昭和51年(1976年)に出された高島郡誌を入手
これは昭和2年(1927年)に発行されたものに
昭和47年に古代編と昭和編が増補されたものです
滋賀県の高島(現在は高島市)といえば
仕上砥石の産地として有名ですが
この高島郡誌では砥石については
1400ページ以上あるなかで
わずか8行だけでした・・
その件だけでも紹介しておきます
砥石
嘉永元年(1848年:江戸時代末)大供村九兵衛、今津村彦右衛門、
弘川村淡路、北仰村伯耆 四人相謀(はか)り、
川上山に砥石あるを掘出したるも、良品ならざるを以て、
善積庄支配山北方に移りて又掘り試みしが、
同じき不良のものなりしかば、
更に俵山南方に移りて稍(やや)良品を得て
爾来発掘を続けたり。
同二年十二月冥加銀百目宛を
毎年饗庭(あえば)庄に納入することを約せり。
元禄八年(1695年:江戸時代初期)の饗庭山論立会絵図に
追分村の西、川上あてび尾に合砥石あり。
北古賀村領堺蟻かこし谷 狼谷の間に荒砥石山あり。
其頃既に砥石山の存在する事は知られしかども、
採掘に従事したりや否や今知るを得ず。
現在高島産の仕上砥は採掘されていませんが
産地としては妙覚山と相岩谷が知られていました
この二つの地名は現在の地図では表記なされていませんが
京都天然砥石組合から出されている
「京都天然砥石の魅力」では
所在地が地図に記されています
それを参考にだいたいの位置を
グーグル地図で示してみました
こちらは昭和58年(1983年)に刊行された高島町史
これは1036ページありますが
砥石に関する記述は1行だけでした・・
しかしながら、仕上砥を産する地層について
少し言及されていたので
以下、そこのとろを紹介しておきます
参考までに
これらは現在私の手許にある
相岩谷産の仕上砥です
なかでも上段左端の巣板と思われるものは
特に優れていて
いま、主力で使っているものです(参照)
こちらは妙覚山のものですが
今は手許にはありません(参照)
今日は、妙覚谷の共栄砥石工業様の砥石産地に行った事が有ります、今回たまたま砥石研究者から産地案内の依頼が有り砥石会社情報調べ中偶然こちらのブログ発見!今日小型乗用車で妙覚谷に行き来ましたが林道はガタガタで、採石場の手前から進入路が付け変えられ砥石産出場所迄の進入路が完全に消滅!恐らく初めて行った方は到達不可能と思います、もし見に行かれるならご案内可能です❗
返信削除コメントありがとうございます!
返信削除有難いお言葉を頂き、重ねて御礼申し上げます。
先般ブログで紹介した東京都埋蔵文化財センターの調査研究員
川田壽文氏が2004年に発表された
日本の天然砥石の産地を網羅した資料では
滋賀県には12箇所の砥石産地が紹介されていますが
https://www.instagram.com/p/BWeynW6ABKk/?taken-by=kiyond3
高島は朽木村荒川の相石谷のみの紹介で
妙覚谷は記載されておりません。
このあたりの事情も知りたいところであります。
さっそくの返信有り難うございます、今現在収集出来てる情報で考えられるのは、有限会社共栄砥石工業様が約15年位前迄?滋賀県高島市武曽横山の山中で砥石の切り出ししてた様で、私が偶然砥石の採石場に行き着いたのは13年前の閉山後だったと思います、現在滋賀県高島市の会社は廃業で消滅してます!もしかしたら京都府に存在する同名の有限会社、共栄砥石工業様の人見氏?が滋賀県高島市の砥石会社の事をご存じの可能性有りとの、他の方の砥石ブログのコメント見付けてます、当方も来週砥石研究者の方が採石場見に来られるのでコメント欄に最新情報書き込みさせて頂きます。
返信削除ありがとうございます。
返信削除最新情報、楽しみにしております。
京都天然砥石組合発行の「京都天然砥石の魅力」では
相岩谷の仕上砥は昭和31年当時、木村潔氏が採掘、木村砥石が販売、
従業員は5名と説明されており、妙覚谷は200年前近江硯の採掘者が
砥石を取ったのが始まりと説明され、採掘は青木孝夫氏、
共栄砥石採掘販売の人見一三氏が販売され、後に英夫氏が継承したとなっています。
今日は、大阪の考古学研究者の方と、今日の午前から妙覚谷迄調査に行きました、車高低めの車が入れる限界から1㌔約15分位で妙覚谷に到着し探索5分後に長さ10㍍以上高さ4㍍×幅5㍍以上の不良品砥石ズリ山発見!ズリ山内で即使用可能な位の平面砥石10個以上発見!じっくり探せばまだ見付ける事は可能です、もし採集に行かれるなら道の駅藤樹の里か、何処かで合流して現地にご案内します!
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