2010年9月29日水曜日

2010年9月28日火曜日

酒滴神社

前回述べた篠山市味間(あじま)にある
二村神社は松尾山と白髭しらが岳の麓にあります
松尾山の松尾といえば京都嵐山の
松尾大社を連想しますが
祭神の大山咋神(おおやまぐいのかみ)は酒造神でもあります
ここでまた不思議な符合があるのですが
篠山市味間の二村神社の山向こうの
三田市藍本には酒滴(さかたれ)神社があり
その神社の社紋も三つ巴なのです

松尾大社(社紋は菊紋)は古代の岩座(いわくら)信仰が
行われていた山の麓にありますが
酒滴神社も岩山の麓にあります

酒滴神社の祭神は須佐之男命ですが
スサノオは松尾大社の祭神である
大山咋神の父親とされているのです
また、大山という地名が味間二村神社の
すぐ近くにあり、その地には荘園が
あったというのも暗示的です




酒滴神社








神社の説明板では平安時代に疫病が流行った際に
素戔男尊スサノオノミコトの化身である童子や仙人のお告げで
この山に登り天然の岩窟から垂れ落ちる酒を発見した、とあります

(別ウィンドウ、又は別タブで開くと
大きな画像を見ることができます)


2010年9月25日土曜日

篠山市味間 二村神社


篠山市味間の二村(ふたむら)神社は
文保寺と並んで建てられています
この立派な門は文保寺の桜門
奥に二村神社の鳥居が見えます


右が二村神社、左は文保寺へ続く道



篠山には二村神社が三社あります
本来は見内という所にある二村神社だけだった
ということですが室町時代に座争いがあり
ここ味間の地に御神体が運ばれたそうです
地図参照



こちらは奥の神殿
神社一帯は静謐、清浄な空気に満ちています 


こちらは奥の新田


神殿の屋根には三つ巴紋が見えます
この神社は松尾山と白髭(しらが)岳の麓にあり
この地域は銅を産出していたということですから
白髭と銅とくればもうサルタヒコしかありません・・
ここ篠山には、天武天皇の世に壬申の乱の際に
天武天皇に協力しなかった隼人を
篠山に追いやった歴史がありますが
天武天皇が遷都した近江の地には白髭神社があり
祭神は当然サルタヒコであります
近江と篠山のこの不思議な符合も
追及してみたいことの一つであります

2010年9月19日日曜日

碧玉と九鬼水軍 その23 


中国遼寧省(地図参照)は朝鮮半島の付け根に位置していて、三つ巴紋の銅戈(どうか)参照)が出土した戦国時代(紀元前403~221年)は燕(えん)の国に属し、長城を境に
東胡と接していました。次の秦時代(紀元前221~207年)漢時代(紀元前206~紀元220年)もやはり北限として長城を境に北に匈奴(きょうど)、東は萁子朝鮮(きし・ちょうせん)に接していました(参照)。



この図は紀元前3世紀の秦代から3世紀の魏代の中国人による東方異民族観(井上秀雄著「古代朝鮮」より部分転載)ですが、遼寧省付近は秦代には濊(わい)、漢代には倭(うばい)とされていたようです。濊も倭は同じ民族(発音も似ています)で、日本列島にも及んでいたという説が今では多く見受けられますが、戦国時代の遼寧省から出土した銅戈に三つ巴紋が鋳込まれているということは、秦代以前から朝鮮半島の一部と遼寧省を含む地域は日本列島と同じ民族圏だったということの裏付けとなるのではないでしょうか。
ということは契丹文書(参照・七段目)に記されているように、紀元前後の朝鮮半島の一部と日本列島は同じ民族圏だったということになるのです。




燕国の燕(えん)
このような想像上の四足の神獣でもあります