2016年6月17日金曜日

稲城と投石兵集団

以前、このブログで
紹介した横枕遺跡
この遺跡についてはこちらの
時代は旧石器時代から
弥生時代とされています


この2枚の写真は私が
投稿したものですが
これは1998年発行の
志免町文化財調査報告書から
部分的に転載したものです
下の写真の左の卵形の石は
投弾と説明されています
時代は弥生時代前期頃の
ようですが
この投石を使った兵士集団が
住んでいたと思われる地が
この横枕遺跡の近く
(数百メートル西)に
あるのです
稲城(イナギ)という所です
現在は地名は残っていませんが
交差点の名前とバス亭に名残りが残っています

イナギを投石弾兵がいた所
とする説は
鹿島曻氏によるものですが
そのことを川崎真治氏はさらに詳しく解説しています
それを要約すると
ウル・シュメール語で
石(いさご)を紐で投げることをイグナと言った
イグナのイは「する」とう動詞
グは紐という意味
ナは石の意味
投石弾兵も同じく
イグナと言った
それがセム語になると語順が
変わってイナグとなった
このイナグの語尾が
屈折したのが古代日本語の
イナギとしています
漢字では稲城、稲置、
因支と書きますが
弥生時代~古墳時代の
日本ではこのイナギという言葉が投石弾兵の隊長
あるいは地方豪族の
姓(かばね)や
氏名だったとしています
川崎氏はこのことについて
例を挙げ
古事記や日本書紀で日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が
東征を命じられた際に
尾張の田子稲置
(タゴノイナギ)や
乳近稲置(チヂカノイナギ)を
遠征軍に加えた訳がはっきりすると述べています




投石紐(スリング)

2016年6月13日月曜日

工房の様子 特注Lacoteタイプの製作状況

製作中の特注19世紀ギター
ラコート・タイプ(弦長630mm)の製作状況
ネックのヒール・キャップを切り出しているところ


接着

そして指板を接着


ブリッジを作っていく

白柿Shirakakiで罫書いているところ
このブリッジは修復中のマンドリンのものですが
参考のためにUPしておきます




白柿の裏の先端部は
このように仕上げておくと
スコヤなど定規を傷付けることがなく
何かと便利






輪郭の出来上がり

こちらはラコートタイプのブリッジ









ヤスリで表面を仕上げた状態

この後サンドペーパーで仕上げて接着する

ニカワ接着を終えた状態



2016年6月10日金曜日

杉山泰平氏の陶工房 涓々窯

行きつけの理髪店の
店長さんから
涓々窯という陶工房が
近くにあるよ
と教えてもらったので
さっそく行ってみた
ここから3kmほどしか
離れていない・・
近いではないか・・

15年ほど前に工房を
構えたということですが
近くは何度も
通っているものの
山道を少し入り込んだ
ところなので
これまで気が付かなかった

カフェ・テラスもある
ということだったので
ちょっとコーヒーでも・・
と思って訪ねたが
テラスから眺められるように、と植えた花々が
イノシシ、鹿にあっという間にやられてしまった
ということで、現在はやっていないということでした

それでも
展示されている作品は
すばらしいセンスで
目が奪われた
手持ちも心地よく
軽く、バランスもよい
同じものでも
工房によっては
重さやバランスに
バラつきがありがちですが
ここのものはほとんど
気になりません

価格も驚くほどリーズナブル


食器以外にも
オブジェ風の作品も
展示されていましたが
これらもセンスがよく
素晴しいものばかりでした

風化した真柏の樹皮のような存在感が素晴しい

一緒に行った知人が
杉山さんの足元に
埃Hokoriを被って
置いてあった作品を
目ざとく見つけた

鷲Washiの爪か・・
と一瞬思ったが
龍の指らしい・・
三本指の龍は日本のものですね・・と口にすると
そうなんです
干支Etoに因んだ
作品なんですという返事
辰年Tatsudoshiですね・・
これは、いちおう一輪挿しなのだそうです・・
それにしても凄い存在感・・
これはさっそく購入しました

そして
申年Sarudoshiの作品も


工房に持ち帰って
化石と並べても
存在感は負けていない・・
素晴しい

黒檀Ebonyで台を作り

このように・・

そしてあの一輪挿し・・


須藤さんの龍頭Ryuzuと
ツーショット

縄文土器の欠片Kakeraと
一緒に・・

素晴しい!