2015年12月29日火曜日

工房の様子 大掃除 そして特注マンドラ

昨日28日
大掃除を行い新年を迎える準備ができました





こちらは特注マンドラの
指板を削っているところ






セッティング完了


そしてニカワ接着
接着の様子は、以前ギターで行ったものを
YouTubeにUPしていますので



アーム・レストを接着するための
土台を作っていく




接着完了


ニス塗りにかかります


2015年12月27日日曜日

細工所という地名について

ここ兵庫県篠山市には
細工所という地名があります
この地名は全国各地にあるようですが
地域によって作っていたものは違っていたものと思われます
では、ここ丹波篠山の細工所では
何が作られていたのか
ちょっと気になったので調べてみました

まず昭和33年に発行された
奥田楽々斎著「多紀郷土史考」をめくってみると
内職として人形を作っていたとありました
ではどのような人形を作っていたのか
は、説明がありません・・
篠山には近年まで当地の特産物である
雲紋竹を使って竹人形を作っていたそうですが
そのことでしょうか・・

他にどのような人形作りがあったのか
ちょっと調べてみましたが
職人尽図の類と歌合には不思議なことに一件も見当たらず
仕方がないので他のものを・・と本を漁っていたら、ようやく
人倫訓蒙図彙にありました
以下、3件の図は人倫訓蒙図彙から引用


「人形師:諸々の人形これをつくる。
小(ちいさき)を芥子人形といふ。
また操(あやつり)人形、指人形等あり。
寺町通をはじめ所々に住す。富島和泉是細工人也。
今麩や町小路下に住す。張抜人形所々に造る。」
と説明されています

雛人形を作る雛師は別に紹介されています
「雛(ひいな)師:紙ひいな、装束ひいなあり。
紙ひいなは紙をもて頭(かしら)を造る。
又ほうこのかしらこれをつくりて、
ひいなや(雛屋)にうる(売る)也。
雛屋これをもて品々仕立あきなふ也。」
と説明されています


それから、昭和40年に刊行された「日本の職人」には
人倫訓蒙図彙にないものが紹介されていました



以上ですが、ここ丹波篠山の細工所では
何が作られていたのでしょうか・・

2015年12月25日金曜日

滋賀県高島産の仕上砥について

昭和51年(1976年)に出された高島郡誌を入手
これは昭和2年(1927年)に発行されたものに
昭和47年に古代編と昭和編が増補されたものです

滋賀県の高島(現在は高島市)といえば
仕上砥石の産地として有名ですが
この高島郡誌では砥石については
1400ページ以上あるなかで
わずか8行だけでした・・

その件だけでも紹介しておきます


砥石
嘉永元年(1848年:江戸時代末)大供村九兵衛、今津村彦右衛門、
弘川村淡路、北仰村伯耆 四人相謀(はか)り、
川上山に砥石あるを掘出したるも、良品ならざるを以て、
善積庄支配山北方に移りて又掘り試みしが、
同じき不良のものなりしかば、
更に俵山南方に移りて稍(やや)良品を得て
爾来発掘を続けたり。
同二年十二月冥加銀百目宛を
毎年饗庭(あえば)庄に納入することを約せり。

元禄八年(1695年:江戸時代初期)の饗庭山論立会絵図に
追分村の西、川上あてび尾に合砥石あり。
北古賀村領堺蟻かこし谷 狼谷の間に荒砥石山あり。
其頃既に砥石山の存在する事は知られしかども、
採掘に従事したりや否や今知るを得ず。
朽木谷よりも出せり。其事輿(こし)地志略に見ゆ。

現在高島産の仕上砥は採掘されていませんが
産地としては妙覚山と相岩谷が知られていました
この二つの地名は現在の地図では表記なされていませんが
京都天然砥石組合から出されている
「京都天然砥石の魅力」では
所在地が地図に記されています
それを参考にだいたいの位置を
グーグル地図で示してみました



こちらは昭和58年(1983年)に刊行された高島町史
これは1036ページありますが
砥石に関する記述は1行だけでした・・
しかしながら、仕上砥を産する地層について
少し言及されていたので
以下、そこのとろを紹介しておきます








参考までに
これらは現在私の手許にある
相岩谷産の仕上砥です
なかでも上段左端の巣板と思われるものは
特に優れていて
いま、主力で使っているものです(参照


こちらは妙覚山のものですが
今は手許にはありません(参照

2015年12月24日木曜日

奥殿産戸前黄板をゲット 

さゞれ銘砥さんから手に入れた
奥殿Okudo産・戸前Tomae
奥殿産の黄板は珍しい
しかも上質

反対面の様子

やや硬めで、反応よく
滑らかな研ぎ感です

中砥(浄教寺砥)の研ぎ傷を
1分ほどでほぼ消すことができるほどの
強い研磨力があります

地鉄Jiganeには奥殿産独特の
やや荒めの研ぎ傷が付きますが
鋼Haganeはピカリと光るほどに
研ぎ上がっています

研いだ鉋身は義廣銘寸四


中砥ぎの様子
砥石は浄教寺砥Jokenji


ついでに青紙スーパー鋼の鉋(身幅55mm)も研いでみました

これは浄教寺砥で研いだ後
2分ほど研いだ状態
この鋼は焼きが甘いのか、中砥の傷が付きやすく
その傷を仕上砥で消すのに苦労するのです
その影響かあまり永切れしてくれず
優れた炭素鋼や青紙鋼の方がまだマシなのですね・・

これは現代製の東郷鋼の鉋にも言えることで
これらを使うよりは、燕鋼の方が永切れしてくれるので
ついついそちらを使ってしまうのです

これは粉末ハイス鋼の鉋(身幅55mm)

研ぎ面を狭くしているにも関わらず
よく反応してくれます
これで1分ほど研いだ状態
ハイス鋼独特の研ぎ上がりですが
鋼の研ぎ傷はほとんど消えています

ということで
この奥殿産の戸前・黄板は
たいへん優れているので
主力としてしばらく使ってみることにしました
それにあたり、このように使い易い大きさにカットしました
小さい方はノミ、小刀専用として使えます

2015年12月20日日曜日

久しぶりに東寺へ・・

二日前、知人が関西に来るというので
大阪空港で合流
その後、京都を案内しました

まず行ったのは東寺
東寺には弘法市の際に何度か足を運んでいますが
こうしてじっくりと拝観するのは初めて





金堂と講堂の仏像群には息を呑みました・・
以下の写真はパンフレットから部分転載




これは柱の基壇でしょうか・・

弁才天堂の脇に生えている木

帰りの道中の月