2020年8月5日水曜日

19世紀ギターのブリッジ接着

蝉しぐれが
大きくなるほどに
脱け殻があちこちに


工房では、製作中の
19世紀ギターの
ブリッジを接着
こちらは
ミルクール・タイプ
Mirecourt 弦長625mm


そしてラコート・タイプ
Lacote 弦長630mm 

ブリッジはダブルホール

因みに、ダブルホールは
19世紀にもありました

そして
ミルクール・タイプの
装飾部分を作っていく

木工旋盤で加工し
半分にカットする

出来上がり






2020年8月4日火曜日

ツユクサの花に蟻 そして霊芝

工房でくつろぐ
ネコの検査官
エアコンの風の真下
アタシの特等席

嫌がらせをされても
ガマンをするが・・

怒りのアマビエは恐い

白い斑madara
が入った葉のツユクサ
花にアリが這っていた

動画UPしました


これは近所の
枯れかかった街路樹に
着いていた霊芝
サルノコシカケ

草を取り込んで
大きくなっているのが
興味深い






この穴は太めの茎の
植物があったもの
と思われる



2020年8月3日月曜日

画家 中村正義の生涯を描いたDVD


以前紹介した
長谷川利行の絵に
大きな刺激を受けたとされる
中村正義の
DVD化され販売されている
ということを知り、早速
取り寄せた
この映画のBGMが素晴らしく
サウンド・トラック版CD
は何度聴いても飽きない
曲は作曲家でもある
チェリスト丸山朋文

中村正義の19歳のときの作品
タイトルは早春
1943年(昭和18年)
この空気感
透明で純粋な感性は
中村正義の個性とも言える

1946年(昭和21年)
戦後間もないときの作品
タイトルは斜陽(日本画)
第二回「日展」で初入選
その後日本画家
中村岳陵に師事

同じ年の日展に出品された
佐竹徳の油絵(洋画)
個人的にはこちらの方が
好きである
佐竹徳は中村正義よりも
27歳ほど年上

翌年1961年(昭和36年)
中村正義は36歳という若さで
日展(第三回新日展)の
審査員長に抜擢されるも
日展の裏側の
醜い面を知り幻滅
権威主義にも反発を覚え
日展はじめ師の画塾からも
脱退、無所属となる

この作品は無所属となった
翌年1962年に描かれた「花」
中村正義の作品は
これを機に大きく変貌
日展の権威主義に
反発するように
グロテスクな
作品が多く描かれた
それらの作品は私には
耐えられないので
ここでは紹介しませんが
中村正義の才能を認める
他分野の人々から依頼を
受けるようになり

1964年(昭和39年)
40歳のときに映画監督である
小林正樹氏から
映画「怪談」の美術を
依頼される
この絵は映画第三話
「耳無し芳一の話」の
ために描かれた
「源平海戦絵巻」
五部作の一つ

この波の描き方などは
数多い日本の描き方

調べ尽くして独自のものを
創出した感がある

海戦の図


同じ年に描かれた水墨画
潚湘syousyou八景
明治から昭和にかけて
活躍した大家
横山大観の画題と描法を
踏襲したものとされている 

翌年1965年に
第7回現代日本美術展に
出品された大作「爽爽」部分

画壇から遠ざかって以来
実験的な技法、描法を
追求していたが
当然、そのような作品は
絵画市場からは
受け入れられなかった
そのような状況のなか
突如、親しい友人に
「オレは贋札を作るペテン師になる」と宣言し
若い頃に描いていた描法で
いわゆる「売り絵」風の
作品を発表
最初の作品「雪景色」が
高値で取引され話題になり
個展の話が持ち上がり
数日で完売したという


一方で、このような
仏画も描いている
1972年48歳のときに
描かれた日本画「日月」

同じ年に描かれた「説法」
釈迦が弟子たちに
説法をしている様子

これは1962年
無所属になった翌年に
描かれた風景画
個人的に好きな絵

自然の石の模様
のようにも見える・・



2020年8月2日日曜日

新作 端材オブジェ 怒りのアマビエ

新作 端材オブジェ
怒りのアマビエ!


こちらは初めて使う
膠・ニカワのテストピース
を乗せておく台
動画UPしました
検査官も知らん顔・・


ニカワのテストピース