前回、漢代の濊(わい)と倭のことについて少し触れましたが、加治木義博氏(
参照)によると、倭は漢代(紀元前後)では「ウバイ」又は「ウワイ」と発音するのが正しいとしています。私はそれを尊重し、前回の「倭」のルビを書き換えました。
加治木氏によると、漢代では倭をウバイと発音するので、倭人はウバイドと発音していたとしています。私の名前の清人は江戸時代頃まで「キヨンド」と発音していたのと同じなのだと思いますが、それよりも何よりも、ウバイドというのはもともと古代ユーフラテス河中流域(シュメール・現在のイラク
地図参照)に存在した地名だったのです(
参照)。これには驚きました。
ウバイドの遺跡の調査から、その地では農業を営み、灌漑農業を発明し発展させ、その管理監督は女性が行っていた。つまり女性上位の社会だったということです。ですからイナンナという水の女神が崇拝され、日本の天照大神や倭人(ウバイド)である卑弥呼のように祭祀と政治を行っていた。そして、このウバイドと同族とされるカリエン人が、紀元前2000頃のバビロン崩壊の際に、難民として南インド経由で東南アジア~沖縄~九州南部、あるいは東南アジア~中国大陸~朝鮮半島~九州北部と移動して行ったということなのです。
カリエン人はカルデア人と訛り、東南アジアではタイやミャンマーのカレン人、朝鮮半島では高麗人(カウレーアン)と訛った。またカウリーアンと訛り、これは宝貝人のことだそうで、つまり海人(あま)でもあったわけです。そういった意味では、沖縄は世界最大級のタカラガイ(宝貝)の宝庫ですから、カリエン人が沖縄を拠点に各地に行き来していたことが想像されるのです。
それから日本の弥生時代から古墳時代の副葬品として出土する、ゴホウラという貝の加工品(腕輪など)もカリエン人の影響なのかもしれません(
参照)。
出土している玉(ぎょく)製のタカラガイです
なぜ広大な中国大陸の内陸部から
このような貝を模した玉製品が出土したのか
不思議だったのですが
謎の民族とされる三星堆遺跡の民族は
もしかしたら、元々は先に紹介した宝貝人
だったのかもしれません
これは手許にあるタカラガイの一つで
おそらくハチジョウタカラガイと思われます
長さは8,3cmあり、この種ではかなり大きめです