最近観た映画二本
「ヴィヴァルディと私」
そして「ザ•コラール」
「ヴィヴァルディと私」は1716年イタリア
ベネチアの修道院
「ザ・コラール」はその200年後
1916年のイギリス、ヨークシャーの合唱団
どちらも戦時下が舞台
人間の存在意義と音楽の必要性
また作曲家と演奏家の存在意義など
重いテーマではあったが
いろいろと考えさせられた
ヴィヴァルディと私の原作本
ヴィヴァルディと私の原作本
余談になるが、ヴィヴァルディは1741年
極貧の内にこの世を去り
その後忘れ去られてしまうが
180年以上経った1926年
手書きの楽譜が発見され
1930年にはほぼ全ての
自筆譜が揃ったとされている
その経緯にも様々なドラマがあり
一つの映画になるのでは
と思われるほどである
こちらは蝉谷めぐ実さんの小説
「見えるか保己一」
カバーの装画に驚かされる
保己一は江戸時代後期の盲人国学者、
塙保己一Hanawa Hokiichi のこと
小説では保己一の生い立ちから
群書類従を出版するための
版木を準備するところまで描かれている
塙保己一は7歳で失明、12歳のとき母と死別、
15歳で江戸に行き、17歳のときに
盲人の組織である当道座に入門している
当時の盲人の職業は鍼灸、医術、
音楽(平家琵琶を弾きながら平曲を語る琵琶法師
地唄、箏曲など)が主だったが
保己一はどれも苦手で
暗記力だけは群を抜いていたので
国学を究める道を選んだ
結果、それまで玉石混交状態だった
出版物を整理、玉だけを選び
新たな出版を企画した
それが群書類従Gunsho-ruiju で
企画してから出版するまで
40年ほどかかっている
塙保己一のことはヘレン・ケラーも
尊敬していたらしい
塙保己一
群書類従の版木
版本
大正時代に再編纂された群書類従
手許にあるもの
右の第十九輯の管絃部には
琵琶の説明

先日製作した角盥

そして注ぎ口を付けた楾hanzo
これらを作る際に
参考にした資料の一部を紹介
雄山閣から出版されている
木工の考古学
轆轤rokuroは弥生時代から
使われていたようだが
現物は確認されておらず
轆轤で作られたとされる木製品は
状況証拠として確認できる
しかしながら
研究者の意見は分かれているようだ
奈良県の弥生時代の遺跡
唐古遺跡から出土している木工品
右のものは刳り加工と思われるが
左側の2点は轆轤による加工と思われる
これは上の画像のものと
同様のものか・・
轆轤は描かれているものとしては
14世紀のものが最古とされているようで
弥生時代のものも
それほど違わなかったものと思われる
加工されたものは古墳時代のものと
奈良時代のものに
口径46cmのものがあるのには
驚かされる
古代西アジアの轆轤
西洋にはこのようなものも
あったようだ
室町時代頃の轆轤師の職人絵
出来上がった角盥と楾hanzoが
セットにされている
これは蒔絵師が角盥に
黒漆を塗っているところ
角盥と楾を使っているところ
江戸時代に出版された塩尻百巻から
「忝ない(かたじけない)」について。
カタジケナシという言葉は本来は
「アリカタシオホケナシ」というそうで、
この言葉からアリとオホを略して
カタジケナシという、と説明されている。
知らなかった
カスタマーハラスメントを
カスハラと言うようなものか・・
以下、画像の文を読みやすいように
整理したもの。
「俗に物の有りかたく覚ゆる事を
「かたしけなし」といふ。忝(テン)の字
辱の字を用ゆ(中略)。
辱は耻(恥)也、悪也、汚也等。字註あれとも
物のありやすからぬをいふ事見えさるにや。
知る人考へよ。儀礼の集補に車ニシテ
送拝ムカヘテ辱其註カタジケナキシを考ふるに、
諸公賓と相為ナル時其国君来賓を郊労すとて
車に乗りて郊門迄出て、他國の君の自屈
辱して来るを謝すと見えたり。
是、其、辱むかふの人(はずかしむ向こうの人)
に有てこなたより謝するをいふ也。
今の人何事も自(オノズカラ)かたしけなく
存るなんといふはあたらさる歟(カ)。
但し人の労を謝するは意かなへり。
カタジケナシといふ言又解しかたし。
歸命本願抄要解に此和語の心は
「ありかたしおほけなし(ありがたい、
身の程を知らない)」といふ義なるへし。
アリとオホとを略してカタジケナシと
いふなるへしと云々。」
造物神お気に入りの模様か・・
同じようなパターンを
違った種類に使い回している
こちらはイチョウガイ
この部分は折り紙のように
折りたたまれている
まったく驚かされる
来週製作する特注19世紀ギター
ウィーンタイプの糸巻が
出来上がってきた
こちらはこれから製作する
ポルトガルギターの糸巻
以前紹介したショイヒツァーが
描いた古代イスラエルのダビデ王
ダビデが持っている楽器が
ショイヒツァー当時の
ゴシックハープなのがおもしろい
GoogleGemini先生が
描いくれた竪琴
ダビデは若い頃竪琴の名手でもあったが
投石も得意で、ペリシテ最強の戦士
ゴリアトを投石で倒し
その後、イスラエルの王となった
投石については
石で石