2016年3月17日木曜日

古い会津鉋 重清銘を入手

古い会津鉋
重清銘の鉋身を2枚手に入れました

右は際鉋(身幅約43mm)
左は内丸鉋(身幅約38mm)

堤章氏の著書「会津の刃物鍛冶」によると
重清銘の刃物を鍛えていたのは三浦清吉
という人で、この人は若林猪之吉系の
若林守蔵の弟子
大正~昭和時代の人

明治時代以降の会津刃物の祖は
刀工であった若林安右衛門の長男・安左衛門と
次男の猪之吉とされ、両人とも刀工でしたが
明治時代の廃刀令により
多くの刀鍛冶匠が刃物鍛冶に転向していったように
この兄弟も重房銘で刃物を鍛えるのが
本業となっていったようです

会津刃物の元祖とも言える
重房の登場となるわけですが
兄弟どちらも重房を名乗り
本家を譲らなかったということで
話し合いの結果
兄の安左衛門は銘の重の字の里部分を
上まで通さずに里にし(通称・里重)
弟の猪之吉は銘の重をそのまま表記する(通称・通し重)
ということで重房銘を区別することが決まったそうです
それ以来、弟子筋はその掟を踏襲したということですが
この重清は「通し重」になっていますので
次男の若林猪之吉系ということになります


平鉋として使うため刃先を修正
裏出しを終えた状態
これは際鉋だったもの

鎬面をグラインダーで成形
刃角度は約28度

会津鉋独特の身の薄さ
特に奥の内丸鉋は薄造りで
薄いところは3.2mmほど

左の内丸鉋(身幅約38mm)は
地鉄が硬く裏がほとんど出なかった

その後裏押しを行い、研ぎ上げた状態

そして天然砥石で研いでいく
これは中砥ぎの伊予砥(粒度grit約600)

鋼Haganeと地鉄Jiganeの境がないような・・

次に丹波産の粗めの青砥を(粒度約1000)使う


そして、今度は硬口の青砥をかける(粒度約1200)

やはり鋼と地鉄の鍛接境がないような・・

中砥ぎの最後として
鳥取県産の因幡砥Inaba-toを使う(粒度約2000)



仕上砥ぎは、現在主力で使っている
滋賀県相岩谷産の巣板を使う

やはり全鋼All steelでした・・
しかしながら普通に研ぐことが出来るのは不思議です
甘めの焼入れなのでしょうか

刃先を拡大してみると
やはり鋼の硬度が低めのような印象を受けます


こちらは際鉋の方

こちらは鋼と地鉄の鍛接面がはっきりと分かります

研ぎ上がりは、上の全鋼のものよりも
硬度がある影響か研ぎ傷が浅く
刃先が精緻に揃っています

2 件のコメント:

  1. 試し削りが見たいです。 もし鈍らなら、焼き入れするのかと期待

      みや

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  2. 明日、槐(エンジュ)材の細棒を削る予定なので
    動画を撮ってみようと思います。
    乞うご期待!

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