2021年5月11日火曜日

北斎の娘 阿栄 應為 辰女 栄女 酔女


これは1905年に出版された
スコアの表紙
この絵はドビュッシーに
インスピレーションを与えた
とされる北斎が描いた
「神奈川沖浪裏図」の部分

全体図
北斎の作品は
モネ、ゴッホ、ドガなど
西洋の画家たちに
大きな影響を与えましたが
作曲家にも影響を与えた
というのは知らなかった

さて、こちらは北斎の娘
阿栄oei(画号は応為)が
10歳頃描いたとされる
絵狂歌国尽の屋形船の絵
栄女筆と署名されているので
当時の画号は栄女eijoだった
ということが分かる
他には酔女があり
これもeijoと読む
それから辰女tatsujo

参考までに
これは江戸時代の船

葛飾應為(応為)については
久保田一洋氏による
優れた研究書がありますが
それによると
北斎の雅号のものでも
応為が手掛けていたものも多く
あるいは、絵の具作りと着色を
専門に行っていた応為が
北斎の下絵に色付けをした作品も
多いということが
分かってきているということです

応為酔女銘の作品
三曲合奏図

吉原格子先之図
この絵には署名はないが
三つの提灯に1字ずつ
應(応)・為・栄
が書き込まれている

無銘の作品だが
女性の指の表現
陰影のつけ方などから
久保田一洋氏は
應為に極めている

北斎娘辰女の署名の絵
応為の作品

月下砧kinuta打ち美人図
應為栄女筆の署名

同じく應為栄女筆の署名

應為栄女筆

北斎のデビュー作とされる
19歳のときに描いた浮世絵
(画号は春朗)

晩年86歳のときに
信州小布施で描いた天井画
こちらは男浪
小布施で描いた絵は他にも大作があるが
このときは娘の画家応為も
手伝いで一緒に小布施に行っているので
絵具作りと色付けが得意だった
応為の協力がなければ
小布施での作品は
出来上がらなかったことは明白

そして女浪

天井画が描かれた
祭り屋台

八十八老卍署名の
袋に入れられた琵琶と白蛇図
琵琶の首部分に
結ばれている赤い紐の
房部分の陰影の付け方は
応為を彷彿させる
白ヘビの背の細かい書き込みも
おそらく応為でしょう

北斎の最晩年90歳のときに
描かれたとされる富士越龍図も
応為が描いたのでは、とする説が有力
因みに、北斎の弟子は
230人以上いたようなので
初期以外の作品の多くは
北斎の下描きを弟子が仕上げた
工房作品だった可能性も大

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