2016年7月20日水曜日

高口定雄氏の興味深い説 その2

6月25日に紹介した高口定雄氏の興味深い説の追加分を紹介しておきます。
今回は猿田彦・サルタヒコと銅鐸、あるいは鉄の精錬、そして砥石産地との
関連性を地名とその土地から出土している考古学的資料を交えて考察がなされています。
これはこちらのブログ「猿田彦と滋賀県」のコメントとして頂いたものです。

篠山市付近の「猿田」「猿目」地名
篠山市の佐々婆神社と猿女が関係あるとの情報を得て、地名「猿田」「猿女」が、
篠山市付近に無いか調べてみました。
1.篠山市郡家小字猿目(さるめ)
2.篠山市乾新町小字猿目(さるめ)
3.丹波市山南町小畑家小字猿部谷(さるべたに)
4.丹波市山南町上滝小字サルべ

地名「猿田」について、福岡県、兵庫県、愛知県、奈良県
1.福岡県 6件 (1)糟屋郡須恵町須恵 猿田
 (2)糟屋郡須恵町上須恵 猿田
 (3)田川郡福智町赤池 猿田
 (4)宗像市吉留 猿田
 (5)福津市畦町 猿田
 (6)北九州市八幡西区藤田 猿田

2.兵庫県 6件 (1)加東市河高 サル田
 (2)加西市北条町西南 猿田
 (3)西脇市落方町 サル田
 (4)多可郡多可町八千代区俵田 猿田
 (5)豊岡市日高町知見 猿ヶ田
 (6)神崎郡福崎町高岡申田

各県の「猿田」地名件数
石川県  3件
埼玉県  1件 
茨城県 22件 
三重県  7件
高知県 10件
群馬県  3件
福岡県  6件
兵庫県  6件
愛知県 20件
奈良県  4件
千葉県 40件

周囲の地名に注意しながら調査していますが、特徴が二つあるように感じます。
 (1)付近に、「佐」「笹」などの地名が多い傾向にある。
 (2)黒部、船木、穴虫などの地名が付近に多い。
   ちなみに、遠く離れた関東の茨城県も調査中ですが、あります。
   特徴的に思うのが、舟木地名と同じ場所に「猿田」地名があることです。
   茨城県久慈郡大子町上金沢の地内に「猿田」「舟木ヶ沢」がある。
   茨城県久慈郡大子町浅川の地内に「猿田」「舟木ヶ沢」がある。
   大子町は、金や銅、粘板岩からとれる硯石の産地として地元では有名です。
   以上のことから、「猿田」地名は、「黒部」「船木」「穴虫」との相関性が強いと考えられます。
   このことは今後全国的に調査していく予定です。
   また、現状では「猿田」地名について、次のように考えています。
   現時点でのあくまでも仮説です。

猿田は、古語の「佐田」「砂田」が語源かもしれない。砂が得られる場所のようである。
たとえば、口語では、「さなた、さぬた、さのた」などのように、助詞の「な」「ぬ」「の」を
入れるのが普通であった。ところが、この「ナ行」を「ラ行」への口語変更が発生した。
「さぬた」「さるた」を発音してみるとわかるが、「さるた」のほうが、鼻音「な行」を
使用するよりも発音が楽である。

「ナ行」→「ラ行」への変音実例
1.古事記の越前国ツヌガ(都奴賀)は、倭名称では、ツルガ(敦賀)と書く
2.延喜式式内社の伊予国越智郡イガナシ(伊賀那志)神社の所在地を
   イガラシ(五十嵐)といっている。
3.美濃国山県郡ウヌマ(鵜沼)を、八雲御抄ではウルマ(宇留間)と書いている。

千葉県の「猿田」地名
千葉県には40件ありました。
それからやはり、「黒部」「船木」地名が近くに共出する傾向にありました。
関東には穴虫地名は見あたらないようです。また、古墳時代前期の遺跡も近くにあります。

例1 千葉県成田市船形小字「下猿田」「上猿田」
ここより約2km離れた成田市八代には、古墳時代前期の八代玉作遺跡」
ここより約2kmは、成田市玉造で地名「玉造」がある。
ここより約8kmは、成田市久米  久米は「くろべ→くろめ→くめ」と変化した地名

例2 千葉県長生郡長南町豊原小字「猿田」
豊原地内に油殿古墳1号墳 前方後円墳で4世紀末~5世紀初
豊原の隣の大字芝原(約2km)に能満寺古墳 前方後円墳 4世紀後半
豊原から約3kmは、千葉県茂原市上永吉小字「船木」

群馬県の「猿田」地名
<群馬県> 地名「猿田」3件
1.藤岡市上落合「猿田(さるだ)」 鏑川と鮎川の合流点
 1)地内に七興山古墳 前方後円墳 6世紀前半
  6世紀代では東日本最大級の古墳
 2)約2kmは、高崎市木部町
  木部は木之部と同じ: 兵庫県篠山市ほか
 3)約4kmの高崎市下佐野町には、古墳時代前期の
  玉作遺跡「下佐野遺跡」
  三波川変成帯の蛇紋岩による玉作

2.藤岡市白石「猿田(さるた)」
 1)前項の藤岡市上落合に隣接

3.吾妻郡吾妻町原町「猿田(さるだ)」 


高知県の調査結果
(1)安芸市土居小字「サルダ」
・土居地内に、小字「上玉造、下玉造」
・約4kmの安芸市伊尾木に、小字「砥石谷」があり、地内より銅鐸出土

(2)土佐市高岡町小字「猿田」
・地内に、小字「砥石ヶ谷」
・約7kmの高知市春野町森山に、小字「黒法師(くろぼうし)」
「くろぼうし」は「くろぼし」で、「くろぶし(黒伏)」からの変形地名と推測。
また「黒吹(くろぶき)」→「黒伏」→「くろぶし」と変化したと推定。

<注> 兵庫県朝来市生野町竹原野に小字「黒吹(くろぶき)」。
黒吹から約1kmは生野銀山。

(3)高岡郡日高村沖名小字「猿田」
前記2項の高岡町猿田から約6km離れた地域。川でいうと共に仁淀川右岸の地
・約3kmは、土佐市谷地小字「砥石谷」

(4)土佐市本村小字「猿田越(サルタゴエ)」
・地内に小字「宗像ノ平」
・約4kmは、土佐市北地小字「宗像(ムネカタ)」
・約4kmは、土佐市谷地小字「砥石谷」

(5)四万十市磯ノ川小字「猿田山」
・約5kmは、森沢鉱山(四万十市森沢、黄銅鉱)
・約5kmは、黒川恵美寿鉱山(宿毛市平田町黒川、黄銅鉱、黄鉄鉱)

(6)四万十市田野川小字「東サルタ」
・約6kmは、田ノ口鉱山(幡多郡黒潮町上田ノ口、黄銅鉱)
・約2kmは、四万十市藤小字「猪野々(いのの)」

<注>猪野々(いのの)
・兵庫県朝来市生野町「猪野々」から約2kmは、生野銀山
・京都府福知山市「猪野々」から約1kmは、梅谷鉱山(福知山市梅谷、銅、鉛、亜鉛)
・和歌山県御坊市北塩屋小字「猪野々」から約6kmは、
               和佐水銀鉱山(日高郡日高川町和佐)

(7)南国市下末松小字「猿田ノ北」
・約3kmの南国市大湧より銅鐸出土。また地内に小字「鳥取」
・約3kmの南国市田村より銅鐸出土
・約6kmの鏡香美市土佐山田町楠目より銅鐸出土

(8)高岡郡檮原町上組小字「申田(サルダ)」
・約2kmは、東向鉱山(高岡郡檮原町東向、自然金、黄銅鉱)

(9)幡多郡黒潮町田野浦小字「猿田」
・地内に小字「砥石ヶ本」
・約2kmは、田ノ口鉱山((幡多郡黒潮町上田ノ口、黄銅鉱)
・約5kmは、三の岡鉱山(四万十市古津賀、自然銅、黄銅鉱)
・約8kmは、幡多郡黒潮町蜷川小字「船木」

(10)幡多郡大月町添ノ川「小字「猿田」

トピックス
(1)石川県金沢市北塚町「猿田」
・約1kmに古墳時代初等の遺跡「古府クルビ遺跡」
「クルビ」地名は消失しているが、「くろべ(黒部)」の変形地名
・約2kmに弥生時代後期の下安原海岸遺跡(下安原町)。玉作遺跡出土。
・約3kmに弥生時代中期の寺中遺跡。玉作遺跡。
新潟県佐渡市の新穂型といってよい石鋸が出土。
なお、佐渡市に「黒目作」という地名がある。茨城県日立市にも「黒目作」地名があり、
砥石「助川青砥」産出地直近。黒目は「くろべ、くるべ(黒部)」から変化したもの。

(2)石川県松任市島田町「猿田」
約2kmは松任市長島町「クロビ田」。 「クロビ」は「くろべ(黒部)」に同じ。

(3)茨城県筑西市井上「申田(サルタ)」
・約5kmは4世紀前半の蘆間山古墳(徳持古墳とも、筑西市徳持)
・約8kmは、筑西市岡芹小字「黒部」

(4)三重県鈴鹿市山辺町「猿田」
・隣の上野町(約1km)より弥生時代の銅鐸片出土
・約3kmに弥生時代の玉作遺跡の茶山遺跡(鈴鹿市高岡町)
・約8kmに4世紀末の前方後円墳「野褒野(のぼの)王塚古墳」
・約10kmは、鈴鹿市辺法寺町小字「穴虫(あなむし)」

(5)三重県熊野市大泊には、小字「サルタ」「サダ」が共出。

(6)三重県には、地名「佐田」15件と多い。
・津市白山町佐田には、小字「舟木」
隣接する津市白山町上ノ村には小字「黒ン坊(くろんぼう)」があり、
黒部の変化地名

(7)「佐田」を古代には、連体助詞「な、ぬ、の」を追加し、「さぬた、さぬだ」
といっており、これが「さるた」に変化した可能性を想定しているが、
「さぬだ」地名が、三重県に1件存在していた。
三重県伊賀市下友田「佐奴田(さぬだ)」
付近の地名、遺跡は、
・伊賀市下友田「大黒(おおぐろ)」
伊賀市田中「黒口(くろぐち)」
・約4kmは、古墳時代前期の東山古墳(伊賀市円徳院)。伊賀地方最古。
・約7kmは、古墳時代前期の山神寄建神社古墳(伊賀市山神)
唐草文帯三神三獣の三角縁神獣鏡が出土。同笵鏡はないが、
同じ文様では奈良県の鏡作神社からも発見されており、
かつ鏡作神社直近に「黒部」「穴虫」地名がある。

「佐田」「大貞」なども調査の必要を感じていますが、まずは「猿田」優先で調査の予定。
なお、地名と遺跡の距離は、15km以内で調査しています。
奈良時代の駅家間平均距離が14.7kmとの報告があり、これを根拠に
同一居住圏の範囲は、15km以内と仮定したものです。

「完全踏査古代の道」 木下良監修、武部健一著  2004年10月1日発行 吉川弘文館


「笹場(ささば)」地名
前橋市小屋原町「笹場」
地内を広瀬川が流れるが、古くは広瀬川が、利根川の流路であった。
1)約3kmに前橋天神山古墳(前橋市広瀬町)4世紀前半の前方後円墳
 三角縁神獣鏡が出土し、同じ鋳型で鋳造された鏡として、
 奈良県櫻井市桜井茶臼山古墳、 奈良県天理市黒塚古墳の鏡がある
 参考: 奈良県桜井茶臼山古墳の近傍地名:黒目、穴蒸(あなむし)、木部(きべ)

2)約5kmの弥生時代後期の西太田遺跡(伊勢崎市安堀町)
 から、甕に入った砂鉄が出土
 甕の種類形式は、茨城県北部の十王台式土器(日立市含む)

3)約5kmは、前橋市上佐鳥町、下佐鳥町
 佐鳥(さどり)は、砂取(さとり)のことと思われる。

三重県津市の「しぶみ」という地名
<三重県津市渋見町(しぶみちょう)>
1.地内に「志夫美神社」 延喜式式内社の志夫彌神社  祭神志夫美神
2.渋見町地内に小字「赤目」「塩田」
3.約3kmは、津市安濃町清水小字「黒部」
4.約2kmの津市野田より銅鐸出土

三重県で、砥石と銅鐸が関係する事例
京都府京都市右京区梅ケ畑は仕上砥石産地でかつ銅鐸出土していますが、
これを含めて2例目です。

三重県津市白山町川口小字「砥石谷」
ただし本当に砥石が産出されたとの記録は未確認です。
川口から約4kmは、津市白山町藤小字「舟木」。
川口から約3kmは、津市白山町「北家城、南家城(いえき)」。
地名研究で有名な谷川健一は、その著「青銅の神の足跡」で、
家城=伊福(いふく、いふき、いおき)で、伊福は銅鐸鋳造に関わる集団だと述べています。

高知県安芸市伊尾木の小字地名「砥石谷」
伊尾木からは銅鐸が出土しています。
砥石を産出したとの記録は未確認。
銅鐸の時代に砥石が重要な資源のひとつとして認識され使用されていたことが、
3件のデーターで言えるかと思います。

和歌山県の地名事例。砥石との関係は未調査。
和歌山県御坊市塩屋町北塩屋小字「黒免(くろめ)」 
                   「くろめ」は「くろべ(黒部)」の変化地名
(1)約6kmに和佐水銀鉱山(日高郡日高川町和佐)
(2)約4kmは御坊市湯川町小松原で銅鐸出土
(3)約9kmは、日高郡日高川町蛇尾小字「船木谷」


ここからは私の補足として、兵庫県姫路市と和歌山県の例を紹介しておきます。
まず姫路市に砥堀という地名があり、そこから6kmほどのところに、銅鐸の
鋳型片が出土している今宿丁田遺跡名古山遺跡があります(地図参照下さい)。
名古山遺跡の鋳型片は砥石として再使用されていた形跡があるということです。

それから近年まで紀州砥という荒砥が採掘されていた和歌山県白浜近辺と
銅鐸が出土している3ヶ所の地(地図参照下さい)。

そして但馬砥の産地、兵庫県豊岡市日高町では多数の銅鐸の破片が発見された
久田谷遺跡があります(地図参照下さい)。

17 件のコメント:

  1. 愚説を紹介いただき、大変ありがとうございます!!

    コメントいただいた兵庫県姫路市の今宿丁田遺跡・名古山遺跡 及び和歌山県西牟婁郡白浜町の砥石と田辺市の銅鐸群の関係については、おっしゃる通りだと思います。
    私の地図帳にも2件とも記載していますが、着目する地名が付近(15km圏内)にないので、保留となったままです。地名から古代史を考えるという視点に居るためですが、新たな地名での関係性発見に期待をしているところです。コメント大変ありがとうございます!!

    和歌山県ということでは、次の地名事例があるので、ご参考まで。砥石との関係は未調査です。

     和歌山県御坊市塩屋町北塩屋小字「黒免(くろめ)」  「くろめ」は「くろべ(黒部)」の変化地名
     (1)約6kmに和佐水銀鉱山(日高郡日高川町和佐)
     (2)約4kmは御坊市湯川町小松原で銅鐸出土
     (3)約9kmは、日高郡日高川町蛇尾小字「船木谷」

    高口定雄(茨城県日立市)

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  2. 高知県の「猿田」地名   10件

    高知県の調査結果を紹介します。

    (1)安芸市土居小字「サルダ」
       ・土居地内に、小字「上玉造、下玉造」
       ・約4kmの安芸市伊尾木に、小字「砥石谷」があり、地内より銅鐸出土

    (2)土佐市高岡町小字「猿田」
       ・地内に、小字「砥石ヶ谷」
       ・約7kmの高知市春野町森山に、小字「黒法師(くろぼうし)」
        「くろぼうし」は「くろぼし」で、「くろぶし(黒伏)」からの変形地名と推測。
        また「黒吹(くろぶき)」→「黒伏」→「くろぶし」と変化したと推定。
       
        <注> 兵庫県朝来市生野町竹原野に小字「黒吹(くろぶき)」。
            黒吹から約1kmは生野銀山。

    (3)高岡郡日高村沖名小字「猿田」
       前記2項の高岡町猿田から約6km離れた地域。川でいうと共に仁淀川右岸の地
       ・約3kmは、土佐市谷地小字「砥石谷」

    (4)土佐市本村小字「猿田越(サルタゴエ)」
       ・地内に小字「宗像ノ平」
       ・約4kmは、土佐市北地小字「宗像(ムネカタ)」
       ・約4kmは、土佐市谷地小字「砥石谷」

    (5)四万十市磯ノ川小字「猿田山」
       ・約5kmは、森沢鉱山(四万十市森沢、黄銅鉱)
       ・約5kmは、黒川恵美寿鉱山(宿毛市平田町黒川、黄銅鉱、黄鉄鉱)

    (6)四万十市田野川小字「東サルタ」
       ・約6kmは、田ノ口鉱山(幡多郡黒潮町上田ノ口、黄銅鉱)
       ・約2kmは、四万十市藤小字「猪野々(いのの)」

       <注>猪野々(いのの)
          ・兵庫県朝来市生野町「猪野々」から約2kmは、生野銀山
          ・京都府福知山市「猪野々」から約1kmは、梅谷鉱山(福知山市梅谷、銅、鉛、亜鉛)
          ・和歌山県御坊市北塩屋小字「猪野々」から約6kmは、和佐水銀鉱山(日高郡日高川町和佐)

    (7)南国市下末松小字「猿田ノ北」
       ・約3kmの南国市大湧より銅鐸出土。また地内に小字「鳥取」
       ・約3kmの南国市田村より銅鐸出土
       ・約6kmの鏡香美市土佐山田町楠目より銅鐸出土

    (8)高岡郡檮原町上組小字「申田(サルダ)」
       ・約2kmは、東向鉱山(高岡郡檮原町東向、自然金、黄銅鉱)

    (9)幡多郡黒潮町田野浦小字「猿田」
       ・地内に小字「砥石ヶ本」
       ・約2kmは、田ノ口鉱山((幡多郡黒潮町上田ノ口、黄銅鉱)
       ・約5kmは、三の岡鉱山(四万十市古津賀、自然銅、黄銅鉱)
       ・約8kmは、幡多郡黒潮町蜷川小字「船木」

    (10)幡多郡大月町添ノ川「小字「猿田」
       
    高口定雄(茨城県日立市)

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  3. さらなる調査結果をご紹介頂き、ありがとうございます!

    「銅鐸の謎」の著者、阪上秀太郎氏は
    ハタ、シトリ、ヌカタ、トトリ、イフキ、ホズミという
    六つの地名を氏の名とする古代氏族が、弥生時代の鋳造技術者だった
    としていますが、そのなかのハタの「ハ」は金属を示す古語で、
    「ハタ」で「金属担当者」という意味があるのではないか、としています。
    そのことから敷衍して、姫路の名古山遺跡から出土している鋳型片を含め
    神戸層群凝灰岩を採掘、輸送、分配などを行っていたのは
    有馬郡幡多の地ではないか、と推測されています。

    返信削除
  4. 3件の補足 大変ありがとうございます。すばらしい着眼点だと思います!!
    砥石が古代歴史の重要資産であったことは確実だと感じます。

    1.兵庫県姫路市名古山町 名古山遺跡
      ・約6kmは、姫路市砥堀(とほり)
       地内に小字「戸谷」があるが、もともと「砥谷(とたに、といしたに)」だった可能性もある。
      ・約10kmの姫路市香寺町田野に小字「愚呂免池下(グロメイケシタ)」があるが、愚呂免は
       くろめ(黒目)のことと思われ、「くろべ(黒部)→「くろめ(黒目)」に変化したものと推測

    2.和歌山県西牟婁郡白浜町の砥石

      ・記録されている砥石に関する地名は、1件のみ。
       西牟婁郡白浜町十九渕(つづらふち)小字砥石谷(といしだに)
      ・砥石谷から約10kmは、田辺市下万呂で、銅鐸出土。ほか田辺市内に銅鐸多数出土。

    3.兵庫県豊岡市日高町佐田小字「トイシバ」

      ・約2kmは日高町久田谷で、銅鐸出土
      ・約2kmの日高町知見に、小字「猿ヶ田(サルガデン)」があるが、「猿田(サルタ)」に同じ。
       猿田は佐田からの変化地名と推測。大字「佐田」があることに注目。
      ・約3kmは、日高町久斗小字「クルビ」 クルビは黒部と同じ地名。
      ・約5kmの日高町羽尻に但馬三方鉱山(金、銀、銅、亜鉛、鉛を産出)
      ・約8kmの日高町八代、日高町辻は、ヒスイの産地

    <「猿田」地名調査結果>
    1.和歌山県  1件のみ

      和歌山市松江小字「猿田」
      ・海辺の砂州地帯。古代には松江は海の中で、中世に砂州になったとの説もある。
      ・約5kmの和歌山市太田、和歌山市黒田より各々 銅鐸出土

    2.徳島県   0件

      しかし、徳島県でも銅鐸は出土している。

    高口定雄(茨城県日立市)

    返信削除
  5. 豊岡市日高町にもあったんですね!
    ありがとうございます。

    但馬砥については姫路の砥石専門店の方が調査に行かれ、
    その様子がHPで紹介されています。
    http://gokitcyou-toukei.jp/aboutus/detail03.html

    また、このサイトでは明治時代の但馬砥の記載があります。
    http://mineralhunters.web.fc2.com/haramakifieldnote.html

    返信削除
  6. 産地情報を紹介いただきありがとうございます!

    いざ産地の具体的な場所を調べようとすると、地元でも知らない人が多いのはどこも共通のようですね。
    人のことは言えません。私自身も2年前は、助川青砥があることさえ知りませんでした。

    古代史が趣味の私には、縄文時代から、砥石や石剣に使用されてきた事実に、改めて感動している状況です。ジオツアーなどで、地元の人にも共感してもらえる機会を増やそうと思っています。

    高口定雄(茨城県日立市)

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  7. 但馬地域に残っている砥石地名を調査してみました。

    1.豊岡市城崎町飯谷小字「砥石谷」
      約4kmの豊岡市気比より銅鐸出土

    2.豊岡市日高町佐田小字「トイシバ」
      約2kmの日高町久田谷より銅鐸出土
      
    3.豊岡市日高町羽尻小字「戸石場」
      地内に但馬三方鉱山(金銀銅、鉛、亜鉛)

    4.豊岡市竹野町椒小字「砥(といし)」

    5.豊岡市竹野町桑野本小字「砥石ガ谷」
      地内に小字「クルビガ谷」: クルビは黒部の変形地名

    日本海側の円山川河口部付近に砥石地名と銅鐸出土地が近い。
    瀬戸内海側の市川河口部付近にも砥堀地名と銅鐸鋳型出土地が近い。

    また、古墳時代の三角縁神獣鏡の同笵鏡が、日本海側と瀬戸内海側にある。
    日本海側の円山川河口部: 小見塚古墳   (豊岡市城崎町来日)
    瀬戸内海側の市川河口部  御旅山古墳三号墳(姫路市飾磨区妻鹿)

    市川と円山川の分水嶺には、生野銀山がありますが、弥生時代より
    往来のある交通ルートだったと推定されます。

    尚、来日(くるひ)は、 クルビで、クロベ(黒部)と同じと考えています。

    高口定雄(茨城県日立市)

    返信削除
  8. たいへん貴重な調査結果を示して下さり、ありがとうございます。
    日本海側と瀬戸内海側から多くの銅鐸が、そして
    三角縁神獣鏡の同笵鏡が出土している、というのは興味深いですね。

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  9. 私が住む近くの神社の御祭神に次のようなフリガナが書いてありました。

    熊野樟日大神<クマヌクスヒ>

    「野(の)」に「ぬ」の読みがあてられています。
    古代にはこのような読みがあったと考えられるのではないでしょうか。

    このことから、「さぬた(佐田、砂田)」→「さるた」の変化も
    ありえないことではないと考えられます。

    そこで、「佐田(さた、さだ)」地名を奈良県で調査してみましたが、9件
    ありました。

    「猿田」地名と似たような近傍地名が現れることがわかります。


    <奈良県の地名「佐田」  9件>

    1.奈良県桜井市東新堂小字「左田(さだ)」

      ・地内に小字「木部(きべ)」 「木之部」(兵庫県篠山市)と同じ
      ・隣接する桜井市大福(約1km)より銅鐸出土
       大福には小字「ヲクロ」(小黒?)
      ・約5kmの桜井市上之庄に小字「木部(きべ)」
       また古墳時代前期の玉作工房 上之庄遺跡がある。
      ・約4kmの桜井市下に小字「穴蒸(あなむし)」 「穴虫」に同一地名
      ・約5kmの桜井市今井谷に小字「黒目(くろめ)」 「黒部」から変化した地名
      ・約3kmの桜井市外山には桜井茶臼山古墳(古墳時代前期、三角縁紳獣鏡出土)
      ・約3kmの桜井市谷にはメスリ山古墳(古墳時代前期)

    2.奈良県高市郡高取町「佐田(さだ)」

      ・約2kmは高取町薩摩(さつま)
      ・約2kmは高取町越智(おち)
      ・約3kmは橿原市観音寺町小字「申田(さるだ)」
      ・約5kmの御所市室には宮山古墳(5世紀初頭、前方後円墳、三角縁紳獣鏡出土)

    3.奈良県御所市「佐田(さだ)」

      ・佐田の地内に5世紀の玉作工房 下茶屋カマ田遺跡
       北陸や山陰地方産の緑色凝灰岩を大きく割った剥片等出土
      ・約1kmの御所市名柄より銅鐸出土
      ・約2kmの御所市栗阪に小字「玉造(たまつくり)」
      ・約3kmの御所市朝町に朝町鉱山(銅)
      ・約2kmの御所市室に宮山古墳(5世紀初頭、前方後円墳、三角縁紳獣鏡出土)
      ・約2kmは御所市五百家(いうか)  五百家は伊福に同じと谷川健一は云う。
      ・御所市や葛城市域は、古代史鏃葛城氏の中心地

    4.奈良県宇陀市榛原区赤埴小字「佐田(さだ)」

      ・地内に小字「穴虫」 
      ・約4kmは榛原区桧牧小字「穴虫」「アナシ」
      ・約4kmは室生区室生小字「アナムシ」
      ・約4kmは室生区下田口小字「アナムシ」
      ・約5kmに大和水銀鉱山(宇陀市菟田野区大沢、自然水銀、辰砂) 
      ・約7kmの宇陀市大宇陀区小和田より銅鐸出土

    5.奈良県宇陀郡曽爾村山粕小字「佐田(さだ)」

      ・地内に小字「イザサ」「寒谷口」
      ・約3kmは、曽爾村掛小字「クルヒ山(くるびやま)」 クルビは黒部に同じ
             曽爾村掛小字「木ノ目峠」 「木ノ目」は「木之部」の変化形
      ・約5kmは、宇陀市室生区下田口小字「アナムシ」
      ・約5kmは、宇陀郡御杖村土屋原小字「佐田(さだ)」

    6.奈良県宇陀郡御杖村土屋原小字「佐田(さだ)」
     
      ・約3kmに、宇陀郡曽爾村掛小字「クルヒ山」「木ノ目峠」
      ・約4kmは、宇陀郡曽爾村山粕小字「佐田(さだ)」
      ・約7kmは、宇陀郡御杖村神末小字「佐田(さだ)」「イヲキ」
       「イヲキ」は伊福のことと思われる。

    7.奈良県宇陀郡御杖村神末小字「佐田(さだ)」

      ・約7kmは、宇陀郡御杖村土屋原小字「佐田(さだ)」

    8.奈良県天理市荒蒔町佐田(さだ)

      ・地内に小字「クレハ」 渡来人の呉羽のことと思われる
      ・約2kmは、磯城郡田原本町八田小字「キベ」「大佐田(おさだ)」
      ・約2kmは、大和郡山市長安寺町「穴蒸(あなむし)」
      ・約3kmは、天理市田部町「木部(きべ)」
      ・約4kmの天理市石上町より銅鐸出土
      ・約4kmは、天理市勾田町「黒部(くろべ)」
      ・約4kmは、布留遺跡(弥生時代後期~古墳時代の玉作遺跡)
      ・約4kmの天理市櫟本町から銅鐸出土し、小字「穴虫」「鳥取」

    9.奈良県磯城郡田原本町八田小字「大佐田(おさだ)」

      ・地内に小字「キベ」
      ・約2kmに、天理市九条町「キベ」
      ・約2kmは、唐古・鍵遺跡(弥生時代)
      ・約3kmは、田原本町田原本小字「黒部(くろべ)」
      ・約3kmは、田原本町保津小字「穴虫」
      ・約4kmは、十六面遺跡(玉作遺跡、田原本町十六面)
             地内に小字「上穴虫」「下穴虫」
      ・約5kmは、田原本町秦庄、秦氏の本拠地か
      ・約5kmは、纏向遺跡

    高口定雄(茨城県日立市在住)



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  10. 奈良県にもあるのですね!
    しかも三種セットで・・驚きます。

    古代の地名などの読み方の転訛もおもしろいですね。
    播磨風土記に記されている地名もそうで、たとえば宍禾(しさは・わ)は
    今では宍粟という字を当て「しそう」と呼んでいますし
    美嚢(みなぎ)は「みのう」とも読みます。
    こういったことは日本各地に様々あるのでしょうね。

    播磨風土記の解説書を発刊されている上田正昭氏は
    弥生時代後半期の播磨には「磨製石剣の道」と
    「銅鐸の道」があって、それぞれその文化が
    そのルートで伝わっていった形跡があるとしています。
    このこともたいへん興味深いです。

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  11. 地名「しぶみ(渋見)」

    大分県中津市に1件 「しぶみ(渋見)」地名を発見しました。

    <大分県中津市三光臼木小字「渋見(しぶみ)」>

    兵庫県篠山市と似たような地名が見られます。

    ・約10kmは、福岡県築上郡吉富町土屋小字「栗女(くるめ)」
     「くるめ」は「久留米」「黒目」で黒部に同じ
    ・約4kmは、福岡県築上郡上毛町東上小字「舟木(ふなき)」
    ・約7kmは、福岡県築上郡上毛町宇野小字「黒戸(くろと)」
     もともとは、「くろべ(黒戸)」と推定される
    ・約7kmは、福岡県築上郡上毛町安雲(あくも)
     「安雲(あくも)」は、元は「安曇(あづみ)」ではなかったかと思われる
    ・約7kmは、大貞八幡薦神社(大分県中津市大貞)
     大貞(おおさだ)は、「大佐田(おおさだ)」と同じと考えられる。
    ・約9kmは、大分県中津市耶馬溪町柿坂小字「物部(もののべ)」
    ・約10kmは、大分県宇佐市木部(きべ)

    高口定雄(茨城県日立市)

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  12. 大分県は八幡神の本拠地、宇佐八幡宮がある地ですね。
    日本で最古の製鉄遺跡があるとされている所で、
    発見当初は九州大学が熱心に調査していたようですが
    なぜか、その後急に調査報告などされずに闇に葬られたとも聞いています。
    謎の地ですね・・

    話は変わりますが、滋賀県にヘソとマガリという二つの地名が
    近接したところにある、というのを知りました。
    ヘソマガリの私もビックリ・・
    最初は冗談かと思ったのですが、調べてみると実際にあったのです。
    滋賀県栗東市綣(ヘソ)と栗東市上鈎(マガリ)、下鈎。
    また、このことについて詳しく考証している人がいるというのに、二度ビックリ・・
    藤井耕一郎氏が著書「大国主対物部氏」で述べているのです。

    大意を述べると、ヘソマガリの地は古代には日本の都(大国主系)で
    かなりの勢力を誇っていたが、その後、古事記や日本書紀を編纂させた勢力、
    壬申の乱で勝利した天武天皇(物部系)によって抹殺された。
    だが、銅鐸という証拠品までは消し去ることはできなかった・・

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  13. 田中清人様、 高口定雄 様
    はじめまして。私、落合と申します。
    お忙しいところを、突然のコメントで大変恐縮です。
    実は、小生が趣味で書いている歴史ミステリー小説の中に、
    古代の南方交易について触れる個所があり、そこに
    田中様のホームページにUPされている、高口定雄様の記事の一部を
    引用させていただいております。

    <●引用させて頂いている個所・内容>
    『ギター製作家の視点 「高口定雄氏の興味深い説 その2」
       http://kiyond.blogspot.jp/search/label/%E7%8C%BF%E7%94%B0%E5%BD%A6
      これの中にある、高知の「猿田」の地名一覧
    <●引用した先>
    http://kiyond.blogspot.jp/2016/07/blog-post_35.html

    是非このまま引用させていただきたいのですが、
    もしお差し支えがあれば、引用は削除いたします。
    引用の可否について、その旨、ご一報くだされば大変幸いです。

       東京都町田市在住 会社員 落合崇成

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  14. 落合崇成様
    私はまったく構いません。
    あとは高口さんが了承下さればOKですね。

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  15. 田中清人様

    落合です。
    さっそくのご連絡とご快諾、誠にありがとうございました。
    高口定雄様には別途、打診中です。
    なお先のメールの<●引用した先>
    が誤っておりました。
    正しくは
    http://estar.jp/.pc/_work_viewer?p=73&w=24288757
    です。

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  16. 落合です。

    高口様からも快諾をいただくことができました。
    田中様ならびに高口様に
    心より御礼申し上げます。

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  17. 落合様
    ウェブ小説二編、読ませてもらいました。
    短編ながら読み応えがありました。
    ここのところ小説はほとんど読みませんが、
    数ヶ月前に呼んだ某有名作家の最新作よりも個人的には面白かった。

    「タロットの夏休み」を読み終えた後の出来事をブログで紹介しました。
    http://kiyond.blogspot.jp/2016/10/blog-post_4.html

    それから、余計なこととは思いますが
    60ページ下から4行目の「領地を授けらました」は
                「領地を授けられました」でしょうか・・

    それに61ページの11行目
    「宇和島についた時に何故か感じ懐かしさ」は
    「宇和島についた時に何故か感じた懐かしさ」でしょうか・・

    加えて80ページ7行目の
    「真珠湾を奇襲した事は知とうよのう?」は
    「真珠湾を奇襲した事は知っとうよのう?」でしょうか・・

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