2010年9月19日日曜日

碧玉と九鬼水軍 その23 


中国遼寧省(地図参照)は朝鮮半島の付け根に位置していて、三つ巴紋の銅戈(どうか)参照)が出土した戦国時代(紀元前403~221年)は燕(えん)の国に属し、長城を境に
東胡と接していました。次の秦時代(紀元前221~207年)漢時代(紀元前206~紀元220年)もやはり北限として長城を境に北に匈奴(きょうど)、東は萁子朝鮮(きし・ちょうせん)に接していました(参照)。



この図は紀元前3世紀の秦代から3世紀の魏代の中国人による東方異民族観(井上秀雄著「古代朝鮮」より部分転載)ですが、遼寧省付近は秦代には濊(わい)、漢代には倭(うばい)とされていたようです。濊も倭は同じ民族(発音も似ています)で、日本列島にも及んでいたという説が今では多く見受けられますが、戦国時代の遼寧省から出土した銅戈に三つ巴紋が鋳込まれているということは、秦代以前から朝鮮半島の一部と遼寧省を含む地域は日本列島と同じ民族圏だったということの裏付けとなるのではないでしょうか。
ということは契丹文書(参照・七段目)に記されているように、紀元前後の朝鮮半島の一部と日本列島は同じ民族圏だったということになるのです。




燕国の燕(えん)
このような想像上の四足の神獣でもあります


8 件のコメント:

  1. 銭(古銭)で歴史を科学する。いい発想ですね。
    確かに、経済は国の根源です。
    古墳からの発掘で(-100~300の間)中国銭が出てこないのはなぜだろう?
    戦争経済で考えると他国の戦利品は一種の宝物ではないんだろうか?
    それとも、あの世には、持って行かないという宗教観があったのであろうか?
    前方後円墳は日本と百済にしかないことから、-300以前に百済を日本の飛び地として開拓したと思っているので、百済時代の古墳から何かが出てくることを、期待してます。

    半島ドラマでは、(+300くらいの時代背景)小額の決済の時、斎の刀のような銭が使われています。???でしょう。

          源 信正

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  2. 今回は、先に紹介した三つ巴紋の茎の銅戈
    http://kiyond.blogspot.com/2010/09/blog-post.html
    について述べたもので、銭(銅貨)ではなかったのですが、
    刀子形の燕の銅貨などを調べてみてもおもしろいかもしれませんね。
    桓檀古記などで記されていることを考察してみると、
    紀元前後の日本はソロモン王のタルシン船団がアジア各地に
    作っていった植民地の一部だったとも言えるようです。
    そういった大きな流れから見ると、朝鮮半島の一部も
    日本も同じレベルで、紀元前300年頃だと、
    ドルメンの伝播と同じような流れで文化の流入があったものと思われます。
    とすると、百済に日本の飛び地があった可能性は低いように思われるのです。

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  3. うーんなるほど。
    蒙古班について考察すると、蒙古族、日本族、には顕著に現れますが、中国系、朝鮮系には少ないといいます。
    百済などの南部朝鮮系の人々にはどのくらいであらわれるのでしょう?
    しかし、なんで途中がなくて、蒙古と日本なんでしょうね?
    また。おととし、のことだったと思いますが、高校生が日本人の耳垢について連携して調べていました。
    乾燥型か湿潤型かということです。
    フォッサマグナの線の西部は、乾燥型、東部は湿潤型だったと思います。
    DNAの型あるいはいろんな症例で調べると、もっと簡単に調べらるのではないでしょうか?
    DNAについてはどこかの文献にはあるのでしょうが、現在のところ不明です。
    文化人類学的に見ると、日本は世界の人類の特徴を持っている不思議な民族である、ということを大学の教養課程で学びました。
    日本が人類の発祥なんてことになったら面白いんですが・・・現在のところアフリカから分岐してようです。
    もしかすると、九州南部がいろんなDNAの集合体だったりして。
          源 信正

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  4. 混血した場合の蒙古班の出方など知りたいですね。
    地球規模で調査をしてほしいものです。
    もしかして鎌倉時代の元寇の役のときに
    完全に日本はやられていたのか・・・

    どう見ても日本列島は文化の吹き溜ですからね・・
    その逆流現象が起こっているのは現在かもしれませんね。

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  5. 例の三つ巴紋はヨーロッパまで行きそうですね。
    ミケーネ文明のミケーネ宮殿遺跡・円形墳墓A出土の金製カップそして、ぺリステリア遺跡。トロス式墳墓3号墓出土の金製カップにも渦巻き文様が見えます。
    円形丸天井の円形墳墓の入り口は方形で、日本の前方後円墳にその形がよく似ています。
    装身具もまた、渦巻き模様です。
    ミケーネ文明が崩壊するときに脱出した人々が砂漠を超え、紅海、インド洋太平洋にわたり、日本に文化を伝えたなどと夢が膨らみます。
             源 信正

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  6. ご教示ありがとうございます。
    やはりギリシャまで遡りますか・・
    16弁の菊紋までありますね。
    それから時代は違いますが、新石器時代のギリシャの土偶は
    インダスのものとそっくりです。
    http://www.geocities.co.jp/Playtown/3457/greece/greece02.html

    またミケーネの石組や黄金の仮面を見ると
    インカのそれを連想してしまうのです・・
    ミケーネを滅ぼしたのが「海の民」だったというのも
    暗示的ですね。
    源氏と平家のように・・

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  7. http://www.ican.zaq.ne.jp/rekishi/index.html
    この先生に学ぶ高校の歴史は面白そうです。
    メソポタミアのアッシュルバニパル王の腕輪には16弁の菊紋が刻まれています。
    4・8・16は円の分割として簡単ですが、複雑な16で一致するとはこれもなにかの縁でしょう。
    好戦的なアッシリアの軍団が広大な東方に陸路だけでなく海路で軍団を送り植民地を作っていったと考えるのもいいかもしれません。
    いつのまにか、三つ巴紋から十六弁の菊紋に行ってしまいました。
    昨日古青江の御刀をまた、見せていただきました。
    とても刀身が健全です。
    そこで話題になったのが、刀剣の製造法です。
    http://www.k3.dion.ne.jp/~j-gunto/gunto_033.htm
    このサイトが私の刀剣観を変えてくれました。
    つまり、古刀と一枚鍛えと言うことです。
    古刀の刃から地の変わり目の美しく、自然で不思議な波紋の変化を求めて南北朝以降の刀工が努力しています。
    それを、必要に駆られて(極寒地での刀剣のもろさ)科学的につきつめたのが、旧陸海軍であったとは面白い。
    古刀と一枚鍛えについてどう思いますか?
         源 信正

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  8. ありがとうございます。
    こんな先生だったら退屈せずに授業が受けられそうですね。

    昨日は工房に来て下さった方を篠山の神社に案内したのですが
    篠山にも三つ巴紋の神社は多いのです。
    案内した神社は春日神社と二村神社ですが、
    さすがに春日神社は三つ巴紋ではありませんが
    三つ巴紋の二村神社は篠山市内に三社あるのです。
    本社と、室町時代の座争いで分社された二社。
    (この座争いの経緯は詳らかではありませんが、
    興味をそそられます・・)
    きのう訪れたのは、私が最も気に入っている味間にある
    二村神社です。写真は後ほどブログで紹介しようと思います。
    この神社は白髭(しらが)岳の麓にあり、この地域は銅を産出していた
    ということですから、白髭と銅とくればもうサルタヒコしか
    ありません・・
    ここ篠山には、天武天皇の世に、壬申の乱の際に天武天皇に
    協力しなかった隼人を篠山に追いやった歴史がありますが、
    天武天皇が遷都した近江の地には白髭神社があり
    祭神は当然サルタヒコであります・・
    近江と篠山のこの不思議な符合も追及してみたいことの
    一つであります。

    古代の刀の鍛造法については、真鍋刀匠をはじめ、
    現人間国宝の天田刀匠、故隅谷刀匠などの発言以上のものは
    ないのではないでしょうか。

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