出版されたものですが
室町時代中頃、応永年間に
京都桂川沿いにある地蔵が奇瑞を起こし
それが発端で始まったとされる
桂川地蔵信仰の様子を見聞風に記しながら
当時の事物を書き並べたものです
これは当時の武家の教養書として
出回っていたようで
八木書店から出された影印本は
室町時代末、弘治四年(永禄元年・1558年)に
書き写されたものが底本とされています
その一部を紹介しますが
この部分は当時使われていた楽器が
記されているところです
楽器の名を書き出してみますと
蜀郡ショクキンの鶴瑟カクシツ、秦楼シンロウの鳳管、
簫ショウ、笛チャク、琴キン、箜篌クゴ、
琵琶、鐃ニョウ、胴鈸ドウバチ、
小鼓、大鼓、編木ササラ
以上ですが、知らない楽器が多いですね・・
蜀郡の鶴瑟や秦楼の鳳管などは
中国伝来の楽器と思われますが
判然としません・・
これは正倉院に所蔵されている断片を基に
この楽器が室町時代にも
存在していたのでしょうか・・
興味が湧くところであります
それから、この部分は当時の
刀鍛冶の銘が挙げられているところです
紹介しますと
以往イニシエの鍛冶、天国アマクニ、
神息カンヌキ、藤戸フヂト、菊作キクヅクリ、
粟田口(京都)には藤林トウリン、藤次トウジ、
林次リンジ、林三リンゾウ、国綱、国吉、
三条(京都)小鍛冶宗近ムネチカ、来国俊、国光、
法師鍛冶には定秀ジョウシュウ、雲秀、了戒リョウカイ
備前の国(岡山県東部)に長光、景光カゲミツ、
三郎国宗、五郎守家、長船オサフネの一党
備中ビッチュウの国(岡山県西部)貞次、盛継モリツグ、葵作り
伯耆ホウキの国(鳥取県西部)真綱サネツナ、
筑紫(福岡県)には三家ミケの田多デンタ、
鬼神大夫キシンタイフ行平ユキ ヒラ、波平ナミノヒラ、
谷山、石貫イシヌキ、金剛兵衛コンゴウビョウエ、
奥州(陸奥ムツ国・本州北東部)には舞房マイフサ、光長、
鎌倉には新籐五、彦四朗、五郎入道、九郎次郎、
南都(奈良県)には千手院センジュイン、文殊モンジュ四朗、
一文字、中次郎、尻懸シッカケ、当麻タイマ作り
当世(室町時代中頃)の作者、信国、国重、達磨、藤島
ここに挙げられている刀工銘にも
今の刀剣解説書などに
登場しない銘が多くあります
備中国の盛継は守次、葵作りは青江作りと
解説されています
筑紫国は紹介されている刀工銘から
九州全般として紹介されているようです
そのなかの三家田多は
現在一般的に呼ばれている
鎌倉の五朗入道は日本刀の
代名詞とも言える正宗のことです
奥州の舞房は舞草モクサ鍛冶
のことと思われますが
刀剣研究家の佐藤矩康氏が
舞草鍛冶は日本刀のルーツと思われ
古墳などから出土する
蕨手(ワラビテ)刀も
作刀していたようです
参考までに、これは埼玉県の
将軍山古墳から出土している大刀です
(同じ刀身の裏表の画像、切先部と
物打部を合成したものです)
時代は6世紀前半とされていますので
古墳時代後期ということになります
刃の部分が叢雲ムラクモのように見えます
日本古来からの三種の神器の一つに
その名の由来は、もしかして
このような刃中の景色が
叢雲のように見えたため
かもしれません
鎌倉時代の名刀に匹敵する出来です