これはよく知られている絵
左は江戸時代の画家
歌川広重の錦絵(1857年作)
右はそれを模写した
ゴッホの油絵(1887年作)
同じく右は広重の錦絵
1857年作
左はゴッホによる油絵
1887年作
1888年ゴッホが死の2年前に
描いた油絵
尊敬していたミレーの
「種をまく人」を
自分流に咀嚼した作品
渓斎栄泉が描いた
「雲龍打掛の花魁oiran」
「雲龍打掛の花魁oiran」
上の雑誌の表紙では
レイアウトの関係で
反転させたのか・・
レイアウトの関係で
反転させたのか・・
毛糸玉
ゴッホはテオに宛てた手紙に
「日本人のように繊細で
純真な心をもって
日本人のように
自然のなかで暮らしたい」
と書いている
当時はジャポニズム
真っ只中で
日本美術がパリを中心に
多くの芸術家たちに
影響を与えたことは
よく知られている
フランスの画家 ドガも
その一人だが
ポール・ヴァレリーの
ドガ論では
あまり多くは語られていない
この翻訳本は吉田健一に
よるもので
装丁は青山二郎
昭和16年(1941年)出版の
5版だが
初版は昭和15年となっている
昭和16年は第二次大戦突入の年
そのような時期に
このような本が出版されている
ということに驚いてしまう
日本の版画が当時の
西洋に影響を与えたことを
記した箇所と
ドガの反応
このページは
上の吉田健一翻訳本の
改訂版
昭和52年(1977年)出版
訳文に変化が見られ
漢字は新字体になっている
このような本が
出版されていることにも
驚かされる
出版されていることにも
驚かされる
外にも多数紹介されています