HPの「日本刀について」で述べている
石堂運寿斎是一の短刀が今回の篠山刀剣会で
鑑定刀として出されました
写真では分かりにくいですが
地鉄じがねは大変美しく
新々刀期のものとは思えず
大阪新刀や肥前刀と見紛うほどでした
刃文はもんの匂いは深く(刃文が太い)よく揃い
刀工の腕の良さが表れています
新刀期の大阪新刀や肥前刀の刃文にくらべると
やや刃文の明瞭さに曇りを感じますが
匂いの深い丁子刃文に沸にえを
付けることができるのは
付けることができるのは
江戸石堂派ではこの運寿是一だけだそうで
幕府の抱え工になったのも頷けます
運寿是一は奉納刀など注文打ちの刀も多く
これもその一つのようです
「奉 出石侯命」と切られていますが
兵庫県北部の出石Izushi藩の藩主による
注文打ちのようです
中心なかごの棟側には
嘉永七年ハ月日と年紀が切られています
(嘉永七年は西暦1854年)
(嘉永七年は西暦1854年)
「日本刀について」でも述べていますが
刃物鍛冶で有名な千代鶴是秀(明治七年生まれ)の
父親(二代目綱俊 運寿是俊)の弟
つまり是秀の叔父(八代目 石堂寿永)は
つまり是秀の叔父(八代目 石堂寿永)は
石堂運寿斎是一の弟子です
是秀はこの叔父に入門しています
是秀が入門した頃は石堂是一も健在だったので
是秀はおそらく両人から指導を
受けていたものと思われます
ですから、是秀の打った刀が古刀として見られた
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