2014年12月11日木曜日

バンドー化学創始者 阪東直三郎 明治時代20才のときの日記

神戸のバンドー化学の創始者、阪東直三郎氏が
二十才のときに記した日記の翻刻本を入手
その頃、氏はここ丹波篠山の藩士だったということで
なんと、住んでいた場所はここから程近い当時の八上新村


デカンショ街道(国道372号線)の
八上上(やかみ・かみ)付近の大銀杏のあたり


日記は明治4年1月(1871年)から7年1月までの三年間ですが
国内では廃藩置県が行われるなど、明治になってからの
激動の時代とも言える時期、多感な二十代の影響か
藩士の重責もあってか、明治6年には味覚を喪失するほどの
精神的ダメージを受けたようです・・


その日記の中から今の時期に近い明治5年
12月12日の日記を紹介しておこうと思います
現代語風に読み下しておきます
間違いなどありましたらご指摘願います

明治5年12月12日
早朝に起き、午前中はいろいろと雑用をする
午後から立町の裏の黒沢鉄太郎藩士の家に
回覧板を持って行き、しばらく話し込んで
帰ろうとしたところへ、猪肉売りが門の外に
来たのですぐに召し入れ、いっしょに一杯やろう
ということになったので、仕方なく止まった
そこへ須藤氏が来たので三人で午後2時半頃まで酒を飲んだ
帰る途中、裏山に立ち寄ってみると妻が
父親の隠居先で一杯やっていたので、ついつい一杯飲んだ
それから、小林氏の宅へ行き
瀬川に会いたいと申し出たところ
すでに帰郷した後だということだった
仕方なく服部氏のところに行き、しばらく談話し
引き返す途中、また父親の家で一杯やった
食事が終わり母がお粂(女中か)と裏山へ行く
というので留守番をしていたところ
関勉藩士が来て、ぜひ外出しようというので
仕方なく家を出て、しまいには広小路前の
米吉という飲み屋まで来てしまった
そこで一杯やっているところへ今度は北沢氏が来たので
ようやく午後九時頃に店を出ることができた
それから他の者は蕎麦を食べに行ったが
自分は一人だけ辞退し急いで帰宅、就寝した

読みながら思わず笑ってしまった・・
この日はけっこう賑やかに飲んでますな・・
激動の一日・・?

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