2011年6月11日土曜日

仕事の合間にちょっと京都まで・・・


今日から始まった
木工と染色二人展を見に
京都Gallery YDS まで足を運んでみました
6月19日まで開催されています

木工作家・徳永順男
染色作家・平金有一

二階が染色工房になっており
町家風の一階がギャラリーになっています
家紋の梅は私の実家と同じですね・・


玄関から展示会場までの廊下にも
ご両人の作品が並んで置かれています




ここは中庭でしょうか・・?


そこの、敷かれた玉石の上に
舞台が設われ、その一角で徳永さんが
カンナ・フィニッシュをやっていました

来場者は徳永氏の作品である椅子に腰をかけて
ゆっくりと作業を見るという趣向

大きな長椅子の存在感に圧倒され
近付くのが憚られるほどです・・


奥の間には平金氏の作品が
主に展示されていましたが
初めて目にした氏の作品に
目を奪われてしまったのです・・
畳に敷いてある絨毯は、氏のデザインを
絨毯作りの本場であるペルシャなどで
作ってもらったものだということでした
そのデザインの大胆さと美しさにも驚きました




カンナ・フィニッシュのための 
徳永氏自作の特殊鉋
ダリの絵を見ているようです・・・
鉋身は大原康彦氏作


作業をしているすぐ脇には
 研ぎ台が置かれています


 そして足元の鉋屑(欅・ケヤキの木)
これを貰ってきて


 顕微鏡で覗いてみました(400倍)
厚みが50ミクロンほどあり
顕微鏡観察の試料としては厚めなので
ピントを合せるのがやや難しい・・


 縦方向の木繊維の途中にある
横方向の放射状の組織が見えます
参照


これは600倍で覗いたもの
中央やや上の部分に
以前紹介したスプルースに見られた
丸い細胞のようなものが確認できます

2011年6月9日木曜日

縄文時代草創期の石器工房跡


奈良県で発見された
縄文時代草創期(約1万5千年前)の
石器工房跡から出土した石器を見に行ってきました

場所は奈良県生駒いこま郡三郷さんごう



展示会場の三郷町文化センター


すぐ脇を大和川が蛇行しています


石器工房跡の出土状況(写真パネル)
石器の素材はほとんどがサヌカイトでしたが
サヌカイトはこの遺跡群からほど近い所にある
二上(にじょう)山から運ばれたものと思われます
二上山はサヌカイトの産地として著名なのです




サヌカイトは本来黒っぽい色をしていますが
出土品は風化して表面が白く変色しています

割れた断面も変色しているので
この石器はもともと割れた状態で
あったことが分かります

この石器は失敗作であろうと
解説されていましたが
私もそう思います
私もこれまで古代の技法で
多くの石器を作ったことがありますが
上の写真の左のもののように
あと少しで完成という時に
最後の打撃でパカリと割れてしまうことが
よくあるのです・・涙・涙・・

それから、エッジからの割れが
途中で止まってコブ状になっていますが
これもよくなる状況なのです
これを割り除くことは至難の技で
古代の人もこれで苦労したんだな・・
ということがよく分かります
なんだか安心しました・・






参考までに上の写真は
二上山産のサヌカイトの原石で
側は風化して出土した石器のように
白っぽいですが
内部はご覧のように黒い色をしています


有舌尖頭器の出来上がり





これは石器工房跡から出土したもの
唯一サヌカイトではない素材で作られたものです
石はチャート(石英質)と思われます
この石はここ丹波篠山の山でもよく見られます


2011年6月8日水曜日

金井鉋 おそるべし

今では幻の鉋となりつつある
金井芳雄作の寸八鉋を
運良く手に入れることができました

 鉋身を自分好みに研ぎ上げ
台の仕込みを大まかに仕上げただけで
このように軽く薄削りができました
削った板はパサパサのスプルースで
薄削りにはあまり向いていないのですが・・

haganeは安来鋼の青紙系と思われますが
青紙系の鋼の鉋は他にも優れたものを
持っていますが、これには及びません・・
初代金井芳蔵のものほど
永切れはしませんが
仕事では充分使えます

パサパサのスプルース材が
このように美しい艶に仕上がりました

刃の研ぎ角度は
自分好みに変えました(約28度)


参考までに、この鉋は
35年間惜しみながら大切に使ってきた
三代目・千代鶴 落合宇一作の寸八です
台は名古屋の青山鉋さんに
打ってもらいました
鋼はスウェーデン鋼と思われます
以前のブログでも紹介しています(参照
この鉋はギターの響板の
最終仕上げ用として
使っているものです
2mmほどの薄い板を削るので
刃の両側は多めに研ぎ落としています

切れ味、削り肌の艶
共に金井鉋と甲乙付け難し
といったところです

そしてこれは光弘銘の寸八です
鋼は炭素鋼系ですが
この鉋も素晴らしい切れ味です


金井鉋といい勝負か・・

他に、今めきめきと頭角を現して
いる石社ishikoso氏作の鉋もありますが
今は訳あって知人の所へ行っています
戻ってきましたら
これも紹介したいと思います

2011年6月4日土曜日

但馬国の毘沙門天

今昔物語 巻十七
 
於但馬国古寺毘沙門伏牛頭鬼助僧語
(但馬国たじまのくにの古寺に於いて、毘沙門びしゃもん
牛頭ごづ鬼を伏し、僧を助ける物語)

今は昔、但馬の国(兵庫県北部)の〇の郡こおりの〇の郷さとに一の山寺あり。起こりて後百余歳を経にけり。而るしかるにその寺に鬼来り住て、人久しく寄り付かず。而る間、二人の僧有けり。道を行くにその寺の側を過る間 日既に暮れぬ。僧ら案内を知らざるに依て、この寺に寄て宿りぬ。一人の僧は年若くして法花の持経者なり。いま一人の僧は年老たる修行者なり。
夜に入ぬれば東西に床の有るに各々居ぬ。夜半に成ぬらむと思ふ程に、聞けば壁を穿うがちて入る者有り。其の香 極て臭し。その息牛の鼻息を吹きかけるに似たり。然れども暗ければ、その体を何者とは見ず。既に入り来て若き僧に懸かる。

僧 大きに恐ぢ怖れて、心を至して法花経を誦じゅして助け給へと念ず。而るに此の者若き僧おば弃てすて、老たる僧の方に寄ぬ。鬼 僧を掴み剝はぎて、忽ちに噉ふ(くらう)。老僧 音を挙て大き叫ぶと云へども、助くる人なくして遂に噉わるぬ。若き僧は、老僧を噉畢くらいおわらば 亦我れを噉はむ事疑ひあらじと思て、迯にげるべき方思ねば、仏壇に掻き登て、仏の御中に交て、一の仏の御腰を抱て仏を念じ奉り、経を心の内に誦して、助け給へと念ずる時に、鬼 老僧を既に食畢おわりて、若き僧の有つる所へ来る。

僧 此れを聞くに、東西思ゆる事なくして、尚心の内に法花経を念じ奉る。而しかる間、鬼神 仏壇の前に倒れぬと聞く。その後 音も為さずして止やみぬ。僧の思はく、此れは鬼の 我が有り所を伺ひ知らむと思て、音を為さずして聞くなめりと思へば、弥いよいよ息音を立てずして、只仏の御腰を抱き奉りて、法花経を念じ奉て、夜の曙あけるを待つ程に、多くの年を過すと思ゆ。更に物思えず。辛くして夜曙ぬれば、先ず我が抱き奉れる仏を見れば毘沙門天にて在ます。 
仏壇の前を見れば、牛の頭なる鬼を三段に切致して置たり。毘沙門天の持ち給へる桙ほこの崎に赤き血付きたり。然れば僧、我を助けむが為に毘沙門天の差し致し給へる也けりと思ふに、貴く悲き事限なし。現はに知ぬ。此れ法花の持者を加護し給ふ故なりけり。
令百由旬内無諸哀患(という九字修法)の御誓違はず。

其の後 僧は人郷(里)に走り出で、此の事を人に告ぐれば、多くの人集まり行きてみれば、実に僧の云うが如し。此れ稀有のことなりと口々に云い喤る(言い合う)こと限りなし。僧は泣々く毘沙門天を礼拝して其の所を過ぬ。其の後其の国の守〇の〇と云ふ人、此の事を聞て其の毘沙門天を将(承け・うけ)たてまつりて、京に迎へ奉て本尊として供養し恭敬し奉けり。
僧は弥いよいよ法花経を誦して怠ることなかりけりとなむ語り伝へたるとや。



2011年6月3日金曜日

偶然の産物 合掌のオブジェ


Boxハープの構造材の切れ端を



このように接着して 





表面をちょっと仕上げてみたら 





オブジェらしきものに・・・
題して合掌