2010年9月29日水曜日

碧玉と九鬼水軍 その24

前回、漢代の濊(わい)と倭のことについて少し触れましたが、加治木義博氏(参照)によると、倭は漢代(紀元前後)では「ウバイ」又は「ウワイ」と発音するのが正しいとしています。私はそれを尊重し、前回の「倭」のルビを書き換えました。

加治木氏によると、漢代では倭をウバイと発音するので、倭人はウバイドと発音していたとしています。私の名前の清人は江戸時代頃まで「キヨンド」と発音していたのと同じなのだと思いますが、それよりも何よりも、ウバイドというのはもともと古代ユーフラテス河中流域(シュメール・現在のイラク地図参照)に存在した地名だったのです(参照)。これには驚きました。
ウバイドの遺跡の調査から、その地では農業を営み、灌漑農業を発明し発展させ、その管理監督は女性が行っていた。つまり女性上位の社会だったということです。ですからイナンナという水の女神が崇拝され、日本の天照大神や倭人(ウバイド)である卑弥呼のように祭祀と政治を行っていた。そして、このウバイドと同族とされるカリエン人が、紀元前2000頃のバビロン崩壊の際に、難民として南インド経由で東南アジア~沖縄~九州南部、あるいは東南アジア~中国大陸~朝鮮半島~九州北部と移動して行ったということなのです。

カリエン人はカルデア人と訛り、東南アジアではタイやミャンマーのカレン人、朝鮮半島では高麗人(カウレーアン)と訛った。またカウリーアンと訛り、これは宝貝人のことだそうで、つまり海人(あま)でもあったわけです。そういった意味では、沖縄は世界最大級のタカラガイ(宝貝)の宝庫ですから、カリエン人が沖縄を拠点に各地に行き来していたことが想像されるのです。
それから日本の弥生時代から古墳時代の副葬品として出土する、ゴホウラという貝の加工品(腕輪など)もカリエン人の影響なのかもしれません(参照)。



これは中国の古代三星堆遺跡から
出土している玉(ぎょく)製のタカラガイです
なぜ広大な中国大陸の内陸部から
このような貝を模した玉製品が出土したのか
不思議だったのですが
謎の民族とされる三星堆遺跡の民族は
もしかしたら、元々は先に紹介した宝貝人
だったのかもしれません








これは手許にあるタカラガイの一つで
おそらくハチジョウタカラガイと思われます
長さは8,3cmあり、この種ではかなり大きめで

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

http://flood.firetree.net/
面白い道具を見つけました。
海面上昇の図です。
0~+14mまでしかシュミレーションできません。
南極の氷がすべて溶けると+50mになるといわれてます。
その真偽はおいといて、+14mまでで楽しんでみると、
有明海が山の裾野まで来るし中国の地形も大幅に変化します。
温暖化といわれてますが、1000年単位のマクロで見ると寒冷化しています。
3000年前が+14mではないだろうか。
         源 信正

kiyond さんのコメント...

たいへん興味深いです。
縄文時代が北日本で栄えたということは
やはり今よりは温暖だったのでしょうね。
古来より、寒冷化と温暖化は交互になっていたようですね。

匿名 さんのコメント...

http://www6.plala.or.jp/anyoung/sealevel3.html
更に30mまで海面上昇すると、有明海と玄界灘が繋がり、九州が分割されました。
ここまでくると、魏志倭人伝の記述が面白くなってきました。
宮崎康平さんの島原説が再浮上してきました。
無理に方向を変えたりしなくても。
海面の位置は何千年もさかのぼらなくても、江戸時代には今より数m高かったのではないだろうか?
めがね橋や県庁のすぐ下まで船が着いてたと言われています。
オランダとか江戸時代の精密地図がないかな~
         源 信正

kiyond さんのコメント...

ありがとうございます。
私の故郷の福岡県北部も江戸時代頃には
かなり海岸線が陸に入っていたようです。
明治30年生まれの祖母が子供の頃でも
海はもっと近かったと言っていました。