匠家必用記上巻
十一章 問答の読み下しを紹介
これで上巻は終わりです
間違いなどありましたらご教示願います
十一 問答
或人問て曰、番匠の祖神相違せる事始て知ぬ。尤其理にあたれり。自今、已前改尊敬すべし。然共、聖徳太子逆臣守屋を殺して仏法を弘給ふ。大功正に人のしる所也。俗説ながらも太子を神明のことくに思ひ、番匠の祖神と祭り来りたれば、今さらすてがたし。神代より定る番匠の神と合せ祭るべきやいかん。又馬子、宿根(祢)も堂塔数多(あまた)建立し、仏法帰依の人なりと聞けるに、仏氏馬子がことを沙汰せざるは、いぶかしき事也。
答曰、聖徳太子を伝作あらば太子の徳行の根元を考えて、別にこれを敬ふべし。聖徳太子、仏
法を弘給ふ功ありども、番匠の祖神と合祭べき謂(いわれ)なし。少も混雑する事なかれ。又守屋、馬子がことは日本記を考へれば、守屋は忠臣にして悪にくみせず、馬子、宿根は崇峻(すしゅん)天皇を弑(しい)し奉る。悪逆不道人なり。貝原氏、倭事始にも馬子は君を弑するの乱臣也。然ば則仏経の世道に益なくして、人倫に害あること又知ぬべし。世俗妄に仏氏が
誣枉(ふおう)を信じ、遂に守屋をさして逆臣とす。守屋は是君に非すを格(ただす)の忠臣にして、正を崇の端士なる事をしらず、彼聖徳太子の馬子におけるがごとき。与共に天を戴かざるの讎(あだ)也。崇峻天皇は聖徳太子のためにはおぢ(叔父)にして且君なれば、なんぞ其仇をむくい給はざるや。然ども仏を好むの故を以て、始終馬子と志を同じ事を共にし遂に君父の仇に党し、罪なき守屋を殺して其私をなせりと
いへり。八幡本記にも彼聖徳太子そがの(蘇我)馬子等、我国の神の御教に戻り、人道を断ぬる仏法をして、此国に弘められしに、二人共に二代ならずして、其子孫尽く(ことごとく)絶ほろびにき。是を以て見る時は総て事を作すには、かならずよく其はじめを慎べきなりと云々。是等の弁論諸書にくはしければ、今くだくだしくぶるにおよばず。第一に日本記を
見て證とし次に神社考、俗談正誤、益俗説弁、和事始、等の書を考合せて聖徳太子のこと、或は守屋、馬子がことを知べし。惣て人のはなしには何事によらず、我好む所に応じ善を挙げて悪をこらし、非を談(かたり)て是をかくすこと有。已(すで)に忠信の守屋を逆臣とし、馬子が悪逆不動なる事を不言(言わざる)仏者が癖見なることをしるべし。此故に虚実分明ならざるは正史実録を明ならざるの謂なり。其外、聖徳太子のことを記せる書ありといへども、又かくのごとく、正史実録を会得せずして妄にこれを談ることなかれ。