古事記の有名な段、天照大御神が天の岩屋戸に籠った際に呼ばれた神に、鍛人(かぬち)の天津麻羅(あまつまら)、鏡を作った伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)、勾玉を作った玉祖命(たまのやのみこと)、鹿の肩甲骨で占いを行った天児屋根命(あめのこやねのみこと)と布刀玉命(ふとたまのみこと)、岩屋戸の前で踊った天宇受売神(あめのうずめのかみ)などがいます。
この内、占いを行った天児屋根命は九鬼家の祖とされていて、天宇受売神は前々回紹介した猿田彦(参照)とペアにされている女神です。
古事記・日本書紀では、朝廷に仕えた丹波出身の女性のことが多く記されていますが、その任務の主なものは大嘗祭などの神事で呪術を行うことだったとされています。伊勢神宮外宮の祭神である豊宇気毘売(とようけひめ)の本拠地(元伊勢)が丹波北部の丹後半島にあるのも、その一例です。
その神社とされる籠(この)神社(真名井神社)の主祭神は現在では豊受大神という男神とされていますが、もともとは女神の豊宇気毘売だったものと思われます。真名井神社の由来は真名井の水という湧き水がある所を神社にしたとされているのも、祭神は女神だった証拠となるものです。
また、この地には羽衣伝説があります。
この内、占いを行った天児屋根命は九鬼家の祖とされていて、天宇受売神は前々回紹介した猿田彦(参照)とペアにされている女神です。
古事記・日本書紀では、朝廷に仕えた丹波出身の女性のことが多く記されていますが、その任務の主なものは大嘗祭などの神事で呪術を行うことだったとされています。伊勢神宮外宮の祭神である豊宇気毘売(とようけひめ)の本拠地(元伊勢)が丹波北部の丹後半島にあるのも、その一例です。
その神社とされる籠(この)神社(真名井神社)の主祭神は現在では豊受大神という男神とされていますが、もともとは女神の豊宇気毘売だったものと思われます。真名井神社の由来は真名井の水という湧き水がある所を神社にしたとされているのも、祭神は女神だった証拠となるものです。
また、この地には羽衣伝説があります。
神女?の舞はいわゆるお神楽しかみたことがありません。
返信削除外の舞台での舞いは初めて見ます。そして、二人の舞までは見たことはありますが、4人の舞は始めてです。
雨の日でも外で行うのですか?
もしかすると、大嘗祭の時の写真ですか?
大和舞、風俗舞それとも五節舞の様子ですか?
???マークばかりでごめんなさい。
源 信正
写真は私が撮ったものではありませんが、
返信削除大和一宮、大神(おおみわ)神社の
4月に行われる例祭の模様です。
崇神紀に縁起があるので、かなり古くから
行われている神事だと思われます。
崇神天皇が大和に行幸して酒宴を催した際に、
献じられた神酒(みき)に対して歌った歌に
合わせて舞われるものだそうです。
舞っている巫女(みこ)が手に持っているのは杉の枝で、
酒造家の軒先に吊るされる杉玉の起こりとされています。
当時、このように舞う巫女に丹波出身の女性が
いたのかもしれません。