2010年12月22日水曜日

簗瀬市蔵・初刀匠の合作刀 

この刀は、このブログにコメントをいただく
源 信正さんこと簗瀬(やなせ)哲也氏の
曽祖父の簗瀬市蔵氏と祖父初氏による合作刀で
昭和三年の昭和天皇の即位を祈念して打たれたものだそうです

12月20日のブログにコメントをいただいているように
この刀には刃中に長い金筋(金線)が入っているということですが
御自身、これが金筋なのか自信がないということです
これをご覧になって皆さまどう判断されますか

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以下、簗瀬氏による説明です

簗瀬市蔵の父彦六は備前長船刀匠横山左近介源祐信(友成56代孫)の門人で、祐信が安政三年11月11日福江城下に屋敷知行を下され作刀。万延元年9月15日に五島を辞去するまでの3,4年間滞在した際に長船の作刀を学び(1854~1860)五島神社の宝刀を明治17年に鍛造した。
五島には横山祐信と簗瀬一党にのみが刀工といわれている。
五島神社の御刀はWWⅡ戦後の際、もって行かれました。
裏表に昇り龍下り龍が彫られたのでなく、研磨の時に自然と浮き上がってきたので、宝刀とされたといわれてます。
この刀を作刀したのは、私の曽祖父「源朝臣 簗瀬市蔵 信正」(みなもとのあそん やなせいちぞう のぶまさ)(刀工名 源 信正)です。亡くなる一年前69歳の作で、祖父 初(はじめ)との合鎚で昭和三年に作刀したものと思われます。
彦六は信正の父になります。

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刃中にあるこのような筋を
金筋と言ったり銀筋と言ったりしますが
金筋の定義は、鑑定の指南書などでは
「刃縁や刃中に現れる筋で
沸が凝結して黒く光り輝いている直線状のもの
屈折しているものは稲妻と称する
金筋と同様でも白みを帯びて見えるものは銀筋と呼ぶ」
とされています
とすると、この刀のように
刃文に沿って曲線を描いているものは
稲妻とする方が妥当なのでしょうか・・

人によっては、白熱電球に当てて見て
金色に見えなければ金筋とは言えない
という人もいますので
なかなか判断が難しいところではあります

私が思うところは
この筋は沸(にえ)の凝結が緩いもののように見えますので
薩摩刀によく見られる沸筋とするのが妥当のような気がします
薩摩風稲妻とでも言いましょうか・・
しかし、この御刀は匂(におい)出来のように見えます
匂出来の刀にも沸筋が出るものなのでしょうか・・
不思議といえば不思議です・・

5 件のコメント:

  1. お刀を綺麗に磨ぎ上げていないのに、ご先祖様に申し訳なく思います。
    キヨンドさんへの私からの説明が悪くて時代背景を間違いそうなので、少し補足します。
    このお刀を作刀したのは、私の曽祖父(源 朝臣 簗瀬 市蔵 信正(みなもとのあそん やなせいちぞう のぶまさ)(源 信正)です。
    亡くなる一年前69歳の作で、祖父 初(はじめ)との合鎚で昭和三年に作刀したものと思われます。
    彦六は信正の父になります。
     この御刀に関してもう一つ教えていただきたいことが御座います。
     横手の角度です。
    通常横手の角度は真下90度に引かれますが、この横手は前75度に下がっています。
    このように横手を引く理由をご存知の方は教えてください。
                源 信正

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  2. 補足をいただき、ありがとうございました。
    タイトルと内容を書き直しました。

    横手が下がっているのは、考えられるのは
    鋒(きっさき)の刃こぼれを直したのではないか
    ということぐらいですか・・
    国宝の長谷部国重作の名物「へし切」も
    横手がやや下がっていますが、
    この刀は大鋒なので、この部分の刃がこぼれ、
    研ぎ直したことは考えられるように思います。

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  3. 板目と柾目について考察してみました。
    鉄を鍛錬するときに、同じ方向に折り曲げた場合、柾目になり、交差する方向に折り曲げた場合、板目になる。
    また、鉄の精錬度が良く、折り返し回数が少ない場合、大きな板目、になり、回数が多い場合、小さな板目あるいはつんだ柾目になります。
    私の刀に当てはめると、地の部分は、折り返し回数を多くした目の詰んだ柾目とし、刃の部分は二種類のいい鉄を使い、折り返しをあえて少なくした二段構えの甲伏せの構造ではなかろうかと考えています。
    土置きの際にあえて、刃に接する地の部分を薄くすることで、地鉄が鋼に変身し、このような文様になると考えました。
    そういう構造にすると、匂出来の刀にも沸筋が出る御刀になるのではなかろうか。
    焼入れの時は通常より細かな作業となると思います。
    祖父の初はもちろんのこと、曽祖父の市蔵はアイデアマンだと聞いてます。
    日本古来の作刀法のいい部分の集大成をこの御刀で試したのではなかろうかと思います。

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  4. 様々な試行錯誤がなされた結果なのでしょうね・・
    まったく頭が下がります。

    刀匠天田昭次氏は著書「鉄と日本刀」で、明治から昭和にかけての
    日本の鉄事情に言及されていますが、当時は軍刀の重要も多く
    日本各地で鑪(たたら)製鉄が行われていたようです。
    それに加え、ヨーロッパからの刃物用鋼の輸入も多種に及び、
    刀匠を身内に多く持つ刃物鍛冶の千代鶴是秀も、日本古来の玉鋼ではなく、切れ味の良いイギリスの鋼を使っていたという
    有名な話も紹介されています。
    この鋼は東郷ハガネのことだろうと思われますが、
    簗瀬刀匠合作刀が打たれた昭和三年には、刀匠の羽山円真
    http://www.e-sword.jp/sale/2009/0910_1060syousai.htm
    が、東郷ハガネを使った刀を打って、兜切りを為しています。
    このように当時の刀工は、時代の要請もあって
    様々な試みに挑戦していたようです。

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  5. 東郷鋼の包丁を磨いだことを思い出します。
    人工砥石(シャプトンM24)でもなかなか研磨がすすまなかったんですが、明治の研ぎ師は何を使って磨いだのか知りたいものです。
    私の御刀の刃はかなり強靭ですが、地は柔らかです。
    刃の部分は東郷鋼とか江戸末期の硬い刃ではなく、南北朝の感触で、地の部分は末古刀の感触です。
    目の細かな柾目にしたら、強度が落ちるのが良く分ります。
    バランスは非常に良く、備前刀そのものです。
    鑑定の時に(してはいけないのですが)正眼に持った感触を大事にします。(本当は振り下ろしてみたい)
             源 信正

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