2022年12月31日土曜日

匠家必用記の記述の違い

 

匠家必用記 上巻 二章5ページめの
赤い「 」の部分は以下


(稲)田姫をかい(害)せんとす。素戔嗚尊これをきき給い、たちまちにいつくしみの御心を起し給ひて、其くるしみすくい給はんとほっし、大蛇をたいぢせんことをはかり給ふ。先あしなづち、でなづちをして毒酒を造らしめ大蛇にあたへたまへば、大きにゑいて(酔い)ねぶる(眠る)。そのとき素戔嗚尊たい(帯)し給ふ十握(とつか)の剣をぬひて、大蛇をずだずだにきり給ふ。(此剣を天羽々斬のけんと云。又はおろちのあらませの剣と号(なづ)く。今備前の国赤坂郡石上(いそのかみ)魂神社、又水ふる、又今大和のくに石上のかみやしろにまつるともいえり)。其尾に至りて剣の刃にしかけぬゆへを以て見給ふに、れいゐ成つるぎあり。あまのむら雲の御けんとなづく。

この部分が版本では


こうなっています
この部分だけ手書きのものは
違うことが書かれている
というのは、いったい
どういうことなのでしょうか
上の版本を読み下してみますと
「天皇も二神の子孫を内裏御造宮の工匠と定給ふ也。紀伊国名草郡御木(みき)の郷、麁香(あらか)の郷に二神の子孫有。又、平置帆負命の裔分れて今讃岐の国に有。姓は共に忌部(いんべ)氏也。又、安房(あわ)の国にも忌部有。委事は古語拾意に見へたり。猶、御子孫漫(はびこり)て諸国に忌部氏多かるべし。かくのごとくの人は別て敬ひ貴ずんば有べからず。神代より以来其制法四方に周流し歴年其道を伝へ、今番匠の工所の功は皆此二神の神教也。此故に番匠の祖

2022年12月30日金曜日

匠家必用記 二章 番匠の祖神基本を起給ふ事

 

匠家必用記 上巻 の二章
番匠の祖神基本を起給ふ事
の読み下しを紹介しておきます
間違いなどありましたら
ご指摘願います

忝(かたじけなく)も神国番匠の祖神其術(みち)の基本を起し給ふ。その本源尋るに天神七代に当りて伊弉諾尊(イザナギノミコト)、伊弉冉尊(イザナミノミコト)おのころ嶋に天降りましまし、天之瓊矛(あまのとほこ・ぬほこ)を以て国中の天柱(みはしら)とし、八尋の殿を化立給ふより此ことおこる。是神代天宮の始也。則此殿にましましてばんもつ(万物)を化生し給ふ。彼国中に御はしらを化立給ふ御神徳によって手置帆屓命(たをきぼらいのみこと)、彦狭知命(ひこさしりのみこと)に神始て番匠のみちの基本を起し、宮殿、屋宅及

諸のきざひを工出し給ひて、天下の至宝となる事挙げて、かぞへかたしかくのことごとの神功有によって、天照大神の上匠とし給ひて、きゅうでんをつくらしめ給ふ也。地神三代天津彦々火瓊瓊杵尊日向の高千穂のみねにあまくだり給いしときも此二神に命(みことのり)してきうでん(宮殿)を造らしむ。又出雲国杵築の大社御建立の始にも此二神を御工匠として宮殿並に船橋にも造りたもう也。是神代の事なれど何万年以前といふ事も計がたし。二神の御子孫次第に繁栄して神代の宮殿は皆此二神又御子孫の造り給ふ所也。人皇の始神武天皇大和国橿原に内裏を御造栄有し時に、二神の御孫を召て永く

其職にきざしたもう。此ゆへに代々の田姫をかいせんとす。素戔嗚尊これをきし給い、たちまちにいつくしみの御心を起し給ひて、其くるしみすくい給はんとほっし、大蛇をたいぢせんことをはかり給ふ。先あしなづちでなづちをして、毒酒を送らしめ大蛇にあたへたまへば、大気にゑいてねぶるそのとき素戔嗚尊たい(帯)し給ふ十握(とつか)の剣をぬひて大蛇をすだすだにきり給ふ。(此剣を天羽々斬のけんと云。又はおろちのあらませの剣と号く。今備前の国赤坂郡石上(いそのかみ)魂神社、又水ふる、又今大和のくに石上のかみやしろにまつるともいえり)。其尾に至りて剣の刃にしかけぬゆへを以て見給ふに、れいゐ成つるぎあり。あまのむら雲の御けんとなつく。神とうやまひ来るなり。又中比異コク(国)より

寺工来、てらしてるを送ることなど定て其人の姓も有べし。然れども日本のしんけいにあらざれば、論するにおよびばず。日本に生まれし人、十が九つかみのマゴナリ。かくのごとくの人はそれぞれの祖神を祭て常にうやまふべし。

印刷版に載せられている図


2022年12月29日木曜日

オブジェいろいろ

 

大根おろしの猫
模様は醤油


大根おろしニャン
というものらしい

こちらは
岩窟の釈迦を表現した
オブジェ

上に付けているのは
菩提樹の実
お釈迦様が菩提樹の木の下で
悟りを開いたことに
因んだもの

そして歯車のオブジェ




2022年12月28日水曜日

匠家必用記 上巻から一章の読み下し


匠家必用記 上巻から一章
神国神道並びに両部習合の大意の
読み下しを紹介しておきます
間違いなどありましたら
ご教示お願い致します

一 神国神道並びに両部習合の大意 
原(たずぬるに) 夫(それ) 日本は神国にして道は則(すなわち) 神道也。その故は天祖国常立尊(あまつみおやくにとこたちのみこと) を始とし、天神七代地神五代の神々国に統御し給い人皇は神武天皇に始り(地神五代並びに人皇といふ名目は書記に書かれども、しばらく俗習にしたがいこれをしるす)百十七代の今にいたる迄天照大神の皇(すべ)御孫天祚(天日嗣あまつひつぎの意) をしろし召して、神より伝ふる三種の神宝御身の護とならせ給い、皇統万々歳。


天地と共に窮なきは蓋是神国成の験なり。唐天竺にはかかるめでたき例なし。
貴くも又有難ことならずや。此故に日本は万国に勝れて貴きことをしるべし。
かくのごとく日本は神国なれば神の教を神道といへり。神道は人道にて朝暮身にはなれざる道也。日本に生れし人は此教に随て家を斎(ととのへ)身を修べし。君臣、父子、婦夫、兄弟、朋友、の交に正直淳和の神教をほどよくし、誠を常として其家業を勤むる人、これを神道を守るといふ也。かくのごとく道を守る人は神の冥加に叶ひ、必しぜんの福あり。常に相応の楽ありて苦といふことをしらず、且長寿を保て一生を豊にくらし、外より災来たざるは道を守るの徳也。故に神国に生れて此国の貴きことをしらずんば日本に生れたるかひなし。遠き異風の教に

本心を奪われて近き神国の神道たることをしらず、或はじゃよく(邪欲)不義ほうらつ(放埓)にして表里(表裏)をこととし、おのがみ(身)を立てんとて人の難儀をかへりみざる人は必しんるいむつましからず。朋友に遠ざかりつねに心にくるしみたへず。ややもすれば災起て米銭是が為についへ、自貧者となるは神教を守らざる謂也。故に神国に生れたる人第一しるべきことは神道ぞかし。中にも番匠は其職を神より伝へて日々其業を勤む。
豈神国の神道ならざらんや。是を以其職たる人は別て其職の祖神をしらずんば、たとえばおやあって親をしらざるにもまされり。去ほどに中比両部習合といふ神道をつくりて神をぶつぼさつ(仏菩薩)にこんざつ(混雑)し、なにがしの神社はほんぢ、なにのほとけ

などといひくらまし、神社をもてんぢく風にして神をやっこのごとくひくきにおとして神とく失ふことは清水にどろをながすごとく。またばんしゃう(番匠)の祖神をも聖徳太子に仕かへまつるにおいてはぶっきゃう(仏教)をよみ(誦)、ぎょるい(魚類)をきんす(禁ず)。これらみな両部習合者のしよいなるべし。此故番匠たる人も実の祖神をとりうしなひ、あんやにともしひのきへたるがごとし。然(しかる)に中比のらんせい久しく収らず。思ば(ややもすれば)乱ぞくに引ちらされ、或は兵火に煙と成て東西に逃走り安心ならざれ折からは万人是察せざるもことわり也。今の四海波しずかにして太平御代に生れし思出に祖神の祖たる神光をかかげて、神おん(恩)をしゃ(謝)し

奉ることで、はん(番匠)たる人のほんいともいふべけれ。両部習合しゃ(者)へ降参の人々よくこの理を考へ、過を改て神代より定る誠の祖神を敬ひ奉らば、其職繁盛の基本(もとい)たること類ひ有べからず。

2022年12月27日火曜日

Gelas Mandola 修復


こちらは
マリアハープのブリッジ

取り付け完了

そしてメープル材の製材
修復中の1923年製の
ジェラ・マンドラ
これまで何度か
修理がなされていて
ヘッドも作り換えられて
いるので
今回新たに取り換える
ことにした

鉋仕上げ

ヘッドの形になってきた


所定の長さにカットする


取り換えたヘッド

ネックの接着面を挽き出す



ネックはこれまで
割れたり折れたりした
形跡が見られる


そして新たなヘッドを接着




2022年12月25日日曜日

我が家のクリスマスツリー


我が家のクリスマスツリー






こちらはエル・グレコの祭壇画。大塚国際美術館にある複製祭壇画はタイル製だが、祭壇は本場イタリアの伝統ある工房で作られたもので、制作費は数億円だったらしい。祭壇に収められている絵も現在では散逸していて、複製タイル画の配置は日本人研究家によって決められたとうのも興味深い。そのことについて書かれた、玉岡かおる氏の小説「われ去りしとも美は朽ちず」は感動的!

因みにエル・グレコは
ギリシャ人で本名は
ドメニコス・テオトコプーロス
これは知らなかった

2022年12月21日水曜日

匠家必用記 序文 そして描かれた猫

 

まずこの浮世絵
始めて目にした
黒漆で仕上げられた
三味線箱に写る
自分の姿を威嚇する猫
発想が素晴らしい!
狂歌と思われる一句めは
「うつろふる かげにもくるふ 猫柳 目もはるほどに みゆるはつ春」でしょうか
二句めは「兄とのふ(唱ふ) 梅にさひつる(囀る) 鶯の いろね(色音)にまさる(勝る) うたひ女の声」か・・
間違いがありましたら、訂正願います

こちらは先般紹介した
匠家必用記の序文
読み下しをUPしておきます
「匠家必用記自序
薬師仏を以て医の祖神として、菅丞相(菅原道真)を鍛冶の祖神として、藍染を以て染匠(こんや)の祖神とし、布袋和尚を福神とし(する・か?)類皆是俗説の所為なり。所謂日本番匠のそじんも大略これなりと同じふして神徳を失ふ。昔より書に載て神徳仰といへども事委からず。或はその文堅して番匠の童是をみること難し故に

俗説混雑して末に走る人は多く其元にいたる人は万にして一人のみ。僕此職ならねども家業のいとまに神書をけみし折々其御神名の所に至りて御しんとくのかくれ給ることをなげきて終に不得已(やむをえず)して此ことを書す。号(なづけ)て匠家必用記といふ。博識人のみる可(べく)書にあらず。
唯を番匠童をして其理を覚さしめんが為なり。譬(たとえ)ば正誤は宮殿のごとく

書を階梯のごとし。番匠の童職のいとまとに此書をみるに自然と彼宮殿に至り易からんが。始に専番匠の神のこんざつせることを弁じ、次に神代のむかし語を写して番匠の神の神とくをのべ、終に宮造り鳥井(鳥居に)至るまで。そのうへ実を現し又屋造り吉凶の弁を加へて三巻となしぬ。
実に此職たる人の其元を求る一助

とせば少の益もあらんがしと拙き言の葉を筆してばんじやう(番匠) のわらんべ (童) にそなふることしかり。
美ノ作国津山  立石定準 誌
宝暦五 己亥 (つちのと い) 歳 」

これは職人絵に描かれた
番匠図ですが
弟子と思われる子供(童)も
描かれています
江戸時代には寺子屋もあり
子供に読み書きを
教えていたようなので
今回紹介した文字くらいは
読めていたのかもしれません