江戸時代末
文久bunkyu元年(1861年)
から二年にかけて
忍oshi藩(埼玉県)の
下級武士であった
尾崎石城sekijoは
絵が達者だったので
絵日記を書いている
その中から
文久二年四月九日の日記を紹介
夜、相談事があり知人の家を
訪ねるのだが
急な訪れにもかかわらず
酒と料理でもてなしてくれ
近所から赤貝まで届く
結局、ワイワイ、ガヤガヤと
夜中の12時過ぎまで
賑やかに過ごしている
またその家には大きな赤犬が
室内で飼われていて
名前は福という
この犬は家人同様に室内に居る
と日記に記されているのには
驚かされる
文は「今日はさけにて肴魚なしとて奴とうふ、海苔やきて酒出たるに、夜に入り近隣よりあさらけき赤貝送り来る。幸なりとて夫を料理し、また興を添て酌。此室と江都の事とも語談し夜の更るもしらず九つ(12時)に至りて辞しぬ。思ひくまの中々なきものを、あわれに犬の恩をしりりける。と古人の詠あり。此宿にも赤犬の大きなるを飼置、予かたはら迄もすすみ入りて家人のごとし。」
同じ頃、幕末から明治にかけての絵師
井上安治yasujiの版画
井上安治の師
小林清親kiyochikaの版画
どちらも明治時代の空
こちらは現代の
丹波篠山の空