2010年7月29日木曜日

丸尾山砥石恐るべし その3

京都亀岡の丸尾山産仕上げ砥石を
新たに手に入れました


これは「千枚」層 のものです
この層のものは持っていないので
ぜひ試したかったのです
丸尾山産としては硬口ですが
しっとりとした研ぎ心地です






硬口の良質な仕上げ砥石は
このように鉄の華が見事に散ります
研磨力も強く、「刃の黒幕#1500」の傷が
あっという間に消えていきます
研ぎ汁が邪魔になることもなく
砥石の底力を十分感じることができます
これまで多くの丸尾山砥石を使いましたが
これが一番のお気に入りになりそうです
小振りの原石ですから長さは短く不定形ですが
私はそんなことは気になりません






研ぎ上がった寸八鉋の身
鋼は安来鋼の青紙だと思いますが
地・刃共に見事に冴えわたっています
こういった一般的な刃物でしたら
1分も研げば実用上の仕上ができます
これには大変助かります

このようなすばらしい砥石が
存在するということ
そして、その砥石を掘り出す人が
いてくれるということに
思わず手を合わせてしまうのです

この砥石を使った研ぎの動画(You Tube)

10 件のコメント:

  1. 何千年、あるいは何万年もかけて出来上がった砥石。
    いろんなものを見てきて、いろんなことを感じてきたのでしょう。私はものにも意識があると信じています。
    だから、ギター君とか、砥石君といってしまうのです。
    決してふざけていたり幼児言葉を使っているわけではありません。すばらしいこの世に同じときに存在しているものすべてに敬意を払っているのです。

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  2. いい道具とそれを使いこなすだけの技術があってこそ、いいものができます。
    同じ砥石を使っても私の腕ではマダマダです。
    いつもながら、いい研ぎですね。

    キヨンドさんは刀剣についても詳しいと思い、ひとつ教えてください。
    刀を所持するときは、その、御刀の位に負けないようにするために、跨ぐという方がいました。
    その考え方をどう思いますか?
    ご教授ください。

          源 信正

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  3. Rさんの言われるように物にも意識があると思います。
    ですから刀を跨ぐのは失礼ではないでしょうか。
    播州・日原大工のある棟梁は、宮家の仕事をしていて
    仕事中に並べていた道具を家人の一人が跨いだのを見て
    即座にそこの仕事を引き払ったそうです。
    その気持ち同じ職人としてよく分かります。
    刀剣会でも、刀の拝見の前後に一礼をするのは
    やはり刀に対する敬意の現れではないでしょうか。
    砥石も跨ぐのは憚れます。
    昔は砥石を跨ぐと帯下を患うと言われていたようですから
    やはり大切なものを跨ぐというのは戒められていたようです。
    「バチがあたる」という畏れは大切な心がけだと思いますね。

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  4. よかった。安心しました。
    刀について、北九州刀剣研磨をされている河本さんのところに行った際、真っ先に教わったのが、お刀に一礼するということでした。
    御刀を作った人、研磨した人、装丁?した人、私が手にするまでに、大切にしてきた方々に敬意を祓う上で一礼をする。と教えてくれました。
    また、小野光敬先生のDVDの中でも、御刀に負けない心を持つ、自分の心を磨き、修練する と述べられてます。
    ところで、小野先生が磨がれている御刀はどなたの作なのでしょう。

          源 信正

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  5. 小野光敬氏のビデオは今は手許にないので
    確認できませんが、インターネットで紹介
    されている写真は
    http://www2.edu.ipa.go.jp/gz2/y-kwm/y-gkg/y-gkm/IPA-tac440.htm
    ビデオの内容と同じものだと思われます。
    そこで研がれている二筋樋の刀は、私だったら
    古刀・南北朝期の青江に入札します。
    源信正さんは?

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  6. 小野光敬氏のビデオは現在DVDになって各地の図書館にあります。
    私は長崎市立図書館で借りてきました。
    研がれている御刀は、古備前かなと思っていましたが、青江か・・・。
    長崎のある方が所有している古青江に雰囲気が似ていますね。しかし、残念なことに、青江に間違いはないんですが、その御刀は銘の部分がかすれており、作者がはっきりしません。
    写真分析、X線分析などで解明して見てるんですが、まだ、確定できずにいます。
    私の鑑定技量は始まったばかりなので、先輩諸氏に、いろいろと教わっている段階です。

              源 信正

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  7. 長崎の8月15日は精霊流しです。さだまさし の曲からは普通の人は想像できないくらいの爆竹の嵐の中を粛々と進んでいきます。
    朝から精霊船に使う竹をシーボルトの竹薮に取りに行きます。
    主力は平均年齢75歳の老人会の壮年男子です。
    私は50代ですが仲間のうちでは洟垂れ小僧扱いです。
    竹きりの鋸も、まだ、扱わせてもらえません
    船の先端の飾り(ミヨシ)には径6寸の竹を割り広げて使います。
    お時間が取れたら是非お越し下さい。
    竹を運んでいたら鍬が埋もれていました。
    水洗いすると、柄は腐っていましたが、鉄の部分は綺麗なものです。
    最近の鍬は外に置いておくだけで錆びてボロボロになりますが、昔の鉄は何か違うのでしょうね。
    古い鉄橋の鉄材は非常な高値で売れますが、通常の鉄材はタダ同然です。もちろん錆びの発生状況も雲泥の差です。
    砥石と同じようにいいものは取り付くしたんでしょうか?

           源 信正

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  8. 福岡に居る頃、長崎には度々行きましたが
    精霊流しは見たことがありません。
    初盆のときに精霊船を浜まで担ぎ海に流す
    ということは子供の頃、長崎に住んでいた
    叔母から聞いたことがあります。
    爆竹の束ば両手ん持ってバンバンできんば
    長崎もんやなか、らしいですね・・
    長崎といえば松浦水軍を連想しますが、
    精霊流しは、やはり海人(あま)系の行事なのでしょうね。
    シーボルトの竹藪というのも長崎らしいですね・・
    時代は違いますが、秀吉の時代に一時、
    長崎はローマ領だったという話も聞いたことがあります。

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  9. よくご存知ですね。参考までに簡単な歴史を載せます。
    http://www.pref.nagasaki.jp/archives/tabinaga/04roma.pdf
    オランダの皇族(ベアトリス皇女)が来日したときは長崎訪問が第一番でした。
    長崎の出島はご存知とは思いますが、そこには、今でもオランダの国旗が掲揚されてます。
    ナポレオンがヨーロッパを席巻したときオランダは出島を除き一時消滅しました。江戸幕府はオランダの消滅を知っていたのかはわかりませんが出島にはオランダ国旗がはためいていました。
    非常時には国旗の元に集まれば国家が国民を保護する、という世界の常識なのですが、今の若者たちはその意味がわかってないようです。
    国旗を掲揚することを許してくれた長崎に感謝の意を表するために、長崎が訪問地第一番なのです。
    また、WWⅡで日本が負けましたが、中国の何(か)将軍の第一声により日本は賠償金の支払いを許されました。
    オランダだけは要求を行いました。
    それが出島の復元なのです。
    当時の出島は埋め立てられており、境界も定かではなかったのですが、その復元のみを要求しまし、日本は受諾しました。現在も少しずつではありますが、復旧をしています。
    宮崎康平氏のまぼろしの邪馬台国にもあるように、地政学的にも面白い位置にあったようです。

            源 信正

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  10. 長崎の歴史をご紹介いただき、ありがとうございます。
    ドミニコ会の布教活動が鹿児島から始められ、その後
    北部九州に移っていったというのは暗示的です。
    そういえば、鉄砲が始めて日本に入ってきたのは
    種子島と言われています。
    種子島といえば、額に青銅製リングを付けていた
    と思われる頭蓋骨が出土した広田遺跡がある所でもあります。
    http://inoues.net/study/kanaseki.html
    この遺跡からは饕餮(とうてつ)紋の貝符も出土しているので
    古代中国の殷と同じ文化を持っていたとも言えます。
    そうすると、日本の銅鐸は薩摩半島の阿多地域が
    発祥の地である可能性も出てきます。
    このことは次回述べるつもりです。

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