2012年5月1日火曜日

不思議な符合・・



先日出来上がった平家琵琶
神奈川県に旅立っていったのですが
注文をして下さった方が
その琵琶のことを近所の氏神様に報告に
行かれたのだそうです

先般説明したように
この平家琵琶の撥面には
木曽義仲に因んだ絵を描いたのですが
なんと、報告に行かれた神社の宮司さんは
木曽出身の方で
その地は木曽義仲の菩提寺が
ある所なのだそうです

これには驚いてしまいました・・
こんなことがあるのですね・・

4 件のコメント:

  1. 日照山徳音寺(臨済宗妙心寺派 長野県木曽郡木曽町日義 )源義仲一族の菩提寺。
    負けた武将の墓所やゆかり之地はことごとく破壊されるか朽ち果てるままになると思っていましたが、征夷大将軍までなると、平将門のように鎮魂するように祀られて、そうはされないのでしょうね。

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  2. 近江国での粟津合戦で30歳で敗死した木曽義仲。
    征夷大将軍となったのはその年の正月十一日となっていますが
    その前月には佐馬頭の地位を辞退しているのが引っかかります・・。
    平氏打倒の手柄を得るための源氏同士の前哨戦
    とでも言える戦いで敗れた義仲のことを
    平家物語では生い立ちから挙兵を志すまでが
    語られていますが、
    それだけ後の人々の心に訴えるものがあったのでしょうね・・

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  3. 今朝長崎の浄土宗 浄安寺 に水道の修理に行ったときに、和尚さんに木曽義仲の事を聞いたところ、
    法然上人様の日記に京都が大騒ぎで、勉強ができなかった と書いてるそうです。
    また、臨済宗は中国から伝えられた宗派だから、古くから地域の有力者をお寺での弔いをしていたのでしょう、と答えられました。

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  4. 貴重な話をありがとうございます。
    法然上人の若い頃は朝廷・摂関と源平
    三つ巴の騒乱の世の中でしたからね・・
    当時は寺社もかなり武力を持っていたようなので
    四つ巴ということも考えられますね。
    平清盛が福原遷都後間もなく元に戻ったのは
    比叡山からの圧力もかなりあったようですから・・

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