2009年12月7日月曜日

古代の製鉄 その7

古来から製鉄あるいは鍛冶を行う人々が信仰の対象としてきた神に、前回紹介した兵主神(ひょうずのかみ)の他に天目一箇神(あまのまひとつのかみ)」と「金屋子神(かなやごのかみ)」があります。古来から優れた砂鉄が採れることで有名な、播磨西部(兵庫県)千種(ちくさ)地方では、金屋子神は「カナイゴサン」と呼んでいたそうです。これは、古来から朱の原料である朱砂が採れる地域にある丹生(にう)神社を、播磨地方では「タンジョウサン」と親しみを持って呼んでいるのと同様の呼称だと思われるのですが、それだけ地元の人たちにとっては身近なものだったことが想像されるのです。因みに、朱砂は赤色の顔料として縄文時代から使われていいる朱、そして鍍金に欠かせない水銀の原料でもあるので、古来から重要な鉱物資源でありました。
そういうことですから、丹生神社は全国各地に存在し、
150カ所以上はあると云われています。丹生の「丹」も赤いという意味があります。丹生神社の代表的なものとしては紀伊国(和歌山県)丹生都比売神社が挙げられますが、比売という字が付くくらいですから、もちろん祭神は女神である丹生都比売(にうづひめ)であります。ここのところに私は大変興味を惹かれます。話をちょっと戻しますが、古代の朱砂産地として記録されているものとしては、古いところでは続日本紀に、近江国(おうみのくに・滋賀県)に金青を献上させたこと、また伊勢国(三重県)には朱砂と雄黄(硫化砒素)を、常陸(ひたち・茨城県)・備前(岡山県)・伊予(愛媛県)・日向(ひゅうが・宮崎県)は朱砂、安芸(あき・広島県)・長門(ながと・山口県)には金青と緑青を、豊後国(ぶんご・大分県)には真朱を献上させたということが記録されています。
参照:このサイト内で「朱」で検索してください。





2 件のコメント:

めだか さんのコメント...

学生時代に宍粟で踏鞴跡の発掘に携わりました。中国縦貫道の出ちゃった発掘でしたが なかなかに面白かったです。野鍛冶と同じでしたが当時は小屋掛けだったのでしょうね。時代は何層にも重なって 一番古くは弥生中期で新しいところでは鎌倉かな。土器で同定しましたが 石鏃もあったりして 面白かったですよ。そういえば一部縄文土器も出てました。何世代にも渡って使われた踏鞴の様です。播磨は製鉄が盛んな土地の様ですね。三木も金物の土地。親しみを感じます。
 三木の場合は 秀吉から農機具・細工金物の朱印状があったため
刀は見ませんが 小刀は今でも作られてます(肥後の守)。小学校で使われるそうです、鉛筆削りの練習とか・・・。私ら 竹ひご作りましたが。

 先日(6日)お会いできるかと楽しみにしていたのですが、お忙しいとのことで残念でした。
 つきましては 砥石をお渡しに伺いたく思います。
ご都合のよい 平日をお知らせくださいませ。参上いたします。

kiyond さんのコメント...

コメントおおきにです!
いつも貴重な話を聞かせていただき、大変ありがたいです。
宍粟といえば、播磨国風土記で天日槍が登場する場所ですね。
弥生時代中頃の製鉄跡があったんですね・・
やはり天日槍以前から製鉄が行われていた可能性大ですね。そうすると、岩野辺に製鉄技術を伝えたとされる天児屋根命は弥生時代中頃とも云えることになりますか・・
それから、天児屋根命は天孫降臨の際にニニギノミコトに随伴していたということですから、それに関係がある猿田彦も同じ時代ということになります・・大変に興味深いです。

6日は足を運ぶことができず、申し訳ありませんでした。
砥石の件、かたじけないです。
平日はだいたい工房にいます。前日にでも連絡を頂ければ確実に居るようにします。
拙作の石器や勾玉も見てもらいたいですね。