2015年7月30日木曜日

優れた仕上砥 産地不明

播州(兵庫県南部)の旧家に眠っていた
天然仕上げ砥石を入手

長い期間放置されていたためか
研ぎ面が1.5mmほどの厚みで
層が剥がれていたので
瞬間接着剤で接着しました

両側の様子
一見、京都梅ヶ畑・菖蒲産かな
という印象を受けます

石質はかなり硬いのですが
滑らかに研ぐことができます

中継ぎの仕上砥ぎの後
2分ほど研いだ状態
地・刃ともにピカピカの鏡面に研ぎ上がります

鋼は青紙スーパー


身幅55mmの常三郎作
銘悟両忘

こちらは和鋼と和鉄が使われた古い鉋
こちらも仕上砥ぎの中継ぎの後
2分ほど研いだ状態です

古い日本刀のような雰囲気に研ぎ上がりました

鉋身は古い会津鉋、重道寸四(身幅6cm)

今回の研ぎに使った砥石
すべて天然砥石で
左から中砥ぎで使った備水砥(軟口)→
(備水砥は白天草砥とも呼ばれています)
同じく備水砥(硬口)→
前回紹介した沼田砥(硬口)
その右2丁は仕上げ砥石で
左は中継ぎで使った滋賀県高島市相岩谷産戸前(軟口)
右端は今回紹介した硬口の仕上砥

石質の雰囲気と研ぎ感から
京都梅ヶ畑・菖蒲産かな・・という気がしますが
ここまで硬いものには初めてお目にかかりました
しかも研ぎ易く、研ぎ上がりも素晴しい
文句なしの仕上砥です

2015年7月24日金曜日

タモ材のマリアハープ





こちらは工房の様子
今回製作中のタモ材のマリアハープは
板の削りは古い会津鉋で荒削りと中削りを行った
重上銘は会津鉋の中でもトップクラスの
刃先の強靭さがあるということになっているが
こちらの手持ちの中では重高銘がトップクラスであります
重上も他の現代製の鉋よりは永切れするが重高には及ばない



この写真でも刃先の状態が確認できる
左は荒削りに使った重高
まだまだ刃先は健在
右の重上は中削りに使ったにもかかわらず
刃先は白く磨耗している
刃角度はどちらも約27度

この天板を接着したら組上げが完了
この後、ニス塗りを行う

色付けをどうするか・・
ということで、テスト・ピースを作っているところ

2015年7月20日月曜日

山芍薬の実、そして産地不明の中砥二種

ついに山芍薬(ヤマシャクヤク)の実が開きました
時期がちょっと早いような気がしますが・・


鉢植えの方は
まだまだ、といった感じです

こちらは新たに手に入れた産地不明の中砥、二種
水に濡れていない状態
白い方は福井県産の寺中jichu砥と思われ
今ではたいへん珍しく貴重な砥石です 
褐色の方は群馬県産の本沼田砥
あるいは小日向obinata砥と思われます

水に濡れた状態

右端は手持ちの本沼田砥
これは産地がはっきりとしているもの
その左は今回手に入れたもの
本沼田砥は沼田砥の層の上部とされ、
風化が進んで柔らかめのものが多いということです
この下に瓢箪沼田砥(参照)と呼ばれるものがあり
その下の層は白く硬いものが採れたということです

左から二番目は砥沢・虎砥、これも確実なもの
左端は今回手に入れた寺中砥

寸八鉋で試し研ぎ
よく反応しますが、黒い点状のところが
ガリガリと当たります

かなり荒い傷が付き、荒砥といった感じ
沼田砥にはよく見られる傷の付き方ですが
ここまで荒いものは初めて見ました

寺中砥と思われるもの
よく反応し、心地よく研ぐことができます
砥汁もなかなか良い感じです
この砥石は沼田砥にも似ていますが

沼田砥や砥沢砥には
ほとんどのものが針気があり
このような緻密な研ぎ上がりの
ものにはこれまでお目にかかっていません
おそらくこれは寺中砥でしょう
かなり良い状態の研ぎ上がりで
これは即戦力として充分使えます

2015年7月17日金曜日

台風一過 タモ材のマリアハープ そして安保法案

台風11号、こちらは大したことはなく無事でした
皆様のところはいかがでしたでしょうか・・
無事を祈念しております

さて、これは今日の作業
初めての背面が曲面のマリアハープ
曲面を頭の中で描ききるのに苦労しましたが
一旦描ききってしまうと
あとは目と手が勝手にやってくれるので楽
曲面削りはやっぱし楽しい

橘商店からお世話になったタモ材
何度見ても美しい








世間では安保法案のことで喧しいようですが
ちょっと騒ぎ過ぎでは・・
左翼系のマスコミは特に・・
それに踊らされている人たち・・

戦争がいけない、というのは誰もが分かっていること
ところがそれを仕掛けようとしている国があるのも事実
それを止めさせるための抑止力として
軍事力、あるいは戦争能力があるのも事実
そこのところを分かっていない人がほとんどなのだな・・
と今回の騒ぎを見ていて私は感じました
個人の感情と国と国の関係をごちゃ混ぜにしてはいけないのですね
左翼系のマスコミがやる常套手段でもありますが・・

今回の安保法案についてはほとんどの人が反対で
憲法学者でさえ反対する人が多いようですが
現憲法の趣旨には合っている、と云えるのでは・・
現憲法はGHQによって押し付けられた本来は無効なものですが
日本人がそれを受け入れてきて、現在もそれが存在している以上
現憲法に則って事を運ばなければならない
そういった観点から見れば
今回の安保法案は現憲法に違反はしていないと云える
その内容の一つ
現憲法前文に「われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して
他国を無視してはならないのであって、
政治道徳の法則は、普遍的なものであり、
この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、
他国と対等関係に立とうとする
各国の責務であると信ずる。」とあります

今回の法案の一つに、日本周辺での有事の際
米軍を支援するための周辺事態法が含まれていますが
現憲法では「いずれの国家も、自国のことのみに専念して
他国を無視してはならない」と謳っているのだから
この法案は憲法の趣旨に合っています

それから、現憲法では「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」
とありますが、そうではない国が存在している場合はどうするのか・・
そうではない国が現に存在しているのでは・・?

個人の問題に例えるなら
家に強盗が入ってきたらどうするかということですが
個人の場合だったら逃げれば済むでしょうが
他国が日本を攻めてきたらやっぱり逃げるの?
その場合どこに逃げるの?
それともその国の属国になるの?
属国で済めばまだいいが昔なら皆殺しですよ
西洋の場合だったら旧約聖書を読めば分かります

今回の法案の趣旨は、日本が被害を蒙る有事の際に
自衛隊がどうするかということですが
現在は安保条約により、有事のときにはアメリカ軍が
日本を守ってくれることになっています
現在のオバマ政権ではあまり期待はできませんが
もし仮にアメリカが日本を守ってくれたとして
その際、アメリカ兵が死ぬようなことがあっても
日本人さえ無事だったらそれでいいのでしょうか・・
これは他人の褌で相撲をとっているようなもの
本来は自分の国は自分で守るべきで
国の威信でもあると思うのですがね・・

昭和26年に日本はGHQの占領から解放され
独立しましたが(サンフランシスコ条約)
当時の吉田内閣は軍備に予算をかけることをケチッて
他人の褌を付け続けました・・

アメリカはその後、朝鮮戦争をやって
ようやくマッカーサーは
日本が明治以降戦争を行ったことの
意味を理解したようですが
(日清・日露戦争~大東亜戦争)
つまり、日本は侵略のためにやったのではなく
ロシアや中国の脅威から守るために
行ったものである、ということを・・
(大東亜戦争に関しては、日本はセキュリティーのために行った
というマッカーサー証言があります)

この日本が行った戦争によって
それまでの白人によるアジアの植民地支配に
ピリオドを打つことができたわけで
ここのところは重要なところなのです

どちらにしてもサンフランシスコ条約で
GHQの占領が終わり、日本は独立したのに
その独立記念日がない・・というのも
日本は不思議な国だなと思いますね
GHQによって押し付けられた占領憲法の
憲法記念日はあるのに・・


2015年7月15日水曜日

杜陀日記と源氏貝尽


江戸時代(幕末)の丹波篠山大山出身の僧侶
称瑞上人が江戸から郷里に戻るまでの旅の様子を記した
「杜陀(ずだ)日記」 これの研究書を入手
 著者は中西健治氏。この日記によると、旅立ちの日は
天保15年(1844年)旧暦2月4日
称瑞41歳のとき
郷里の丹波大山に到着したのは3月24日
 途中数日留まったりという行程だが、2ヶ月近くかかっている
 幕末ともなると全国各地の名所図会が出版されていることから
多くの旅人がいたようで、街道の賑やかさも伝わってきます

旅に際しては数名の随伴人がいたようで
日記の所々に記されています


ここで紹介されている正楽寺は篠山市矢代にあり
矢代はこの旅日記を記した称瑞上人の
母親の生地だということです


京都から丹波へは現在の国道372号線を通った方が
距離的には近いのだが、称瑞上人は
大阪から現在の国道176号線経由で行っている
こちらのルートの方が険しい峠越えは少ない
ということもあるのでしょうが
日記では大阪の知人の家にも寄っているので
いろいろと事情があってのことかもしれません
京都から大阪に向かう途中には
橋本というところから舟に乗り、淀川を下っています

大阪では郷里から迎えが来ているので
途中で手紙か何かで知らせていたものと思われます

大阪から丹波に向かう途中の堂場というところは
現在は道場(どうじょう)となっています



さて、こちらは上の杜陀日記とは何の関係もありませんが
同じ日に手に入れたので
ついでに紹介しておきます

「源氏貝尽(げんじ 貝つくし)」という
貝合わせの絵柄のための見本帳

以下、おもしろそうなものを
抜粋して紹介しておきます




「金襴」と「浪(波)うさぎ」


これは手許にある彫刻の波兎


「神代」 「宝来織」 「水草」 
「有織せいがい」・・これは有職(ゆうそく)青海(せいがい)
のことと思われます


「阿しこ 小鳥」は、あしこ(彼処:あそこ)の小鳥
という意味でしょうか・・?

「木蓮に蝶」 「麻の葉 牡丹」


阿ま龍(雨龍)


「古代立わけ」 
「〇なり七宝」〇の字は判然としません
七宝繋ぎ文のことでしょうか・・

「夏のくれ(暮か)」 

次は「雲竜」とされていますが、
これは麒麟(きりん)と思われます


「九竜神」 「蜘の巣」