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2024年5月12日日曜日

18世紀マンドリンのペグ作り

 

修復中の18世紀マンドリンと
次回製作するマンドリンのために
ペグを作る準備

ジュジュベ材は堅く緻密なので
炭素鋼の初弘鉋が向いている
優れた炭素鋼は切れが軽く
しかも刃先が強靭

旋盤加工のための下準備完了


こちらは広島県在住の刀匠久保善博氏
現在無鑑査(刀剣コンクールに於いて
複数の特賞を受賞)の実力派
日本古来の「たたら製鉄」に関する
論文(銑zuku生成のための
酸化チタンの働きと重要性を解明)は
これまでの常識を覆すものとして
注目されているようです



2024年5月10日金曜日

森鴎外 松本清張

 


松本清張の短編小説に
「或る小倉日記伝」
というのがある
若い頃から時折読み返してきたが
ここ数日ちょっと掘り下げて
この小説を楽しんでいる
朝井まかてさんの小説「類」
には「或る小倉日記伝」も
話題に上っていて
「類」は森鴎外の末子の名で
鷗外の死後紛失していた
鷗外の小倉赴任時代3年間の
日記の発見者としても知られている
そのあたりのことを
まかてさんの小説では
清張の「或る小倉日記伝」の
内容と実際のことを比較して
森類に回想させている

「或る小倉日記伝」は
紛失していた鷗外の小倉時代の
日記に代わる記録を
主人公の田上耕作が
作り上げようとする奮闘記
とも言えるが
田上耕作は実在の人物で
志したことも実際のことらしいが
この記録は紛失していて
現在では目にすることが叶わない

森鷗外の小倉日記は
先に述べたように昭和23年に
類によって発見され
妻の美穂が浄書し
3年後の昭和26年に
世に発表されている
「或る小倉日記伝」では
その前年に田上耕作が死亡し
小倉日記が発見されたことを
知らずにこの世を去ったのは
本人にとって良かったのか
悪かったのか・・
として終わっている
ところが実際は田上耕作は
戦争中の昭和20年に
空襲で亡くなっている

このあたりのことを
朝日まかてさんは
小説の脚色としての
松本清張の手腕を類に感心させ
本来ならば小説家でもあった
自分が書くべき小説であったと
悔しがらせている
また、皮肉なことに
松本清張は「或る小倉日記伝」で
芥川賞を受賞しているが
類は芥川賞候補になるか
というところまでは行ったが
結局叶わなかった
事実は小説よりも奇なり

PDFファイル

田上耕作氏


2024年5月8日水曜日

ヒマシ油添加シェラックニスを試す


シェラックニスにヒマシ油を
少量添加すると
刷毛塗りしやすくなり
塗膜も独特の美しさが得られる
ということなので試してみた
刷毛塗りのしやすさはもっと広い面を
塗らなければ分からないが
ニスの乾き具合や指触の感じは
ほとんど変わらない
同様の添加剤として亜麻仁油を
変性させて作られたリノキシンがあるが
それと同じような効果が
得られる感じか・・

添加したヒマシ油は
シェラックニス100mlに対し
太さ3mmほどの棒に付着させて
7滴垂らした

ひまし油メーカーの説明には
「ヒマシ油は、優れた安定性、
保色性、可撓性、顔料分散性、
湿潤性、潤滑性、低温特性、
電気特性、および生理的特性を
有するために
そのままラッカー、レザー、
印刷インキ、コーキング材、
潤滑剤、文房具、化粧品、
電気絶縁 材料、医薬品
などに配合使用されています。」
とあります

前回の塗りの後、サンドペーパー600番で
研磨し刷毛塗りを行った
メープルの一面だけ試しに320番の
サンドペーパーで深めに研磨したが
やはり塗り肌が荒れてしまった
刷毛塗り後10分ほど経った状態


そして最後に荒れたメープル面を
600番で研磨し改めて刷毛塗りした状態


これはこれまで試してきた
テストピース
古いものは1987年のものもある


2024年5月2日木曜日

なごにゃん 栗顔 そして貝殻コレクション

去年収穫した栗の実
顔を描いて
富士山に付ける


「なごにゃん」というものらしい

人間が食べるものらしい

貝殻コレクションの一部
この中に木彫り作品が
交じっている
お分かりでしょうか







これは2cmほどの
小さなものだが
存在感は大きい

骨董商の知人に貰ったもの


昔の「貝合わせ」とは違う感じ
絵柄は昭和な雰囲気もある
どうやって遊んだのだろう・・
おはじきか・・


2024年4月30日火曜日

ボエティウス キタラと弥生時代の琴


5世紀から6世紀のイタリアの賢人
ボエティウス(古代ローマ末期の哲学者、政治家)は
古代ギリシャのソクラテスのように
政敵によって訴えられ、反逆罪で死刑になり
44年の生涯を閉じている
ソクラテスは毒杯を飲まされているが
ボエティウスは拷問によって処刑されたらしい
ボエティウスの著書は日本語にも訳されていて
処刑される前に書かれた「哲学の慰め」は
1969年に出版されたものを持っているが
「音楽教程」はこれまでほとんど見当たらなかった
それが昨年11月に新訳で発刊され
喜び勇んで手に入れた



哲学の慰め


「音楽教程」は当時の楽器と音楽の基本が述べられていて
楽器について興味深いところをちょっと紹介
当時も音楽コンクールが行われていて
通常は楽器に7弦のキタラ(リラという7弦の竪琴を
演奏家用として箱型に改造したもの)が
使われていたが、それを11弦に改造した楽器を
使った参加者が王と監督官に叱責されている

リラ(7弦)

リラを改造したキタラ

ここで興味が湧くのは
7弦の竪琴に単純な構造のリラと
箱型に改造したキタラの存在

これは日本の弥生時代の琴にも同様のものがあり
板に弦を張った単純な構造のものと
現在の琴のように箱型にして
音量が増すように工夫されたものがある
弦の数は5本、6本、7本と様々だが
リラやキタラとほぼ同様なのが興味深い

江戸時代に平田篤胤が著した仙境異聞では
天狗にさらわれた寅吉少年が
仙界で見た琴も紹介されているが
それは真鍮の弦が11本張られている
また、ボエティウスは音楽については
プラトンを引用し「世界のアニマ(魂)は
音楽の調和と結び付けられている」
と述べているが、日本の秀真伝(ホツマツタエ)では
歌と合わせて琴を奏すれば
言語明白になり
五臓六腑(いくらむわた)が整うと説明されている
言霊(ことだま)のはたらきを一層発揮するために
琴は大切なものとされていた
仙境異聞でも、 音楽を伴った仙界の舞
天地の神に捧げるために行われ
そのときにはア・イ・ウ・エ・オ・・の50音が
奏楽に合わせて一言ずつ発せられ
それに振りが付けられているのです


2024年4月27日土曜日

65時間酢に浸けた骨を曲げる



骨、牙、角を曲げてみた
上の画像は動画撮影後
慎重に曲げたもの

動画撮影後の状態

以外だったのは
最も曲げやすかったのは
クジラの骨
大きいので組織が粗いためか
そして結ぶにはやはり薄い必要がある
厚みは1.5mm以下かな・・

曲がらなかった象牙の端材は
あと数日浸けておくことにした
そして曲げたものは
クランプで固定

1日後の様子


昨日の酢漬けの骨、1日経った状態
硬さが元に戻り
柔かさもなくなっている
ということは酢でカルシウム分が
溶かされたのではなく
分子構造か何かが
変化しただけなのかもしれない