製作中の19世紀ギター
特注ラコート・タイプ
弦長630mm
2023年2月17日金曜日
2023年2月14日火曜日
匠家必用記 下巻 三、四、五章 読み下し
三 宮造りの事
宮社を造ら(ん)と欲ば先其やしろの故実を尋、あく迄吟味して社の風を定べし。其形様々有といへども、両部習合ならざる社は神明造りか社造りにすべし。是古代の風なり。延佳神主曰、上古宮造りの制法丁寧にして、且(そのうえ)質素也。後世の風俗は是にたがひて花靡(び)也。心あらん人は居家、調度に至迄古代の風をしたふべし。くみもの・ほりもの造は異国の
風にして、両部習合の制なれば、習合の宮はくみ物・ほり物をするともくるしからず。自余の社は組物・彫物を用ずして造るべし。然ば神代質素の理にかなひ、番匠たる人も神の御心に合べし。名目抄にも神社にはくみ物を用ずといへり。伊勢太神宮に組物・彫ものを用ずると有て、名目抄の意を思ひ合べし。中にも延喜式に載たる由来は久しき宮社は猶以て神明造、やしろ造にして可也。然ども伊勢及其外の名高き御社は故実を用ひて造れしことなれば、ことごとくその風に似するははばかるべきこと也。只何となくしっそしやうじやう(質素清浄)にしてかざり無、ていねいに古代の風をかんがへ造るべし。是人々家造りにおごるまじきとの神教也。宮社の図あらましおくに致ぬ。考え知るべし。惣じて宮社を造るには木は桧を用べし。余の木を用べからず。神代巻に、其用当を定。及ことあけてのたまはく、杉及櫲樟(よしょう・クスノキ科)此両樹者浮宝に以為(つくる)可(べし)。
檜は瑞宮の材を以為可といへり。此故に伊勢の神宮を造るに桧を用ゆるとみへたり。今雑木を用ゆるは古法にたがへり。柱を丸くすることは上古は万質素にして、山より木を切り出し皮を削、そのままはしらに用る故自然に丸し。是に倣て今宮社に丸柱を用ること也。宮を造る番匠は祖神の血脈の番匠をえらみて、工長(たくみかしら)と定こと故実也。然を今は此事をしる人もまれなり。番匠たる人も多くは姓氏を取失い、何やら角(か)やら、わけもなきことになり行、なげかしきこと也。扨宮造に臨では清浄の家に宿すべし。又は仮屋をいとなみて、是に宿するも可也。常に清浄火を食して他の火を交べからず。又病を問ず穢悪(えあく)のことに預るべからず。不浄の人と一座をする事なかれば、慎を第一としてはかまを着して、細工をつとむべし。自然おもはずけがれに混することあらば、早く其場を引はらひ、我家へかへり、清浄になるをまちてサイクをつとむべし。
四 屋根葺草の事
神社の屋根は茅ぶきをほんしきとす。こけらぶき、或は檜膚(桧皮)ぶき、とちぶき、(な)どの中古よりはじむるじんじゃにかぎり、瓦ぶきは大ひにいむ(忌む)こと也。屋根のむねにももちゆべからず。そうじて、とり井よりうちへ入べからず。もしありきたらば、はやくとりすつべきことなりと先輩に(き)けらし。
千木は神社の棟左右へウチちがへたる木をいふ。違木の中略なり。上古宮を造に摶風(はぶ)の端棟へ余りたる象(かたち)也。神代の遺風にしたがひ神社にかぎり是を用。今百家にはハフと名付て棟のうちに包也。女神の千木は内をそぎ、男神の千木は外をそぐ。大政官府製法曰、大社の千木四支長さ壱丈三尺、中社の千木四支壱丈、小社四支長さ八尺云々。又一説に大社の千
木長さ壱丈六尺、壱丈弍尺、中社八尺五尺(寸か?)、小社三尺六寸、又三尺弍尺(寸か?)、弍寸(尺か?)八寸といへり。千木を氷木とも又比木とも、氷橡とも書り。ほうき本記曰、木の片掞(かたそぎ)は水火の起、天地の象也と云り。宮社により二神、三神、五神、七神を祭る宮は其御神名に付て、そぎやう内外のちがひあり。識者に問て製すべし。鰹木は斗木ともいへり。一説に大社の鰹木八丸、長五尺、わたり九寸。中社は六丸、長四尺、わたり八寸。小社四丸長三尺五寸、
2023年2月12日日曜日
2023年2月11日土曜日
2023年2月10日金曜日
匠家必用記 下巻 一章 二章 読み下し
宝暦四年(1774年)に書かれた
匠家必用記 下巻から
一章と二章の読み下しを紹介
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匠家必用記下之巻
立石定準記
一 地鎮(ちしずめ)の事
宮社を造らんと願ば先其地をたいらにして、不浄をはらひ水縄を引、地取を極め其まん中にはしらを立る。是を斎柱(いんはしら)と云。俗家にては是を大極はしらといふ号く「俗せつにキモンハシラと名て東北のはしらはあやまり也。キモンのことは日本のことにあらず、本朝りげんといふ書にでたり。かんがえ知るべし」。則此はしらを家の大こくはしらに用ゆるべし。づ(図)のごとくくいを四本うち、しりくめ縄を引廻し、榊(さかき)を以て飾べし。又弓二張「白木綿の弓つるを用ゆべし」。矢二筋用ゆ「一筋はかぶらや、一筋はかりまた」。天神地祇を祭り、又番匠の神の神号を板に書て柱にかけ、前に鏡餅、角樽、鯣(するめ)、昆布等の祝儀物を献上すべし。此時尼僧及すべての不浄を遠(とおざ)く可(べく)也。番匠のたる人、礼服を着して神を拝すべし。是則、神代に伊弉諾尊、伊弉冉尊国中に柱を立給ふよりこと起り、神代に専(もっぱら)此こと神事ありて、
今上古の遺風たえざるはあり難こと也。伊勢太神宮にも宮建立の前、此祭り有。是を心の御はしら祭りといへり。「心御柱記」曰、心御はしらは一気(いつき)の起、天地の形陰陽の源、万物の体也云々。此はしらを御はしらとも天御柱とも忌はしらともいへり。前にもいふごとく此みはしらのことあ神道の根元至てふかき意有故に宮社並に屋宅を造るに、先(まず)忌はしら大極柱を立、不浄をはらひ地を鎮る(しずむる)は其縁(ことのもと)なり。是をしらずして何心なくはしらを立るは、番匠の本意にあらず。よく考へ知るべきこと也。或人曰、家の真中のはしらを大黒柱といふは大極の字を誤り、夫(それ)家は一天地のごとく、此故に其真中の柱を大極と名(なづけ)たり。心御はしらに比すと。云々
二 釿始(ておのはじめ)之神事
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