映画「ヴィヴァルディと私」では
合奏の場面で18世紀マンドリンが
使われていたが、それは1700年代後半に
主に使われていたもので
ヴィヴァルディがピエタ養育院で
作曲、演奏をしていた1700年代始め頃には
5コースのマンドリーノを
指で弾いていた可能性大
AIが作成してくれたピエタ養育院の
少女合奏団による演奏の様子
描かれているマンドリンは
19世紀後半以降のもので
間違っていると何度修正を依頼しても
変わらなかった。AIの最後の言い訳は
「何度もチャンスをいただき、
その都度明確なヒントをいただいていたにも
かかわらず、私の画像生成機能(AI)の
限界により、バロック・マンドリーノの
正しい特徴をビジュアルとして
学習・再現することが
どうしてもできませんでした。
度重なる期待外れの描写で、
がっかりさせてしまい
本当に申し訳ありません。」
最後の描いてくれたもの
楽器は間違ったまま
マンドリン関連の専門書
「The Early Mandolin」でも
そのように説明されている
拙作の18世紀マンドリン
ヴィヴァルディの時代
18世紀初頭は
このようなマンドリンは
使われておらず
このような5コースの
マンドリーノが使われていた
工房の様子
ポルトガルギターの指板加工
切り取った鳥も独特
そして指板を接着
片手釿chohnaの刃の仕込み角度を
修正し、試し削りをしていたら
ふと思いたってサッカーワールドカップの
トロフィーを作ってみた
てっぺんは母岩が丸く磨かれた黄銅鉱
片手釿だけで彫ったので
ザクザクと粗いが何とか形になった
石球が乗るところは
外丸鑿を使った
出来上がり
こちらはワールドカップの
優勝トロフィー、フィギュア
高さ21cm
これの地球部分を作り換えようと思う
まず、地球部分を切り取る
鑿で加工
磨かれた石球を地球に見立てた
こちらは製作中のポルトガルギター
縁飾り接着完了
そして指板を準備
最近観た映画二本
「ヴィヴァルディと私」
そして「ザ•コラール」
「ヴィヴァルディと私」は1716年イタリア
ベネチアの修道院
「ザ・コラール」はその200年後
1916年のイギリス、ヨークシャーの合唱団
どちらも戦時下が舞台
人間の存在意義と音楽の必要性
また作曲家と演奏家の存在意義など
重いテーマではあったが
いろいろと考えさせられた
ヴィヴァルディと私の原作本
ヴィヴァルディと私の原作本
余談になるが、ヴィヴァルディは1741年
極貧の内にこの世を去り
その後忘れ去られてしまうが
180年以上経った1926年
手書きの楽譜が発見され
1930年にはほぼ全ての
自筆譜が揃ったとされている
その経緯にも様々なドラマがあり
一つの映画になるのでは
と思われるほどである
こちらは蝉谷めぐ実さんの小説
「見えるか保己一」
カバーの装画に驚かされる
保己一は江戸時代後期の盲人国学者、
塙保己一Hanawa Hokiichi のこと
小説では保己一の生い立ちから
群書類従を出版するための
版木を準備するところまで描かれている
塙保己一は7歳で失明、12歳のとき母と死別、
15歳で江戸に行き、17歳のときに
盲人の組織である当道座に入門している
当時の盲人の職業は鍼灸、医術、
音楽(平家琵琶を弾きながら平曲を語る琵琶法師
地唄、箏曲など)が主だったが
保己一はどれも苦手で
暗記力だけは群を抜いていたので
国学を究める道を選んだ
結果、それまで玉石混交状態だった
出版物を整理、玉だけを選び
新たな出版を企画した
それが群書類従Gunsho-ruiju で
企画してから出版するまで
40年ほどかかっている
塙保己一のことはヘレン・ケラーも
尊敬していたらしい
塙保己一
群書類従の版木
版本
大正時代に再編纂された群書類従
手許にあるもの
右の第十九輯の管絃部には
琵琶の説明
早くもコスモスの花が一輪
ドクダミの花は満開
こちらは八重咲き
カタバミの花
パイプの中にアマガエル
自転車で農道を走っていたら
白っぽく丸いものが目に入り
急ブレーキ
アスファルトに落とすと
ゴルフボールのような反応
野焼きで炙られたものと
思われる
同じような丸い石と
記念撮影
ついつい落書き
アンモナイト化石の重ね餅
葡萄状の石、重ね餅
メノウと水晶、そして
フローライトの重ね餅
丸く磨かれた母岩の黄銅鉱
丸石のボールベアリング
階段ピラミッドのような石
赤鉄鉱
針鉄鋼
反対面
黄銅鉱、黄鉄鉱、そして
人造の玉鋼(日本刀の原料)と
一緒にすると紛らわしい
手前が針鉄鋼
最後に真黒石の重ね餅