2011年6月30日木曜日

初代・金井芳蔵銘の寸八鉋


初代・金井の寸八鉋を手に入れました


この画像の刃は研ぎ上げた状態です

鉋身の鎬幅を狭くし

裏押しを済ませ
これから研いでいきます
動画をUPしました

 これは中研ぎで、シャプトン社の
「刃の黒幕」1000番で研いだ痕

 同じく「刃の黒幕」1500番の研ぎ痕

中研ぎの最後
人造中名倉「京東山」2000番の研ぎ痕
やや針気がありますが
鋼には及んでいません

そして仕上研ぎに使った
京都梅ケ畑、中世中山間府の
天井巣板で仕上げた状態
この鉋は研ぎやすく
独特の粘りを感じます

 天井巣板で鋼が鏡面近くまで仕上がる
というのには驚きます
しかも短時間でここまで
研ぎ上がるのです
これにはたいへん助かります

この鉋を使ったメープル材削りの
動画をUPしました

1977年製スウェーデン鋼の
鉋と削り比べもUPしております

動画で削った後の
初代・金井鉋の刃先の状態
鋼は昔の安来鋼・青紙らしい
まだまだ切れます

こちらは同じくスウェーデン鋼の鉋
こちらもまだまだ刃先は大丈夫です

初代・金井とスウェーデン鋼の鉋は
削った感触はかなり違った印象を受けます
どちらも軽い切れなのですが
初代・金井には粘りを
スウェーデン鋼には鋭さを感じます

5 件のコメント:

halu さんのコメント...

削りの動画も見ました。
軽そうですね。

体力がなくなってくると切れる道具の必要性をひしひしと感じます。
普段の仕事の天板削りなんかより薄板削りのときのほうが切れが必要で以前のように人間超仕上マシンというわけに行かなくなってきました。
腕力で仕事をするには限界がありますね。

精進しなければと思いました。

楽器製作家 田中清人 さんのコメント...

ローズウッドのような堅木を削るときなどは
力だけでは足りず、気合いで削らなければ
荒削りなんか出来ませんものね・・
おっしゃるように、薄板削りはとくに大変です。
そういった時に古武術家の甲野善紀さんの
体使いの理論はたいへん参考になりました。
おかげで体を痛めることもなくなりました。

halu さんのコメント...

私も長時間の削り作業をするときは自然と脚から腰、胴、腕と順番に身体を動かしています。
これは小学校から大学まで格闘技や競技スキーに明け暮れたおかげだと思ってます。
しかし難点もあり。
やりすぎで肘や膝などの古傷が痛みます。

一生仕事をするために切れる刃物はとても大切ね。

最近刃の着きを確認するために紙のコバを切ってみていますが中世中山のすごさを改めて認識しています。
最終仕上に中山を使うと短時間で刃がつきますね。
コバに押し当てるとほんのわずかな抵抗を感じるもののスーッと刃が紙に入っていきます。

まさに異次元です。

匿名 さんのコメント...

http://www.k3.dion.ne.jp/~j-gunto/gunto_028.htm
前にご紹介しました軍刀のページですが、完成度、その熱意には脱帽です。管理者の O氏は。お父上がアッツ玉砕の犠牲者となっていますが、その時2才だったそうです。そうするとアラFOURTYならぬアラSEVENTYとなります。
私たちの年齢50才60才ぐらいで フーきついきついなどと言ってたら、 O氏 から笑われそうです。
O氏に金属組成についてご質問したところ、チタンと銅に関しては文献がありますが、大江山界隈の鉱物 クロム、ニッケル、モリブデンに関しては研究論文を目にしていないとのことで、面白い切り口であるとも言われました。
先日長崎の御刀の師匠から、3億円あったら何に使うと聞かれたとき、古刀の成分分析の研究にしたい と答えたところ、あなたらしい と言われました。
現在常識となっているものをひっくり返すような何かで、世の中に貢献できることをひとつでも残したいものです。
            源 信正

楽器製作家 田中清人 さんのコメント...

チタンは古代の鉄の分析でも確認されているようですね。
また、東北の餅鉄には自然の状態で酸化チタンはじめ
タングステン、ニッケル、クロム、バナジウム、コバルト
などが含まれています。
人間国宝の天田昭次氏の著書「鉄と日本刀」では
昭和34年に発表された久我春(はじめ)氏の
「鍛刀用の砂鉄とチタニウム」という論文の
ことが取り上げられています。
その論文の主旨は、古刀の地鉄の再現はチタンによって
可能であるというものですが、
天田氏は様々な実験を行い、結果、チタンを人為的に
注入しても古刀の地鉄は得られないと結論付けられています。
ただし、鉄の原料に含まれている酸化チタンは重要で
これをいかに残していくかということがカギになるとしています。
モリブデンは人為的に混入することで効果を得ていますので
古代の人がこれを行ったのかどうか、ということですね・・
しかし、出口王仁三郎の発言の根拠は何だったのでしょうかね・・