2011年9月23日金曜日
2011年9月20日火曜日
アルコールニスの原料、セラックを薬研で砕く シェラック・ニス
今日から本格的に
ニス塗りを行います
ニス塗りの動画は
参照ください
フレンチ・ポリッシュ仕上は
アルコール・ニスの
レモン・セラックが
ちょっと足りないようなので
今のうちに
ちょっと足りないようなので
今のうちに
溶かしておこうと思います
これはセラック・レモンの
これはセラック・レモンの
原料でフレーク状に
なっています
レモン・セラックは
溶解しにくいので
できるだけ細かく砕きますが
まず日本で古来から
使われてきた
薬研(ヤゲン)で
おおまかに砕きます
この最初の砕きは
ヨーロッパでは
布に包んで槌で叩いたり
するようですが
いろいろと試した結果
この薬研が最も具合が
いいのです
薬研はその字のとおり
本来は漢方薬などを
砕くために考案されたものの
ようですが
これを考え出した人を
尊敬します
因みに、ボタンセラックなど
フレーク状ではなく
厚みがある原料は
次にコーヒーミルでさらに
細かく砕きます
まさかコーヒーミルが
こんなところで
役に立つとは
思いもしませんでした・・
動画をUPしました
砕いたセラック適量を瓶に入れ
3倍ほどの容量のアルコールで溶かします
3倍ほどの容量のアルコールで溶かします
私は変性エタノールを
使っています
アルコールを入れ
瓶を振って撹拌すると
間もなくセラックは
ゲル状に固まり
瓶の底に沈殿します
瓶を立てたままにしておくと
底で固まったセラックが
溶けにくいので
写真のように斜めに
立て掛けておき
2~3時間おきに瓶を1/4ほどグルリと回転させます
そうすると底に溜まった
ゲル状のセラックが移動し
撹拌され溶けやすくなります
撹拌され溶けやすくなります
こうすると数日で溶けますが
私は念のため
私は念のため
1週間ほど放置しています
完全に溶けたら
濾し紙で濾過します
これは以前溶かしておいた
レモン・セラックです
セラックの原料は
セラックの原料は
精製の状態にもよりますが
変質するとアルコールに
変質するとアルコールに
溶けなくなります
これまでの経験では
これまでの経験では
レモン・セラックで5~6年
無色セラック(Shellac sun)だと3年ほどで変質します
ですから私は原料はドイツから少量ずつ取り寄せ
無色セラックは
無色セラック(Shellac sun)だと3年ほどで変質します
ですから私は原料はドイツから少量ずつ取り寄せ
無色セラックは
2011年9月19日月曜日
2011年9月15日木曜日
2011年9月10日土曜日
篠山ヤケヤノ坪遺跡で弥生時代の鉄斧出土
兵庫県篠山市西岡屋にある
ヤケヤノ坪遺跡と西岡屋遺跡の
現地説明会に足を運びました
これは今回出土したものの中で最も注目されている、ヤケヤノ坪遺跡で発見された鉄斧の一部とされるものですが、時代は紀元100年頃だということです。
以前述べたように、この頃は北部九州王国(福岡県北部)、出雲王国(島根県)、吉備王国(岡山県)、丹後王国(京都府北部)が各地で同時に勢力を誇っていた時代で、その象徴となるものは鉄器でした。それが古代丹波の南に位置する篠山から出土したことの意義は大きいものと思われます。というのは、一般的に古代丹波は日本海側の丹後も含まれていたとされているのですが、鉄斧が出土した今回の遺跡には播磨系の土器も発見されているのです。ということは、弥生時代後期のこの方形周溝墓に埋葬されていた人物は播磨(兵庫県南部)との関係が強かったという見方もできるわけで、その人物に副葬された鉄斧も播磨からもたらされた可能性があるわけです。
それから、丹後で出土している内行花文鏡や貨泉、
陶塤(とうけん)が篠山ではまだ発見されていないというのも引っかかります。ですから篠山は播磨系だった可能性があることになり、しかもルートは西に進む篠山川沿いではなく、南に下る武庫川沿いだったということになりそうです。篠山川下流に位置する丹波市山南町では丹後系の土器が出土しているので、このあたりは丹後の勢力圏であったことが考えられるのです(参照4段目)。
しかし時代は3世紀頃とされているので、やや無理があるのですが・・。
それからこれも以前に述べたことですが、武庫川を南下するルートは、銅が採掘されていた味間から白髪岳~酒滴神社~三田市を経由して西に進み播磨に至るものです。このことはこれまで三回にわたって述べてきた「不思議な符合 飛騨の位山と芦屋市」とも関係してくることでもあるのです。
以前述べたように、この頃は北部九州王国(福岡県北部)、出雲王国(島根県)、吉備王国(岡山県)、丹後王国(京都府北部)が各地で同時に勢力を誇っていた時代で、その象徴となるものは鉄器でした。それが古代丹波の南に位置する篠山から出土したことの意義は大きいものと思われます。というのは、一般的に古代丹波は日本海側の丹後も含まれていたとされているのですが、鉄斧が出土した今回の遺跡には播磨系の土器も発見されているのです。ということは、弥生時代後期のこの方形周溝墓に埋葬されていた人物は播磨(兵庫県南部)との関係が強かったという見方もできるわけで、その人物に副葬された鉄斧も播磨からもたらされた可能性があるわけです。
それから、丹後で出土している内行花文鏡や貨泉、
陶塤(とうけん)が篠山ではまだ発見されていないというのも引っかかります。ですから篠山は播磨系だった可能性があることになり、しかもルートは西に進む篠山川沿いではなく、南に下る武庫川沿いだったということになりそうです。篠山川下流に位置する丹波市山南町では丹後系の土器が出土しているので、このあたりは丹後の勢力圏であったことが考えられるのです(参照4段目)。
しかし時代は3世紀頃とされているので、やや無理があるのですが・・。
それからこれも以前に述べたことですが、武庫川を南下するルートは、銅が採掘されていた味間から白髪岳~酒滴神社~三田市を経由して西に進み播磨に至るものです。このことはこれまで三回にわたって述べてきた「不思議な符合 飛騨の位山と芦屋市」とも関係してくることでもあるのです。
播磨系の土器
これらは地元で焼かれたもの
だということです
ヤケヤノ坪遺跡
鉄斧は周溝墓3から出土したということです
鉄斧は周溝墓3から出土したということです
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