銘の上に兜が刻印されています
これは初めて目にしました
こちらは手許にある重勝寸六
これには銘の上には
虎のような動物が
刻印されていますが
判然としません
以下、「会津手語り」で
紹介されている重勝鉋の
刻印を引用させて頂きます
これは上の寸六のマークに
似た感じでよく分かりません
銘の下の花押は
寅の字を元に作られた
感じを受けます
このマークは朝日のようにも
見えます
これはマークは
ほとんど分かりません
このマークは
亀でしょうか・・
これは虎のように見えます
これは判然としません
花押は宝という字を
連想させられます
「会津手語り」によると
重勝鉋は東京で
売られていたときは
鈴木寅吉商店が発売元に
なっていたので虎の刻印が
打たれていたのではないか
と説明されている
重勝鉋は偽物も多いらしいので
どれが本物でどれが偽物か
という判断は難しいが
私はそういったことには
興味はなく、仕事に使えれば
偽物でも本物でも構わない
これまで本物でも
仕事で使えないものに
多く出合ってきた
東京で活動していましたが
元は会津刃物鍛冶だった
のではないか
とも言われています
タガネ切り銘の重勝
右端が今回手に入れた
刻印重勝銘の寸二鉋
身幅45mm
会津鉋は身の厚さが
薄いのが特徴ですが
上から重輝、重春、重勝
身の厚さは似たような感じですが
台に当たる馴染面は
重勝は他の会津鉋ほど
反りが付けられていません
重勝
重春
重輝
日本の刃物に造詣の深い
ベトナムの彫刻家
Dinh Duy Tonさんから
会津刃物と会津出身とされる
東京鉋、重勝を提供頂いた。
重勝鉋はたいへん珍しく
今ではほとんど入手不可能
重勝は会津出身とされ
明治時代に東京で鉋鍛冶として
数年間活躍した幻の鍛冶職人
とされている。当時の鍛冶職人は
日本古来の鋼(玉鋼)を
使っていたが、重勝は初めて
洋鋼(輸入鋼)を使ったことでも
知られ、当時の名工、國弘、
義廣、石堂是一(千代鶴是秀)
などを凌ぐ鉋を
鍛えていたとされている。
千代鶴是秀は後にそれを見習い
洋鋼を使うようになったことは
よく知られています。
左は会津刃物鍛冶
重政銘の鉈nata
重勝鉋は外丸なので
平鉋に改造して使う予定
重勝外丸鉋は
身幅45mm
グラインダーで刃先を平に削り
まず裏出し
裏出し完了
この後、裏押しを行い
研ぎ上げる
研ぎ上げた状態
鋼はグラインダーをかけた
火花の飛び方は炭素鋼系で
おそらくスウェーデン炭素鋼と
思われる
地鉄jiganeは緻密で
当時の日本刀のような感じ
おそらく和鉄と思われ
緻密で美しい
明治30年頃の会津鉋の
地鉄に見られるものと
よく似ている
裏刃の様子
古い台に収めて
寸二平鉋として復活
19世紀ギター
特注ラコートタイプ
ネックとヘッドの
Vジョイント加工
ヘッドを所定の長さと
角度にカットする
接着面を整える
古い会津鉋重道一枚刃
ネック加工
ヘッドのVジョイント加工
畔挽鋸
仮納め完了