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2023年1月12日木曜日

匠家必用記上巻六章 「番匠を大工といふ弁」

 

匠家必用記上巻六章
「番匠を大工といふ弁」
の読み下しを紹介
間違いなどありましたら
ご教示願います


工は百工の惣称なり。上古、木を以て宮殿屋宅諸の器材を制作、之を木匠と云。日本紀に木匠、木工等の字を用ひてこたくみと訓ぜり。近世専(ら)番匠の字を通用して、たくみといへり。むかし飛騨の国の木工多く、諸国へ出る故に飛騨のたくみといゑり。ヒダのタクミを一人とヲボエタルモノあり、甚アヤマリなり。イサハウシ(氏)イハク(曰く)、日本後記にイワク、エンリャク十五年十一月己酉(つちのと・とり)合天下捜挿、諸国逃亡飛騨工等異称。日本伝云、飛騨国多匠氏功造宮殿、寺院造今称飛騨工万葉集の歌に、「とくからに ものはおもはす ひだ人の うつはみなわの たた一すじに」。拾遺和歌集に、「宮つくる ひだのたくみの ておのおと(手斧音)」、などなど。



シカルメヲミシカナ ヒダノタクミは一人にアラスル事をシルベシ。又桶匠(おけや)、檜〇匠(ひものや)、鋸匠(こびきや)、蓋?匠(やねや)、鏈匠(ひきものし)、彫匠(ほりものし)、竹匠(たけざいく)等も上古は皆木匠の内也といへども、後に分れて今それぞれの職となりぬ。職神を祭にも、ともに彼二神を数ふべし。又俗間に番匠をすべて大工といふは非也。大工は禁裏(御所)より定置し木工寮の内は(内輪)名也。百寮訓要抄に大工、権大工は是皆番匠の名也。此職細工所奉行する間、此輩を置るる也といへり。又日本記に舒明天皇


十一歳秋七月詔曰、今歳(この年)作らしむ。大宮及大寺を造。則ち、百済川測(ほとり)を以て、宮所と為す。是以て、西民は宮を造、東民は寺を造。便(すなわち)畫直縣(カエソテフミノアタイアガタ)を以て大匠と為す云々。又伊勢の神宮を造れる番匠を大工といわずして小工といへり。是又禁裏より補任頂戴せる小工職也。位階も六位已下也。然ば是に任ぜざる番匠は大工、小工と書べからず。工匠、木匠、番匠、匠人、じやうじ(匠氏)とう(等)の字を用いて、たくみと訓ずべし。

文中に引用されている
日本後記延暦15年11月の記述

同じく百寮訓要抄から木工寮大工の記述

2012年1月26日木曜日

会津砥・青と裏大突内曇砥で二種類の鉋を研ぐ


YouTube にUPした動画の
画像を紹介しておきます

最初に使っている荒めの
伊予砥(愛媛県産)

こちらは粉末ハイス鋼の寸六(動画

同じ砥石で研いだ
玉鋼の古い鉋(動画

これは小鳥
おどり砥:岐阜県産)



そして青い会津砥
(福島県産)
この砥石は今では
ほとんどお目にかかることができなくなりました
ここ数年、少しずつ
掘られていた
ということですが
昨年の大震災で
掘ることが
出来なくなってしまった
そうです



参考までに、この鉋身は
粉末ハイス鋼の寸八ですが
刃先角度を修正中で
研ぎ面は3mmほどしかなく
ほとんど鋼だけを研いでいる状態です
このような研ぎの場合
中研ぎの人造砥は
反応が悪く
目起こしをしても
なかなか研げないのですが
この会津砥でしたら
目起こしをすれば
よく反応するのです
これは以前紹介した但馬砥もそうでした
このように、人造砥は
研磨力はあるのですが
場合によっては
天然中砥の方が
優れていることがあるのです

仕上研ぎの最初の段階
中継ぎとして
京都・裏大突産の
全面にカラスが入った
内曇砥を使いました
文字どおり
カラスのような模様が
入っているので
このように呼ばれていますが
このような砥石は
仕上砥石層の各層の
境目に出るということです
カラスが入っていると
研磨力はあるのですが
砥当たりにザラザラ
したものがあり
私は個人的には
好きではありません
因みに、通称
幽霊カラスのように
カラスの輪郭が
ぼやけているものには
このようなことはありません
動画で使っているものは
部分的に巣の嚢のようなものが地鉄(じがね)に当たるので
それを避けながら研ぎました
そこのところが動画でも
お分り頂けると思います



次に産地不明の仕上砥ですが
この砥石は
硬いにもかかわらず
よく反応し
たいへん研ぎ易い砥石です
鏡面に仕上がる
最終仕上げ砥石です

この砥石は、地鉄との相性が
悪いと地を引くのですが
この二種の鉋身もやや地鉄を引いています



こうして研ぎ上げた
粉末ハイス鉋・寸六で
ローズウッドの薄板を
削ってみました(動画
刃角度は27度ほどで
堅木を削るにはやや
低いのですが
ローズウッドでしたら
大丈夫です

厚みを減らすための
削りですから
刃を多めに出していますが
ほぼ逆目も止まっています


これくらいの削りでは刃先は
ほとんど変化はありません

2023年1月8日日曜日

匠家必用記上巻 五章 「神道は家業に離れざる弁」

 

匠家必用記 上巻から
五章 「神道は家業に離れざる弁」
の読み下しを紹介
間違いなどありましたら
ご教示願います

日本は神国と云道は神道といふ事粗(ほぼ)上に述といへども、再爰(ここに)番匠たる人の神道を挙ぐ。上古は人の心質素正直にして、自(おのずから)神の教に合故に神道といはずして、直に神道也。中比儒仏の二教渡りてのちわ、是に対して神道の号有。今俗間に神道とは神人、神酒、御供へいはく(幣帛)をささげ、柏手

打、祓を誦、神拝するを神道者とをもへるはこころ違也。是とは神事にして、神しょくたる人の神道。たとへば神前の小笠原しつけ方のごとし。其人においては尤可也。余の人は先それぞれの家業を第一に勤べし。是則神道の極意也。然ば番匠の職をつとむるは神職の神事のごとし。僧の仏事にも合、武士の武芸、農人の耕作n商人の商のごとし。士農工商共にそれぞれの家業は神の教なるに仍て武士は武神をうやまひ、農人は耕作の神をうやまひ、商人は商神を敬ひ、匠人はそれぞれの職神をうやまひて、神おん(恩)をしゃ(謝)し奉る事、あまねく人のしりたる事なり。故に其の神の教をよく守りて、家業を勤る人は神

応に合て福有。かくのごとく家業が神道の極意也。いたって重き道也事をしるべし。このあり難道を粗略にして其外に不相応なる事を好ば道にあらず。喩(たとえば)商人として弓馬の道を学び、或は修験(やまぶし)の行を真似して鈴錫杖をからめかし。医者は仁術なる事をわすれ商人のごとし利徳を斗(はかる)。農人は鎌鍬を廃(すて)て兵術やわくかを心掛。職人は家業を怠り真似して朝暮仏経念仏にあたら隙をついやし、其職の神より伝ふる事を忘れて僧徒のごとく仏事に落入職神を取失ひて仏法に混雑す。是とは我道とすべき事を忘れて他の道を貴む故、異端外道の修行と号(なづく)べし。外道とは家道にあらず

外の道也。かくのごとく異端外道を専に行ふ人はおのづから家業の大道をおろそかにする故終には身上はめつのもとひ(基)とも成べし。番匠も其職の神道成。證拠は此職を勤て渡世のなるやうに職神の教置給ふことなれば、誠を以て神を尊敬叮嚀(丁寧)に職を勤べし。かりしかば神の御心に叶ふ故、其身はいふにをよばず。子孫の家も栄なん故に神の道ほど有難道はなしと知るべし。儒仏の道も異国の聖人定めをかれ(置かれ)たれば、あしきといふにはあらず。僧徒が仏法を行ふは則道の止る処の至極は勧善懲悪のをしえ也。去ながら立る処の名目に違有。神は子孫繁昌好せ給ふ。正直淳和のおしへ成。出家は其身一代切、子孫断絶のもとひ

たるに仍る神の御心にかなはず。故に伊勢大神宮へ尼僧の直参を許ざるは此謂也。近世仏法に凝たる愚俗家業は神の教なる事を忘れて己が宗旨を貴み、じゃち(邪智)高慢にして神をないがしろにし、仏法ほど有難ものはなしとをもゑる人は、神の罪人道知らず也。今めいめいの先祖を考へ見るべし。其祖は神にあらずや。その孫として先祖をさげしむは人にあらず。形は人なれど心は鳥獣のごとく人の外也。ことさら天照大神の御国に生れ、神国の穀を食し、身命をやしなう事をしらざるは神のおんしらずとやいわん。天下の穀つぶしなり。番匠も其職を勤て世を渡るは仏の教にあらず。忝(かたじけなく)も日本番匠の祖神の御教なれば、いやでも神道を大切にせねば今日

立ず。故に日本のおしへを元とし、心を元の本にかへり、家業怠べからず。一書に曰、道は元来一也。ちまたををほき故に南北に迷ふ。糸は元来白し。染るをもって色かわる。人の心も相同じと。此一言尤しんずるにたれり。番匠も其職が一筋の本道にて、おしへのごとく正じきに行ときは、ものにまよふ事はなきし也。異国紛道故に本道を渡違てまよひがで来り。然共、儒仏の道もよく学時は神道の助となる事なれど、すすめやうあしければ、かへつて神道のかい(害)となる事多し。家業の隙あらばよき師をしたいて、神道の委ことを尋しるべし。先あらあら番匠の道の全体を、いはば日本の神風(ならはし)質素正直を元とし、親に孝、兄を敬

弟をあわれみ、朋友に愛敬有て、職神の教を守るべし。今此をしへを守る番匠の行ひを見るに、幼少より神道に志あつく常に心を正直にもち、かりにも人をいつはらず、一心不乱家職を面白く覚て、昼夜工夫をこらし上手となりて、天下に名をあげんことを心かけ、朝早く起て神を拝して、又両親へ一礼して細工に取付、下地より念を入、人の為によき事を思い、又細工を頼む人あらば請合の日限より前方に拵るをく故、一度もさいそくを得ず。且にはきう用(急用)の間に合て、頼人の勝手と成、値段ほも下直にすれば、人々も悦んで好ずとも宜事を云伝え、次第にあつらへて人多く也おのづから名人上手といわれ、其家日々繁昌して福有もの也。是常に神道を守る

故にかくのごとし。又、貧者となる番匠は第一愛教なく、朝祢して家職に怠り常に遊ふ事を好み、上手にならんと思ふ心もなく、うかうかと日をくらし、たまたま誂ものあれば、約束の日限相違して度々さいそくを受、俄に細工に取付、早く手渡しすればよきとおもう心から、万麁相(そそう)なれば、先の人腹立て仕方のあしき事を人にも告しらする故に二度頼む人まれ也。かかりしかば、次第にこんきゅうして貧者と成、弥々(いよいよ)下手と成て終に身上をもち破り妻子を路頭に佇ませ、その身も住処を逃走り、挙句のはてはこもかぶりと成、汚名を後代に残したる人挙て算難。是神の教に背故に神のばち(罰)かくのごとし。番匠たる人つつしんで家職の大道を油断なく勤

守るべし。別て禁むべきものわ、碁、将棋、双六、浄るり、三味線、淫乱、大酒也。是らをつつしまずんば、わざわひ必おきにあらす。出合細工の節は朝(早)く行て、仲間へ一礼し、細工を勤べし。長話、長煙草、大酒(な)どは細工の妨(さまたげ)。第一頼む人のきらふ事也。又細工のにぶきわ、つねに心の用ひやうあしきゆへ也。其職を立ながら、其道にうときは商人どの商下手と薬の不中医者のごとし。是に心の付ざる人は早く追揚られ、二度頼む人もまれ也。外聞といひ、はづかしきことならずや。かくのごときの人は其身一生下手の名を取、或は悪名を取て立身はなりがたき者也。此故に日夜家職の道を心懸上手と成て、後代に名をのこさん事を思ふべし。貧者と也

福者と也、上手となり、下手となりも、みな心の用いやう善と悪とに有。心を付て万事善にすすむべし。教の旨は様々有といへども番匠としては其職が第一としるべし。いはんとなれば日本番匠の祖神より伝来の職にして、此職勤、妻子をはごくみ家内安全にくらすは、皆是職じん(神)の御めみにあらずや。故に常に神おん(恩)を忘れず、万事正直に勤べし。然、仏法のじひ(慈悲)、善根も儒道の仁義礼智信もいわずはからずして、神道の内に有としるべし。国は神国、道は神道、家は神孫たる事を思ひて、心を日本に帰する。是を道に随ふ(と)いふ者也。

2015年1月19日月曜日

中世たたら実験操業の様子 新見の銑押し製鉄

岡山県新見市で毎年行われている
中世たたら実験操業で、昨年2014年
操業以来8年目にして銑鉄の生成に成功したということです
関係者の仲田芳人様から画像の提供を頂きましたので
その様子をお伝えしたいと思います

以下は仲田芳人様による報告文から引用したものです

新見市は中世の時代、京都・東寺の荘園として栄え
新見荘の年貢は鉄、和紙、漆などでした
25年前から中世の歴史を生かしたまちづくりを進めていて
その一環として「中世たたら製鉄」の再現操業が
2006年から市内正田の操業施設で行われています


今年2014年の操業は10月25、26日に行われました
縦横1m×1.7m、高さ1.25mの中世の炉を築き
夕方6時から翌日の午後3時半まで昼夜操業しました




今回の操業で使った砂鉄は765.8kg、木炭1153kg
出来た銑鉄(ずく)は約400kgと推定されています


4台の手押しふいごは、市内外の300人が交代で
「押して、引いて」の掛け声に合わせて押し、炉に風を送り続けました
新見の「たたら」製鉄は、「ずく押し」と呼ばれる銑鉄(鋳物鉄)造りです
「ずく押し」は明治時代半ば以降途絶えていた技術ですが
ついに今回、「ずく押し」を日本で初めて成功させ、快挙を達成しました




中世の炉を再現しての操業は全国でも例がありません
全国各地の企業、大学、研究者、一般の方々等
たくさんの人が操業を支え、活気があふれています










26日午前10時ごろ、炉底部のノロを取り除くと


ドロドロと「流れ銑(ずく)」が流れ出した
まるでおろちのようにも見え、感動的な瞬間でした












16年前から新見の「たた」らを指導されてきた
国選定保存技術保持者の木原明さん(奥出雲町)は
「炉の構造と砂鉄の配合を変え、8年間の試行錯誤の成果
炉はまだ元気で100%大成功」 と話されました

昔の会津刃物産地(福島県)では所によっては
自家用の小精錬所で銑(ずく)を吹いていたということが
堤章氏の著書 「会津の刃物鍛冶」では説明されていますが
今回備中新見(岡山県)で出来た銑で
どのような刃物が作られるのか興味が湧くところであります