2014年4月17日木曜日

優れた天草砥と産地不明中砥でハイス鉋を研ぐ

YouTube研ぎ動画の画像を紹介しておきます
最初に使ったのは天然中砥の天草砥


程よい硬さで良く反応します
天草砥はこれまでかなりの数を試してきましたが
ここまでよく反応するのには初めてお目にかかりました


粒度は#300ほど




次に群馬県産砥沢・虎砥


これも程よい硬さでよく反応します


粒度は#400ほど
やや粒度にむらがあります




これも同じく砥沢・虎砥のやや硬めのもの




粒度は#600ほど




そしてこれは関東方面で天然砥石の調査・研究を
為されている方からお借りした
産地不明の中砥


目起こしをしたすぐは砥泥を使わなくても
よく反応しますが
再度研ぐと反応が鈍くなります


粒度は#600ほど




そしてここからは仕上砥ぎ
中継ぎに使ったのは丹波亀岡神前こうざき産巣板として
手に入れたものですが
動画の説明欄にも記しているように
地元神前で砥石の採掘と販売をされている森さんによると
神前ではこのような仕上砥は採れないということでした
おそらく森さんが採掘されている新田産の巣板を仕入れた業者の方が
神前産と思い違いをしたのではないかと推察されます・・


やや硬めの巣板ですが
ハイス鋼に異様によく反応します







そしてこれも神前産として手に入れた巣板
これもおそらく森さんが採掘された新田産のものでしょう


これも硬口ながらハイス鋼に異様によく反応します


上の巣板よりも硬いにもかかわらず
研ぎ傷はこちらの方が粗いように思われます

2014年4月15日火曜日

工房の様子 メープル仕様 特注モダン・タイプ

製作中のメープル仕様 特注モダン・タイプ
弦長630mm
以下の画像はここ2週間ほどのものです
響板のサウンドホール縁飾り


響板の補強材接着


裏板の補強材接着


ヘッドの挽き切り(メープル材)




接着されたヘッドとネック
それから製材中のヒール部(メープル材)






ヘッドの表面に薄板を接着してヘッド部は出来上がり
この後成形していく

同様のメープル仕様の製作工程はこちら
でも紹介しています

2014年4月14日月曜日

佐賀県吉野ヶ里遺跡

広大さに圧倒される・・










滋賀県で作られたものと
判明している


出土した砥石 (参照下さい) 








これは展示されていないもので図録に収録されている写真
右端の勾玉は宝石級の翡翠ヒスイ(新潟県糸魚川産と思われる)


中国前漢時代のものと思われる銅鏡
文字については

2014年4月11日金曜日

大分県日田の旅 日田英彦山線

YouTubeにUPしていた動画の画像を
遅蒔きながら紹介しておきます
大分県日田ひた
JR日田英彦山ひたひこさん線の車窓からの眺め



日田駅前の様子


2014年3月27日木曜日

日本刀関連の本を入手

日本刀に関する本を新たに
3冊手に入れました
まず、画家「かつきせつこ」
さんによる絵本
対象は鎌倉時代の
日本刀作りの技法を
ほぼ手中に収めたとされる刀工・松田次泰氏

それから研ぎの立場から
日本刀の謎に迫る
刀剣研ぎ師の倉島一氏による「日本刀 謎と真実」

倉島氏による鎌倉時代の
名刀の反りの考察は
特筆ものです
一言で言えば当時の
名刀の反りの多くが懸垂線
依っているというもの
これは日本の建築物の
屋根の反りなどにも
取り入れられているものです
このことと、西洋の楽器などがフィボナッチ数列による
黄金比に依っていることが
多いということに
共通したものを感じます

一般的に、日本刀を焼入れすると刀身が反ると
言われていますが
先に紹介した松田氏の
焼き入れでは
刀身は反らないのだそうです(そういう技術がある)
このことから、鎌倉時代の名刀の反りも焼入れによる
偶然の反りではなく
刀匠による意図どうりの
反りであると松田氏は
主張されています
このことは
たいへん興味深い・・

こちらは日本刀の科学的研究の先駆けとも言える
俵国一氏による
「日本刀の科学的研究」
こういった研究書が戦後間もない昭和28年(1953年)に
出版されているということに
驚いてしまいます

装丁は当時一世を風靡した
版画家の棟方志功


出版当時の俵国一氏近景
出版された当時
氏は82歳だったということで
この研究は明治39年10月から
大正13年の10月まで18年間
行われたということです

松田次泰氏によると
この研究書は現在の
日本刀の世界では
ほとんど無視されているということですが
松田氏にとっては
この本に書かれてあることは
鎌倉時代の日本刀作りの方法そのものなのだそうです
 
この研究にあたって
当時の鑑定家・本阿弥光遜氏の
監修の下で刀匠・笠間繁継氏が実際に作刀に
携わったということです

研ぎについても
砥石と研ぎ傷の写真を交え
詳細に記されています