2010年4月16日金曜日

碧玉と九鬼水軍 その4 

九鬼(くき)家の由来が記されている九鬼文書(くかみもんじょ)では、九鬼家の祖神は「天豊春日命」となっています。
その31代後は中臣鎌足(なかとみのかまたり)となっているので、天豊春日命の時代は紀元前後の弥生時代頃となるのでしょうか・・、その頃から現在の奈良県春日とは縁があったということになりますね。15日に述べたように、三田市の三輪神社は平安時代に奈良の大神(おおみわ)神社から分祀されています。時代は700年ほど下りますが、戦国時代に幕府により三田の地に九鬼家が移封(いほう)させられたのは何故なのでしょうか・・不思議です。
九鬼文書では、天豊春日命の49代前は「天児屋根命(あまのこやねのみこと)となっています。
この神は別名「春日権現」でもありますので、やはり古代から奈良とは縁があったようですね。
話が脱線しますが、天豊春日命の31代後の子孫の中臣鎌足のことですが、一般的には中臣鎌足と藤原鎌足は同じ人物ということになっていますが、鹿島曻説では別人で、しかも中臣鎌足は新羅人の金庾信(ゆしん)、藤原鎌足は唐人の郭務悰(かくむそう)ということになっています。
また関裕二説では百済王の豊璋(ほうしょう)とされています。両説では証拠も多く挙げられていて、どちらも説得力がありますが、単純に考えて、白村江の戦いの勝者側の唐の郭務悰か敗者側の百済の豊璋かということになるわけですが、敗者側というのはちょっと無理があるような気がします。どちらにしても、九鬼家の祖先は水軍として白村江の戦いに参加していたということになるわけです。




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