2010年12月27日月曜日

葛城山と尾張

大阪と奈良の間には葛城山(かつらぎさん)がありますが、古事記では、この山に行幸に行った雄略天皇(5世紀とされる)が葛城山の主である一言主(ひとことぬし)と遭遇する話が記されています。
この葛城国の主は大物主系の物部氏(もののべのうじ)という説があります。もしそうだとすると、尾張連(おわりのむらじ)と熊野連の祖は葛城国ということになり、大物主は
ニギハヤヒと同義ですから、前回述べた吉野の国栖
(くず)族と同族ということになります。それを裏付けるように、尾張連と熊野連は大海人皇子を支援しているようです。
新撰姓氏録では尾張連は火明命(ほあかりのみこと)を祖としていますが(参照)、火明命はニギハヤヒと同義です。
また、熊野連の熊野という地名は以前紹介した九鬼家(参照)の出自地でもあり、やはり大物主系です。

5世紀頃の東海地方は大和王権の軍事的拠点とされていたようで、日本書紀のヤマトタケル東征譚では、
ヤマトタケルに従った者として、美濃(岐阜県)の弟彦公(おとひこのきみ)、伊勢(三重県)の石占横立(いしうらのよこたち)、尾張(愛知県)の田子稲置(たごのいなぎ)、乳近稲置(ちじかのいなぎ)の名が記されています。
稲置は稲城とも書かれますが当て字はともかく、イナギとは紐を使った投石(参照)を得意とした兵集団という説もあります。日本書紀では異佐誤(いさご)と記していますが、日本語では石弾のことを礫(つぶて)とも言います。
川崎真治説によると、イサゴや石・イシは紀元前3000年頃のメソポタミアのウル語あるいはシュメール語の
アサグやアスクが語源であるとしています。

3 件のコメント:

  1. http://www.pref.iwate.jp/~hp0910/tayori/106p2.pdf
    去年の記事ですが、世界最古の鉄器発見の研究ノートです。
    ヒッタイトより500年古い紀元前2000年の地層でトルコで発見されたそうです。
          源 信正

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  2. こちらのHPの「日本の歴史」その九で述べたことがありますが
    http://www6.ocn.ne.jp/~kiyond/japan-h9.html
    の九段目
    トルコのカマン・カレホユック遺跡から出土したものですね。
    ヒッタイト帝国は現在のトルコに位置し、アラジャホユック遺跡や
    カマン・カレホユック遺跡も同地にあります。
    ですから、これらの遺跡はプロト・ヒッタイトと位置付けされるようです。

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  3. 先の書き込みで、こちらのHPからリンクしているサイトで
    述べられている
    http://ww5.enjoy.ne.jp/~s-mattsun/kouza/kouzabk04.htm
    紀元前2300年頃とされるアナトリア文明博物館にある
    アラジャホユック遺跡出土の鉄剣は隕鉄だということが
    判明しているようです。
    http://karapaia.livedoor.biz/archives/51240749.html

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