2016年12月15日木曜日

工房の様子 縁飾りを接着


以下、ここ数日の作業の様子です

縁飾りのバインディングを曲げているところ



縁飾りを入れる部分を掻き取る作業


この作業での3mm幅のノミは
鍔ノミを使っている

全鋼ですが、小さいので研ぎには苦労しない

銘は清弘

鍔ノミのためか焼入れが甘すぎるので
先端部分だけ焼入れを行った

この鉋は同じ清弘銘のもの

精緻な炭素鋼で、切れは軽快
永切れする

右上に「東京」、中央には「清弘」と
小さな刻印が打たれている


掻き取り完了

タイトボンドで接着
ガルシア・タイプはゴムバンドで

小型モダン・タイプはクサビで接着
どちらの方法にも一長一短がある

接着完了

2016年12月12日月曜日

不思議な符号 青森 善知鳥神社と猿田彦

昨日の続き(参照
猿田彦命といえば、銅鐸と深い関係があります
銅鐸は青森県ではまだ出土していませんが
その青森県と猿田彦はどういう関係だったのでしょうか・・

話がちょっと脱線しますが
この画像の左側の銅鐸に施された流水紋は
隼人紋にも似ています
隼人紋については以前HPで
述べたことがありますので
参照(九段目)下さい

これは兵庫県神戸市から
出土しているものですが
同様の流水紋が見られます

そしてこの流水紋は
この古代ギリシャの壺

これはアフリカ大陸から出土した土器


上の2点は古代ヨーロッパの出土品

これは紀元前1400年頃とされる
ギリシャ・クレタ島の遺跡
ここにも隼人紋と同様の
文様が描かれています
こういったことから、猿田彦命とされる
サルタヒコは隼人族の長だったことも
考えられるのですが
先にリンクしたHPでも紹介しているように
サルタヒコはカルデア人であるという説が
浮上してくるのも
無理からぬことのようにも思えるのです

これはHPでも紹介している
北海道から出土している
縄文時代の土偶ですが
これにも隼人紋と同じものが見られます
ということは、海を隔ててはいますが
そのすぐ南の青森県にも
同様の文化があったとしても
不思議ではないのでは
と、無理に青森県とサルタヒコを
繋ごうとしているのですが
(青森県にある有名な縄文時代の巨大遺跡
三内丸山遺跡から出土している
土偶や土器などには
現在のところ確認されていないようです)
これはまったく無理なことではなく
根拠は充分にあるのです

時代は弥生時代(前期)になりますが
青森県には砂沢遺跡という
水田耕作跡が発見されている
遺跡があるのです
リンクしたページでも説明されているように
不思議なことにこの水田跡は
「弥生時代の水田としては
東日本ではもっと古く
世界史的に見ても
最も北に位置する水田跡」なのです
しかもこの遺跡から出土している土器は
遠賀川式土器なのですね
これには驚かされます
遠賀川式土器と水田耕作は
セットになっているので
青森県の砂沢遺跡はその
典型的な例と言えます
時代は弥生時代前期
(新・時代区分では紀元前8世紀頃)
また弥生時代に出現した銅鐸は
水田耕作とは深い関係があるので
当然、サルタヒコとも繋がっているのです

サルタヒコの第二の本拠地とも言える
滋賀県高島市に鎮座する
水尾(みお)神社で発見された
「水尾(みずのお)大明神本土記」には
「時に天レイ暦五十七穂歳サナエ
苗月サナエの日なり」
と記されていて
それを紹介している松重楊江氏は
「サナエの日」とは銅鐸を鳴らす日の
ことであろうと推察しています

川崎真治氏の説によると
サルタヒコのサルは「米」のことで
タは文字どおり「田」のこととしています
つまり、サルタは
稲田ということになるのです
米のことをシャリと言ったりしますが、
これは元々は、米のことを
ウル語やシュメール語では「シェ」
バビロニア語や古代インド語では「シャ」と
言っていたことに由来するということです
私が今住んでいる丹波篠山は
銅鐸文化圏と思われますが
この地では田植えが終わると
「サナブリ」という祭りが行われます
亀山古墳がある志免の地では
「サナボリ」と言います

以下は棟方志功の装丁による
英語版 能・善知鳥の台本の挿絵入翻訳本




これが戦後間もない
昭和22年に刊行されたことに
驚いてしまいます

これはさらに古く
昭和5年に子供向けの読本として発行された
新訳・平家物語読本 著者:佐藤一英
来年、平家琵琶を製作するので
平家物語を復習中・・

挿絵の作者は記載されていませんが
この絵の鳥が棟方志功風なのが興味深い

2016年12月11日日曜日

不思議な符号 棟方志功と善知鳥 そして月読命

来年製作する平家琵琶の
撥面の絵は立山連峰を描く
予定なのですが
そのことにいろいろと
考えを寄せていたら
ふと、「岩を見よ。
棟方志功を見よ」
というインスピレーションを
得たので
さっそくこのような
鑑賞石を入手
幅20cm程度のものですが
その存在感は素晴しい

東尋坊の絶壁のようでもある・・

反対面の様子

側の様子

水晶の玉を乗せてみた・・笑

手に入れて1週間ほど
経ちますが
作業をしながら
毎日眺めています

そして以下は版画家
棟方志功の画集から





そしてこれは棟方志功の孫
石井頼子さんの著書
「言霊の人 棟方志功」

それに目を通していて
おや、と思ったのは
「善知鳥Utou」について
書かれたところ
その件は能の善知鳥
題材に製作された
棟方志功の「善知鳥版画巻」の
紹介文でもあるのですが
最初に藤原定家の
「陸奥(みちのく)の
外の浜なる 呼子鳥
鳴くなる声は善知鳥(うとう)
安方(やすかた)」
が紹介されており
青森県には善知鳥神社がある
とも記されていたのです
さっそく善知鳥神社を
ウェブ検索したら
なんと、青森市の
安方というところに
鎮座しているのです

藤原定家の歌の
「鳴くなる声は 善知鳥安方」
そのままではないですか・・
また、善知鳥は青森県の
古名でもある
ということなのです

能の善知鳥は、旅の途中の僧が
越中(富山県)立山で
漁師の亡霊と出会うところから始まりますが
その立山を琵琶の撥面に
描こうと思っていた
ところなので
少なからぬ驚きを
感じたのであります

雨晴海岸から望む立山連峰

以下、棟方志功の
「善知鳥版画巻」の部分





そしてこちらは
青森市安方に鎮座する
善知鳥神社(YouTube動画から拝借) 

社紋は善知鳥と思われます

境内にはこのような
石碑があるのですが
これにも驚きました
猿田彦命と月夜見命が
並んでいる・・

このことでまず連想したのは
道祖神としての猿田彦と
天鈿女(あめのうずめ)ですが
この石碑の月夜見命は
天鈿女命の代わりになって
いるのでしょうか・・

月読命は
古事記・日本書紀では
伊邪那岐(いざなぎ)神が
禊(みそぎ)を行った際に
右目を洗ったときに
生まれたとされていますが
その後の様子はまったく
触れられていません
月読命の兄弟とされる
左目を洗ったときに生まれた
天照大神
そして鼻を洗ったときに
生まれた
素戔男尊(すさのおのみこと)は
多く記述されているのと
対照的です

月夜見命は通常は
月読命と書きますが
伊勢神宮の外宮にある
月夜見宮と
同じ表記になっています
月夜見宮の祭神は月読命で
内宮にある月読宮と
同じ祭神となっています

ここのところは
紛らわしいのですが
竹内文書を口伝で受け
継いでおられる
73代・竹内宿禰である
竹内睦泰氏は
著書「古事記の宇宙」で
古事記の序文に記されている
「帝皇日継(すめらみことのひつぎ)」
は帝皇日嗣(ていおうひつぎ)のことで
正統竹内文書のことである、
としていますが、この帝皇日嗣では
ツクヨミノミコトと呼ばれる神は三柱いて
それぞれ表記が、月弓命、
月読命、月夜見命
となっているのだそうです
その他、月には新月、満月、
上弦の月、下弦の月
など様々な呼び方がありますが
月の満ち欠けの数それぞれに
月読命が存在している
としています

そのことを反映してか
全国にある月読命に
因んだ神社には
月読神社、月夜見神社、
三日月神社、月宮神社、
大月神社、月神社、指月神社、
小月神社、夕月神社、
月之宮神社、月出神社、
月守神社
月形神社、明月神社、
弓月神社があり
最後に紹介した明月神社
ここ、丹波篠山にあります

弓月神社からリンクした
サイトでは
「弓月神社は西暦283年に
来日した秦氏の王弓月君と
関係があるのだろうとし、
弓月の君は、シルクロードに
あったユダヤ系キリスト教国の
弓月国出身と思われる」
と説明されていますが
先に紹介した竹内睦泰氏は
正統竹内文書の口伝では
月読命はある事情から
日本に居づらくなって
中国大陸に渡り
その後モンゴル高原に行き
月氏国(げっしこく)を作ったと
されている、としています

話が壮大になっていき
その後の展開も
書かれてありますが
詳しく知りたい方は
竹内睦泰氏の著書
「古事記の宇宙」を
ご一読下さい

別の説では月読命は
古代ギリシャの女神
生まれ変わっている
ということも言われています
また、アルテミスは
と同一視されることも
あるようです

話が飛躍してしまいましたが

飛躍ついでに
これを紹介しておきます
これは古代イタリアの
タルキニアの遺跡に
描かれている壁画
(紀元前6世紀頃)ですが
能の善知鳥Utouの
一場面を見ている
ようでもあります
たいへん興味深い・・

次回は猿田彦命と青森
そして善知鳥神社の祭神である
宗像三女神について
述べてみようと
思っているところです