2011年11月19日土曜日

駒王丸と高麗王若光 その1

次に製作の予定である平家琵琶の撥面には、
木曽義仲に因んだ絵を描くことにしています、それで、いま木曽義仲のことをちょっと調べています。
琵琶を依頼して下さった方から、義仲の幼名は駒王丸(こまおうまる)であるということを教えてもらっていたので、どうしてそのような幼名が付けられたのかも知りたいと思い、調べ始めたのですが、手立てがほとんどないのです。
そういうことなので、こまおうまる コマオウマル・・・と
念仏のようにブツブツ云いながら本棚を眺めていたら、以前、滋賀県にある渡来人歴史館で買っていた高麗王若光(こまおう じゃっこう)に関するDVDが目に入ったのです。コマオウ! 近い! もうちょっとでコマオウマルではないか・・・ということで、早速そのDVDを見直したのですが、最初に高麗、許麻、巨摩、狛、駒、という字が紹介されているのです・・
どれもコマと発音します。このコマという発音に様々な当て字が付けられているのですが、漢字の意味はそれほど重要ではなく、コマという発音が重要なのは想像がつきます。
許麻、巨摩は地名によく見られます。狛は神社の狛犬のコマですね・・
そして駒は「ヒョウタンからコマ」の駒で馬のことです。







2 件のコメント:

源信正 さんのコメント...

http://ushidon.sakura.ne.jp/bookroom1/kamakura/book-37.html
PHP BOOKにもありそうですね。
巴御前も外せないし、・・・
駒王丸のコマは騎馬民族の高句麗というところは流石キヨンドさん。
当時の日本の馬はポニーのような大きさでしたが、高句麗の馬のようにアラビア馬の大きさで表現できたらいいですね。

楽器製作家 田中清人 さんのコメント...

ありがとうございます。
おっしゃるとうり、高句麗は北方騎馬民族だったようです。
一方、源氏のルーツも朝鮮半島と思われますが、こちらはどうも新羅系のようです。
ですが高句麗となんらかの繋がりはあると思うのですが・・
高句麗本紀には卵生神話が記されていて、それは新羅の皇子とされている天日槍の古事記の物語によく似ているのです。
そういった重層性から何か見えてくるかもしれません・・