きょう、八木書店から刊行されている「楽只堂らくしどう年録 第一巻」を手に入れました。この本については後日詳しく紹介するつもりですが、楽只堂とは徳川五代将軍綱吉の側用人として仕えていた柳沢吉保(よしやす1658~1714)の号だということです。
楽只堂年録は吉保の公用日記が翻刻刊行されるにあたって付けられたものだそうですが、この最初に吉保の先祖の家系が記されています。
その書き出しを少し写してみます・・(旧字は新字に直しています)
信定
「青木尾張守と号す、吉保が高祖父なり。そもそも青木氏は昔時、清和天皇五代の孫、伊予守源頼義の三男、新羅三郎義光、甲斐守に任ぜしより子孫彼国に充満す。これ甲斐源氏の太祖なり。」
このように、「駒王丸と高麗王若光 その2」で、源氏のルーツは朝鮮半島の新羅にあると述べたことの裏付けになるようなことが記されています。新羅三郎の郎は
花郎の郎でもあります。花郎のトップを源花、あるいは花主、また国仙と云うそうですから源氏の源という字も花郎軍団からきているのかもしれません。因みに源花の下が花郎、または仙郎があり、その下に郎徒または門徒という位があるということです。日本の武士について一族郎党と言ったりしますが、これは花郎軍団の郎徒からきているようです。