2023年1月15日日曜日

くずし字解読アプリ 刀の鍔


ウェブニュースで紹介されていた刀の鐔tsubaの文字について

とある崩し字解読アプリを使ったら一休宗純の
「わけのほる 麓の道はおほけれど おなじ高ねの 月をこそみれ」
という和歌が解読できた、とありました。このソフトは私も使ったことがありますが、平仮名あたりはほぼ正確ですが、漢字はあまり信用できず、今は使っていません。今回の記事の文字も肝心のところが曖昧で、一休宗純の歌にたどり着くよすがとはなりますが、なかなか難しいところだと感じます。

「わけのほる」はソフトでは「とる」(実際は「分登る」と思われます)、
「おなし」は「おいし」、
「高ね」は「雲い」と読まれています(実際は「雲間」と思われます)。

私としては
このように読みたいところです
「分登る 麓の道は おほけれど おなじ雲間の 月をこそみれ」

2023年1月14日土曜日

匠家必用記上巻七章、八章


七章と八章の
読み下しを紹介
間違いなどありましたら
ご教示願います
七章 尉(じょう)の家書弁
俗間に番匠の宮社の棟札を書するに、何兵衛尉、何左馬尉と書者あり。今按ずるに、官職備考曰、佐馬尉は大従六位に相当り、置正七位上に相当る。左兵衛、右兵衛尉は従六位下に相当たらず、正七位上相当る、とあれば、無官無位の人みだりに尉の字を用いる事あらず。

八章 藤原姓氏の弁
俗説に唐土(もろこし)漢の明帝の時、天竺の番匠、漢とに来り。始て番匠の術を弘む。此時、明帝甚仏法を信じ給ふ故に、番匠互に命じて一宇を建立し給ふ。号て数改寺と云、後に白馬寺と改、山号を藤原寺と云故に、日本の番匠の皆藤原姓也と云。又一説に、日本の職人は何職によらず、藤原の姓氏を名乗といへり。今按ずるに、藤原山の号を以て藤原の姓氏とする事附会の妄説信ずるにたらず。本朝藤原の姓と申は、唐土より渡りたる姓氏にあらず。

人皇三十九代天智天皇八歳大職冠鎌足(かまたり)公に、帝より藤原姓氏を賜。鎌足公は神代天児屋根命二十二代の神孫、中臣御食事大連(なかとみ みけじ おおむらじ)の御子也。きうせ(旧性)は中臣を改て藤原の姓を賜り、内大臣に任じ給ふ、是藤原の始也。故に此御子孫末葉に限りて藤原の姓氏也。他の人は是を名乗事にあらず。然を其姓ならざる番匠、己が姓を捨て、みだりに藤原を名乗は他の姓を盗むの罪也。若(もし)

此事をしらずにして藤原を名ののば早く改むべし。諸職人も又同じ。譬ば清和天皇の御孫、六孫王経基公血脈ならば源姓也。桓武天皇の皇胤高望(たかもち)王の血脈を平の姓と云。天太玉命の神孫也ば忌部の姓也敏達天皇の御孫、井出左大臣諸兄公の血脈を橘の姓といふ。平城天皇の御孫、備中守基主の血脈を大江の姓とす。孝元天皇の皇子、太彦命の血脈は

安信(安倍)の姓也。天智天皇の後胤、夏野公の末葉を清原の姓と云。皆それぞれの血脈を以て、姓名をわかる事也。いかに末世になりたればとて、他姓を以て家姓名とする謂あらんや。愚なりとも是等は弁へ(わきまえ)しるべきこと也。又世俗、源、平、藤、橘の四姓の外には、姓氏なきやうに覚る人有。是此事をしらざるの謂也。万多親王の姓氏録に千百八十二姓出たり。又此後も姓氏有。

今又四姓の外、その一、二をいう時は菅原、春原、有原、永原、和気、小槻(おつき)、文屋、石川、加茂、平群(へぐり)、道守(ちもり)、物部、小野、高階(たかしな)などのごとし。然れば、大職冠鎌足公の末葉ならざる人、みだりに藤原を名乗べからず。他の人は其実名の上にそれぞれの姓氏を冠して唱ふべし。棟札を出するにも、右に随べき也。又中比より姓名取失ひたる人は、何れも書べからず。故に藤原山の号を以て藤原の姓氏とし、諸職人の藤原を名乗といふ俗説のあやまりを考えしるべきなり。

2023年1月13日金曜日

日月山水図屏風の複製 そして黒檀材


日月山水図屏風の複製を眺めながらヨーグルトを食す

こちらは修復中の楽器の
黒檀ブリッジ bridge


替刃式両刃鋸で挽く
動画UPしました



畔挽鋸を使ったところ



接着

2023年1月12日木曜日

匠家必用記上巻六章 「番匠を大工といふ弁」

 

匠家必用記上巻六章
「番匠を大工といふ弁」
の読み下しを紹介
間違いなどありましたら
ご教示願います


工は百工の惣称なり。上古、木を以て宮殿屋宅諸の器材を制作、之を木匠と云。日本紀に木匠、木工等の字を用ひてこたくみと訓ぜり。近世専(ら)番匠の字を通用して、たくみといへり。むかし飛騨の国の木工多く、諸国へ出る故に飛騨のたくみといゑり。ヒダのタクミを一人とヲボエタルモノあり、甚アヤマリなり。イサハウシ(氏)イハク(曰く)、日本後記にイワク、エンリャク十五年十一月己酉(つちのと・とり)合天下捜挿、諸国逃亡飛騨工等異称。日本伝云、飛騨国多匠氏功造宮殿、寺院造今称飛騨工万葉集の歌に、「とくからに ものはおもはす ひだ人の うつはみなわの たた一すじに」。拾遺和歌集に、「宮つくる ひだのたくみの ておのおと(手斧音)」、などなど。



シカルメヲミシカナ ヒダノタクミは一人にアラスル事をシルベシ。又桶匠(おけや)、檜〇匠(ひものや)、鋸匠(こびきや)、蓋?匠(やねや)、鏈匠(ひきものし)、彫匠(ほりものし)、竹匠(たけざいく)等も上古は皆木匠の内也といへども、後に分れて今それぞれの職となりぬ。職神を祭にも、ともに彼二神を数ふべし。又俗間に番匠をすべて大工といふは非也。大工は禁裏(御所)より定置し木工寮の内は(内輪)名也。百寮訓要抄に大工、権大工は是皆番匠の名也。此職細工所奉行する間、此輩を置るる也といへり。又日本記に舒明天皇


十一歳秋七月詔曰、今歳(この年)作らしむ。大宮及大寺を造。則ち、百済川測(ほとり)を以て、宮所と為す。是以て、西民は宮を造、東民は寺を造。便(すなわち)畫直縣(カエソテフミノアタイアガタ)を以て大匠と為す云々。又伊勢の神宮を造れる番匠を大工といわずして小工といへり。是又禁裏より補任頂戴せる小工職也。位階も六位已下也。然ば是に任ぜざる番匠は大工、小工と書べからず。工匠、木匠、番匠、匠人、じやうじ(匠氏)とう(等)の字を用いて、たくみと訓ずべし。

文中に引用されている
日本後記延暦15年11月の記述

同じく百寮訓要抄から木工寮大工の記述

2023年1月8日日曜日

工房の様子 そして雲海

 


今朝の工房裏からの眺め
高城山にたなびく雲海


頂上には江戸時代初め頃まで
八上城という山城があった
この城は信長の命令により
明智光秀が落城させたことで知られている


工房の様子
ハイス鉋、ZDP189全鋼鉋
6枚研ぎ
身幅50mmと55mm
ガシャポンありと比較
アリは体長約10cm


製作中の特注19世紀ギター
ラコート・タイプ
弦長630mm
ネックとヘッドを接着




出来上がったマリアハープ


これはどう見ても
握り寿司!
だが海に生息するお方らしい
名前はウオノシラミ属
魚に付いている虱:シラミという意味かと思ったら、案の定、魚に寄生しているらしい。画像は満腹になって寄生先の魚から離れた状態だという。名前がウオノシラミ属、と属名しか表記できないのは、種類を特定するには口を解剖しなければならない、という難儀なお方。