江戸時代に尾張名古屋の
天野信景sadakageによって
書かれた塩尻百巻の
記述の一部をChatGPTさんに
絵にしてもらった
珠玉一顆がちょっと
貧弱なので手許にある磨き石を
合成してみた
「其中uchi後一條院(の時代)
長元七年(1034年)八月
祭主輔親、太神宮に参籠の時
神前の松樹より珠玉一顆を得て
朝に奏し嘉瑞をのべければ
御賀有りて輔親を
従三位になし下されける」
ChatGPTさんが
描いてくれた絵
珠玉一顆がちょっと貧弱なので
手許にある
オーシャンジャスパーを
合成してみた
塩尻百巻からもう一つ
二水記からの座頭、検校に
ついての記述
「二水記曰(勧修寺家の記なり)、
永正十四年(1517年)五月七日
庭田亭に向、按にいにしへ
座頭検校の号なし。
帝宮は異人を禁す。盲者官を
ゆるさるべき儀なし。
鹿苑院の相国の頃に盲者を
愛せらる明石建業覚一等
出頭せり。此頃より
建業を検校と書あらため
次座の者を勾當と号しけり。
下を座頭と呼びしとなり。
建業の始は正佛坊のよし、
公家の記録にあり。
亦応仁の末、堂上の諸家領を失ひ
便りなきゆえ、牛公事、酒公事、
糀公事等いひて売家を征して
錢を納めたり。盲者の座頭を
昇るも亦金を出せし、
久我家へ納めらる。
豊臣家起りて一統の日堂上の家々
へ領付して公事銭の代りと
せられし。然れども其遺風にて
久我家盲者の轉座をゆるさる
事ありと云々」
これは磁鉄鉱の重ね餅に
マグネットマイマイを
付けたもの
ポポーの実とコラボ
金属製カタツムリとカエル
そして甲虫
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