江戸時代(幕末)の丹波篠山大山出身の僧侶
称瑞上人が江戸から郷里に戻るまでの旅の様子を記した
「杜陀(ずだ)日記」 これの研究書を入手
著者は中西健治氏。この日記によると、旅立ちの日は
天保15年(1844年)旧暦2月4日
称瑞41歳のとき
郷里の丹波大山に到着したのは3月24日
途中数日留まったりという行程だが、2ヶ月近くかかっている
幕末ともなると全国各地の名所図会が出版されていることから
多くの旅人がいたようで、街道の賑やかさも伝わってきます
旅に際しては数名の随伴人がいたようで
日記の所々に記されています
ここで紹介されている正楽寺は篠山市矢代にあり
矢代はこの旅日記を記した称瑞上人の
母親の生地だということです
京都から丹波へは現在の国道372号線を通った方が
距離的には近いのだが、称瑞上人は
大阪から現在の国道176号線経由で行っている
こちらのルートの方が険しい峠越えは少ない
ということもあるのでしょうが
日記では大阪の知人の家にも寄っているので
いろいろと事情があってのことかもしれません
京都から大阪に向かう途中には
橋本というところから舟に乗り、淀川を下っています
大阪では郷里から迎えが来ているので
途中で手紙か何かで知らせていたものと思われます
大阪から丹波に向かう途中の堂場というところは
現在は道場(どうじょう)となっています
さて、こちらは上の杜陀日記とは何の関係もありませんが
同じ日に手に入れたので
ついでに紹介しておきます
「源氏貝尽(げんじ 貝つくし)」という
貝合わせの絵柄のための見本帳
以下、おもしろそうなものを
抜粋して紹介しておきます
「金襴」と「浪(波)うさぎ」
これは手許にある彫刻の波兎
「神代」 「宝来織」 「水草」
のことと思われます
「阿しこ 小鳥」は、あしこ(彼処:あそこ)の小鳥
という意味でしょうか・・?
「木蓮に蝶」 「麻の葉 牡丹」
阿ま龍(雨龍)
「古代立わけ」
「〇なり七宝」〇の字は判然としません
七宝繋ぎ文のことでしょうか・・
「夏のくれ(暮か)」
次は「雲竜」とされていますが、
これは麒麟(きりん)と思われます
「九竜神」 「蜘の巣」
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