2010年10月14日木曜日

隼人紋と猿田彦

下の写真は、ベトナム ドンソン文化(紀元前300~紀元100)の遺跡から出土したとされる青銅製の鐘です。高さは11cmほどで、以前紹介した滋賀県出土の小型銅鐸のレプリカ(参照)とほぼ同じ大きさです。ドンソン文化の青銅技術を持った民族が
日本に入ってきて、弥生時代の銅鐸を作ったのではないかという説がありますが、この鐘は銅鐸のルーツと言えるものなのかもしれません。
興味深いのは、この鐘に鋳込まれている文様ですが、これは隼人紋と同じなのです。隼人紋はHPで紹介(参照:九段目)しているように、縄文時代から見られるので、その頃から隼人系民族が日本にやって来ていたということになりますが、紹介した青銅製の鐘が事実ドンソン文化のものだとすれば、サルタヒコも隼人族と関係があるということになます。
古代筑紫国(福岡県)は猿田国と呼ばれていたという説もありますが、それ以前には九州全体が猿田国だったという説もあります。
先日紹介した鹿児島県霧島市の高千穂峰山頂に刺されている「天の逆鉾」にサルタヒコと思しき顔が付いているのは、その説を裏付けるものなのかもしれません。
そして高千穂峰の西に位置する阿多隼人の地こそ、最初に
サルタヒコが九州に基地を構えた所なのではないでしょうか(参照





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