2012年5月4日金曜日

ゲーテとの対話風金谷幸三氏評

きょうは神戸で行われたギタリスト・金谷幸三氏の演奏会に足を運びました。演奏曲目は19世紀の曲ばかりという今では珍しいプログラムですが、金谷氏独特の
エスプリの効いた解説と演奏であっという間に時間が過ぎていきました。
金谷氏の歌い回し、音楽の運びに身を任せながら、ふと、この演奏を19世紀の作曲者自らが聞いていたら何と言うのだろうか・・と思ってしまったのです。
ということで、今日演奏された曲の作曲者、F,ソル D,アグアド M,ジュリアーニ3名による鼎談を空想で創り上げてみようと思ったのですが、いや、それよりも金谷氏が19世紀にタイムスリップして、ゲーテの館で演奏をしたという設定の方がおもしろいかも、とも思ったのです。
そういうことで、金谷氏には俎上のコイになってもらって、晩年のゲーテと若いエッカーマンが対話した記録「ゲーテとの対話」(参照)風に仕立ててみました。


1826年5月4日 
昼間、ゲーテの館で21世紀の日本からやって来たという不思議な日本人によるギターの演奏会が行われた。
彼が使うギターはヨーロッパではあまり見かけない形をしていて、大きさもやや大きい。
ゲーテは演奏が始まるや驚いた様子で、時折こちらに目を向けた。招待した客人も一様に顔が左右に動き、隣りの人物と目を見合わせているのが後ろからでも分かるほどであった。
休憩時間に、ゲーテは私(エッカーマン)にこう呟いた。
「この演奏を、この曲を作曲した連中が聞いたら何と言うだろう・・」
「そうですね、今日が初演ですから・・これからいろいろなサロンや館で演奏が披露されるでしょうが、とりわけギターが盛んなパリやロンドンでは評判となるでしょう。」と私は答えた。
ゲーテは、ウィーンのサロンの寵児としてもてはやされているジュリアーニがベートーベンのオーケストラでチェロを弾いたことがあるいう話をベートーベンから聞いたという話(これは記録に残っているので事実だったようです)をし、続けて、「ここヴァイマルでは音楽の楽しみはオペラが主で、ギターはあまりもてはやされてはいないが、この不思議な日本人のような演奏を聞けば興味を示す者が増えるかもしれないね。」
21世紀から来たという不思議な日本人は、彼の時代のギターの事情をいろいろと話してくれたが、
資本主義、民主主義という時代背景に加え、奏者がいなくても音楽を再生させる機械があるというのは我々にはちょっと理解ができない。演奏家というものは音楽産業の商品にしかすぎないという話にはゲーテは理解を示していたが、そのことから、話が古代ギリシャ時代やルネサンス時代に及び、ゲーテは、「たとえば、ピタゴラスの時代(紀元前6世紀頃)、彼の教団では、若い者の教育は音楽、数学、天文学が重要視され、午後からの授業は体育だったそうだ。
知性、情操、そして体力、武術、つまり文武両道を理想としていたのだね。
それからルネサンス時代は優れた職人や芸術家を輩出させるために作品の公募や公開のコンクールが盛んに行われた。これは不思議な日本人が話してくれた21世紀も同様ではないのかな。」
私は、「つまりルネサンス時代の職人や芸術家がパトロンや権力者に認めてもらうために腕を競ったのと同じことを民主主義の21世紀にも行っているということですか・・?」と訊ねた。
ゲーテは「そうだね。21世紀の演奏家が音楽産業の商品であるためには優秀な商品でなければならないからね。それから商品は商人に都合のよいものでなければならない。
ルネサンス時代の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチでさえ権力者に雇ってもらうために涙ぐましい売り込みをしているほどだが、商品が感情を持った人間であるというところに21世紀の自由主義、民主主義という背景での商品と商人の軋轢が起こってくるだろうね・・ことに芸術家はプライドが高いからね・・」

以上は田中清人によるフクションであります。



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