光などが
該当しますが、刃文と帽子の様子から
光忠に入札しました
判者の返答はまたも「能候」でした

ということは流派が違うということになります
そうすると一文字派しか考えられません
最後の入札でなんとか当てることができました

この刀は無銘で吉岡一文字に
極められているものでした
吉岡は地名だということです
手持ちが重めでガッチリとしているのは
吉岡一文字の特徴だということでした
勉強不足でした・・




今回の講師は姫路から来て下さいました
こうして解説をしてもらうと
なるほどと判ったつもりになるのですが
次回白紙の状態で見ると
何がなんだか?に逆もどり
これはいつものことで・・・ 




刃文を観察していられるのは
毎回指導に来て下さる
日本美術刀剣保存協会
兵庫県支部の支部長

日本刀は武器としての機能だけではなく
信仰の対象であり、鑑賞の対象でもありました(参照
刀の鑑賞は平安時代から行われており
その間千年以上、多くの目利きに見られ
見て見て見尽され、格付けされてきました

これは日本人の美意識の
不動の物差しとも云えるものです
こういったものを身に付けることで
少しでも自分の作る楽器のレベルが
上がらないものかと
藁にすがっているのであります・・

今回出された運寿是一について



4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

1号刀ですね。
吉岡、福岡、岩戸
福岡一文字しか拝見したことがありません。
地鉄のいろが黒い様に思いますが、光線のせいですか?
キヨンドさんがいわれるように、私も説明を受けたその時は納得するのですが、直ぐに真っ白になります。
先日、本部に飾っていたお刀が、出てきたのに、外してしまいました。バーカと言われそうです。
光線の加減、場の雰囲気、それを持参した人により、違ったものに見えるようです。
あるデパートの展示即売会の際、作業着の格好で重要刀剣をふた振り持っていって、売るふりをして見てもらったところ、数百万円のお刀を偽物とし、10万円とされました。
これは、服装のせいかと思い、別の方がもっと凄いお刀を見てもらっても、やはり、吝嗇(けち)をつけられ、同じように10万円の評価でした。
なるほど、これが商売人の手口なんだなと納得した1日でした。
もっともっと勉強して人間の幅を広げないといけませんね。
           源 信正

kiyond さんのコメント...

一号刀ですね。
地鉄は特に黒いということはありませんが
この角度で撮影するとこんなものでしょうね。
白熱灯で見てもこんな感じです。
佩き表の写真の物打ちあたりに鮮明に映りが写っています。
五号刀は、私は初めて目にしたものですが新々刀の石堂是一です。
出来はすばらしく、地鉄は肥前刀や大阪新刀のように美しく
刃文も匂いが深く見事でした。
ですから入札ではこのあたりをうろうろして三振でした。

匿名 さんのコメント...

石堂是一は初代なのですか?
江戸の長船ですね。
これも、現物は見たことはありません。
刀剣美術の誌上鑑定で、紀州石堂を調べたくらいです。
槍が出るなど、とてもユニークでかなりレベルも高そうな
名刀鑑賞会です。
いいな~
      源 信正

kiyond さんのコメント...

新々刀期なので、江戸石堂としては七代目の
石堂運寿斎是一です。
嘉永七年の年紀が切られています。
HPの「日本刀について」でも少し述べていますが、
刃物鍛冶で有名な、明治七年生まれの千代鶴是秀の
父親(二代目綱俊 運寿是俊)の弟、つまり
是秀の叔父(八代目 石堂寿永)は石堂是一の弟子です。
是秀はこの叔父に入門しています。
ですから、是秀の打った刀が古刀として見られたという
逸話も本当かもしれません。
http://www6.ocn.ne.jp/~kiyond/nihontou.html